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マラッカ航海日誌補遺

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カトマンドゥでの生活

寺院に礼拝する人々 カトマンドゥ
寺院に礼拝する人々 カトマンドゥ

 

どの国のときでもそうだが、他人が旅先でこんな生活をしていた(あるいはしている)という話をすると、その生活の仕方、旅行の仕方がいちいち気に入らないという人が出てくるものである。そんなのは邪道だ、贅沢だ、ぼられてるよ、あるいは、「ぼられたぼられたなんていうのが間違っている」など、何をしていても文句を言う人が出てくる。

最近は少ないかもしれないが飛行機に乗るのは邪道だという人もいた。「(あいつは)飛ぶぞー、飛ぶぞー」などといって揶揄する。この人は日本からネパールまで歩いて来たのだろうか、バスで来たのだろうか、と思ったが。

なぜこういうことになるのかわからないが、おそらく日本には、ツーリズムは「思想」とか「生き方」とか「世界観」と結びつくべきものだという観念が伝統的に?あるのだろう。

伝統といっても日本人が海外に個人旅行に行くようになってからのことだが。

日本では、海外を「放浪」するようなことは、日本での堅気の生活を捨てて非日常の世界に入っていくことだというような感覚があったのかもしれない。

「外国に行ったら現地の人々の習慣に従い、現地の人を最優先させなければならない」という教条もその種の「思想」に基づくものだと私は思う。

現実には、そんなことをいっていたらやがてなめられて、最優先されるのは白人、次が現地人、さらに韓国人など、そして最後に日本人というシステムが全世界に確立してしまいかねない。

「金持ちの卑屈な態度」は鼻持ちならない傲慢さと見られることもあると思う。

私は、日本のツーリズムによくある「現地の習慣に従え、現地に溶け込むようにせよ」という教条は、悪い意味で「日本的」な「ムラ思考」の延長であって、外国の現地人を自分が作り上げた「仮想のムラ」に当てはめているだけだと思う。

この掟に忠実に従うなら、ムスリム、シーク教徒、ユダヤ教徒、その他の厳格な戒律に従う人々は、自分の宗教を捨てなければ異教地域に旅行してはいけないといっているようなことになる。

現地の習慣を「尊重する」、までは結構なことだろう。ネパールで神像や仏像を左手で触ったりすることはよくない。(今朝はここで地元のおばさんが「左手」でヒンドゥ神像に触ってご利益を受けているのを見たが、現地人にはそういうことも許されても外国人が神像に触るのは穢れだという意識はありうる)。

行く場所によってはそうしなければ身に危険が及ぶこともあるだろう。

しかしこの「日本の掟」はさらに、現地人同様の生活をし、現地人と同じような思考をし、現地の感覚にどっぷり漬かり、できる限り現地人と同一化すべきだという教条にさえ発展する。

「地球の歩き方」などによく書いてある「両替レートなど考えないで現地の金銭感覚を身につけよう」などというたわごともその一種だと思う。現地の金銭感覚といっても、日本ほど貧富の差がなくてみんなが同じようなもの同じ値段でを買っている国はないので、普通に貧富の差がある以上、人それぞれだと思う。現地人すら客によって値段が変わることがある。金の使い方はそれぞれの自由。ネパールにも日本の普通の金持ちよりずっと贅沢をしている者がいる。平均所得1万円ちょっとのベトナムでも金持ちはカンボジアのカジノに出かけていって一晩に何百万円もかけたりする。

結局「現地の金銭感覚を身に着けよう」という教えは、日本のムラ感覚を外国にも輸出して仮想のムラで生活しましょうといっているに等しい。

私が今泊まっているゲストハウスは一泊200ネパールルピア(だいたい300円ちょっと)でシャワートイレ付ツインベッドの部屋。湯はほとんど出ない。

食事にかかる費用は高いコーヒーやミルクティーを飲むので150Nルピアぐらい。

あわせても一日の出費1000円以下。

マレーシアにいたときは一日4000円相当は使っていたのでかなりの出費の違いである。

マレーシアでは高い航空券も言い値で買っていたが、ネパールにきたらなんとなく2ルピア3ルピア(5円とか)を値切るようになった。

3年前はタメル近辺でも5ルピアのミルクティーがあったが、もうこの辺にはない。安いところでも6ルピア。7ルピアのところが多くなっている。以前はローカルな店に入るとローカル値段が普通だったが、いまはそういうところでも10ルピアを吹っかけてくることがある。石油やガス(ボンベ)の高騰が原因だとは思う。しかし近代化と外国人ずれも着実に進んでいると思う。

ツーリストは少なくなっているのに変なツーリストずれは進んでいる。

以前からあったが、タイ料理店や「タイマッサージ」の看板は不愉快なものである。タイとネパールを行き来するツーリストが多いので、そういう悪い需要も出てくるのだろう。タイ人でもネパールくらいなら旅行できる者が多いかもしれない。

3年以上前、ネパール人の友人に「キャビンレストラン」というところに連れて行ってもらったことがある。当時は外国人は入れなかったが特別に入れてもらった。個室のテーブルに若い女の子が着く。連れのネパール人はしきりに「連れ出し」を勧めたが、店の主人が許さなかった。外国人にそういうことはさせないという方針のようだった。

そのキャビンレストランがあったところに派手なネオンの「ダンスバー」とかいうのができている。ビキニの女の子の絵が掲げてある。まさにタイの「ゴーゴーバー」のようだ。

日本人などがタイを甘やかしているうちに、タイの腐った文化がアジア中に拡散していく。アジアの人々がタイ式文化にからめとられていくことで同時に、身体の深奥まで白人に捧げ尽くすタイ式白人植民地システムも受け入れていくことになる。

ゲストハウスの人間は、ソーラーシステムだから今はぬるいお湯しか出ないといっていたが、白人客が入った晩にはちゃんとしたお湯が出た。ソーラーだけでなくボイラーもあったようだ。こういうことはよくある。日本人の若い女の子が入ってもちゃんとしたお湯が出るだろう。格別美しくなくても日本人の若い女の子ならネパールでは相当楽しい思いができるかもしれない。

アサン

アサンAsanの風景 カトマンドゥ
アサンAsanの風景 カトマンドゥ

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カトマンドゥ Kathmandu その2

今月のカトマンドゥ、タメル地区停電時間表(当局発表の時間表に口コミによる修正を加えたもの。随時変更アリ)

日 03:00 - 07:00   17:00 - 21:00
月 08:00 - 12:00   18:00 - 22:00
火 01:00 - 13:00   21:00 - 01:00
水 05:00 - 09:00   12:00 - 16:00
木 06:00 - 10:00   15:00 - 19:00
金 終日電気あり
土 00:00 - 04:00   17:30 - 20:30

 

タメルの風景

タメルThamel カトマンドゥ
タメルThamel カトマンドゥ

水場

タメルThamel 水場
タメルThamel 水場

 
タメルではチベット服を着ている毛唐を時々見かけるが、カッコだけである。チベット服というより、チベット仏教の僧服をファッションとして着ている。

たとえば非ムスリムがハジ帽をかぶったりしたらムスリムは怒るだろう。

しかしチベット仏教僧たちは、仏教徒とはいえないような毛唐がファッションとして僧服を着て観光中心街をうろつくことに怒らない。

さきほどチベット服を着た毛唐がネット屋の隣に座っていた。コートを翻して出て行ったが、翻ったコートで私の顔を張っていった。

自分の振る舞いの一つ一つにちゃんと気づいているということが仏教の修行の基本だと聞いている。そうだとすると、チベット僧服をファッションとして着ているこの毛唐は、仏教にはあまり縁がないと言えそうである。

中国との関係におけるチベット人の立場にはもちろん大いに同情するが、チベット人はチベットを一歩出ると白人に媚びまくるのも事実。

毛唐の同情を買ってドーネーションをたっぷり出させて結構いい思いをしているというのが現実だと思う。

私はダライラマにすこしも尊敬を感じない。彼らは「目的」たるべきものを「手段」として使うことが平気だからである。

ダライラマの「精神的指導」の下にある彼らは、本来神聖な道具であるものや神聖な教えや神聖な体験めいたもの(疑似体験)を観光客の好奇心に訴えて金儲けの材料にさせていることに何の抵抗も感じていないようである。

ネパールの諸カースト(人種民族氏族集団)のなかで、白人にいちばん媚びるのはチベット人およびシェルパだろう。

ソルクーンブのシェルパは媚びる媚びない以前にひどいものだが、数年前ネパールからチベットツアーに行ったときについたチベット人ガイドの白人客への媚びようはタイ人そのものだった(ネパールからチベットに入るにはツアーに参加しなければならなかった)。

大乗小乗を問わず、仏教という宗教には、いつの間にそうなったのかは知らないが、共通して西洋人に媚びまくる体質が備わっているようである。

もっと言ってしまうと厳しいことだが、アジア人には、あるいはモンゴロイドには、いつの間にそうなったかはわからないが、全般的に「奴隷体質」が染み付いているようなところが確かにある。

だから日本人は決して「他のモンゴロイドと同じ、他のアジア人と同じ」であってはならないのである。

日本人の第一の敵は白人だが、だからといって他の「親日」そうなアジア人に擦り寄るようなことがあってはならない。タイヲタのやってることも中国ヲタ・チャイナスクールのやってることもこの意味で同じである(中国はどう見ても親日とはいえないが、チャイナスクールの妄想の中では「必ずいつか分かり合える兄弟」なのではないか?)。

日本人はあくまで日本人であって、特別な存在だと考えるべきである。このようなアイデンティティが孤独なものであることは確かだが、日本人はアジア人でもモンゴロイドでももちろんコーカソイドでもない「日本人」であることに「絶対的な」「無条件的な」誇りを持つべきだと思う。

アーリア系ネパール人、とくにバウン(ブラーマン)は、ネパールにいる限り絶対的なプライドを持っていると思う。(それでもインドでは「ネパール人」であるがゆえに賎民のような扱いを受けるそうだが)。

ツーリズムにいるバウンやチェトリ(クシャトリアに相当)が白人との関係で日本人などを見下す態度をとることはあるが、それは自分たちを白人と同列の位置にあるものとみなして「ボテにすぎない」日本人を蔑む態度をして憂さを払うという(かなり苦しい)心理的な試み、といったところだろう。
 

2日ほど前にある日本食レストランで見た白人客はひどかった。私が日本食レストランに行くのは食事のためでなく、少しましなコーヒーやミルクティーを飲むためである。私は海外にいて日本食を食べたいと思ったことはない。

その毛唐はカップルで来ていてドイツ語をしゃべっていた。自分たちが並んでカウンターに座りたいからといってカウンターで飯を食っている日本人客をよけさせる。まともに口を利いていない。まるで土人を払いのけるかのように手で指図して席を開けさせていた。カウンターに座ると狭苦しいのが気に入らないといった様子で、今度は初めからあいていた後ろの座敷席に移っていった。その後も、カウンターの日本人客の頭を掠めるようにメニューをかざして客の耳元で料理人にあれこれ食い物の質問をしたり注文をしている。毛唐はいつもそうだがそれが長引く。そしてその間、カウンターにいた日本人は卑屈な態度ですべて毛唐に譲っていた。

アジアで見かける日本人ツーリストには、どこへ行っても白人と現地人に対してはこのように卑屈に振舞うことが日本人として正しいマナー、日本的な美徳だと思い込んでいるのが多いように思う。しかしこういう外人の筋の通らないヤンチャに対して卑屈に振る舞い譲歩することが本当に本来の日本的な態度といえるのだろうか。

私はそうではないと思う。相手が誰であろうと筋の通らないことには屈しない、原則に従って対応する、というのが日本人の伝統的な姿だったのではないかと思う。明治時代の人、戦前の人はそういう風に行動していたか、少なくともそのように行動することが正しいという共通認識を持っていたのではないだろうか。

その後にも日系レストランに乗り込んできて大声で一人舞台を演じる白人女を見た。店にいたのはネパール人客と日本人客ばかりだった。その白人女も自分だけが客だという感覚だったのだろう。大声を出してどうでもいいようなことをあれこれ聞き、店内あちこち風を切ってうろつきまわっていた。

今はツーリスト自体は少ない。白人ツーリストも数は少ないのだが、3年前に比べて毛唐密度、白人遭遇危険性はかえって増大しているような気がする。

そう感じるのは、ツーリストが減ってタメルで働く人が少なくなったせいか、ローカルレストランが少なくなったからだと思う。以前通っていたローカルなお茶屋が軒並み消えている。白人なんかまず来ない穴倉のようなところだが、私にとっては隠れ家のようなお気に入りの御茶屋が何件かあった。味もまずまずだった。毎日のように通っていて食事もしていたが、ほとんど潰れていた。改築されて英語メニューのあるツーリスト向けのカフェになっているところもある。

この数年の間に韓国の影響もますます強くなっているようである。いわゆる日本人宿だったところも韓国人宿泊客の方が多くなっていることが多いという。

韓国人客が増えることで日本人客が離れるかどうかは、ネパールのツーリズムは2chでもタイでもないので、定かではない。しかし中国人が入るようになるとその宿はほぼ終わりであろう。

チェトラパティのほうにあるお気に入りだったローカルチベット食堂はかろうじて残っていた。しかし今回はトゥクパを注文するとキムチがついてきた。以前はそういうことはなかった。いまはアジア各地でこういうことがある。たとえばカンボジアの屋台の蒸した孵化卵にもキムチがついてくることがある。ここ3年ぐらいの変化だと思う。
 

ネパールは政変でツーリズムは打撃を受けていたはずで、現にツーリストの数は減っているが、カトマンドゥの近代化の勢いは止まらないようである。ようするに、援助経済だから、ツーリストが来なくても国に入ってくるカネ自体はそれほど変わらないということなのだろう。分配の問題だけである。

ツーリズムが唯一の産業の国でツーリストが来なくても近代化だけは進んでいる。

近代化を支えている援助経済の援助の主体は日本などである。日本が援助したカネで欧米の物を買い、欧米企業に落札させる。日本は援助はするが入札には弱いだろう。アメリカがイラクでいくら市場を独占してもそのこと自体は批判されることはないが、日本がちょっとひも付き援助をすれば内外から声高に批判される。

日本人の税金がネパールなどを通して欧米企業に流れているだけということではないのだろうかとふと思った。

あるネパール人に、王政廃止になったら国王はどうするんだろう、外国に亡命でもするんだろうかと聞くと、「ネパールに残ってブラックビジネスマンを続けるだけだ」と言っていた。今までもやってきたヤクザ稼業を民間人として続けるだけだと言うこと。

10年前に初めてネパールに来たときのことを思い出すと、この辺もまったく変わってしまった。古い建物がどんどん壊されていく。3年前には残っていたチェトラパティからカスタマンダプに向かう道沿いの古い町並もほとんど壊されている。

早朝タメルの町を歩いてみたが、祈る人の姿がまったくない。以前はタメル近辺でもいろいろなところで礼拝する人の姿を見た。暗いうちから道端に献物をして蝋燭を立てて礼拝する人など。そういう人もまったく見ない。

そういう習慣もなくなったのかと思って宿の男に聞いてみたら、早朝道端に献物をして祈るのはネワール人だけの習慣で、ネワール人の老人が死んだ後1年間だけやるのだということ。ネワール人は死者の霊が死んだ後しばらく町をさまよっていると信じているからということだった。それを聞いて少し安心した。

どの国でも古い習慣、とくに宗教的な習慣を守っていくことは、「独立」を守るために無条件に重要なことだと思う。他国の人に理解される必要はない。むしろ中途半端に解釈されない方がいい。「わかってしまった」ことは「卑近」なことになる。そういう「非合理的」で外の人にはよく理解できないことを厳しく守っているからこそ尊敬にも値し、いいかげんに扱ってはいけないと思わせるのである。そういうことがなくなると本当に魅力のない人間たちに見えてくると思う。

チベット人が西洋人を味方につけるためにチベット仏教を通俗的に説明してパンフレットをばら撒いたのは失敗だったと思う。

この辺でチベット僧服を着て風を切って大またで歩いている毛唐たちが「ゾクチェンとは・・・・わかっちゃった」、という感じで得意になって白人の仲間に説いて回ったりしているのだろう。そういう「わかりやすい」解説書がいっぱい出ているのだから仕方がない。こういうことになってしまった以上、チベット文明は、内では中国に弾圧され、外では白人に消費されて、やがて消えていかざるを得ないだろうと思う。
 

カトマンドゥ Kathmandu その1

3年ぶりのネパール。

1月29日。

相変わらず露天降りのトリブヴァン国際空港に降りる。

飛行機から出たとき、いつもならその瞬間に感じるあのネパールの匂いがしなかった。私の鼻が鈍くなったのか、ネパールの匂いが薄れてしまったのか。
閑散とした空港。中国人客目当ての客引きが目立つ。

3年前まではゲストハウスの客引きがタメルまでただで乗せてくれたが、今回はゲストハウスなどはそういうサービスはもうやめているようだった。
以前は目当てのゲストハウスの名前を叫ぶだけで誰かが寄ってきた。宿からコミッションを取っていたのだろうが、それでいつもタダだった。
今回はどうしてもそういうわけには行かず、タメルまで定価400ルピー、相乗りなら200など。
相乗り客を10分ほど待ち、200ルピーでタメルまで行く。相乗り客は前払いをしたらしかった。いくら払ったかもわからなかったし、あえて聞かなかった。
渋滞だと言う口実でタメルチョークの手前で降ろされる。一瞬地理がまったくわからなくなった。しばらく歩いているうちにだんだん思い出してきた。

カトマンドゥは今よく冷えている。震え上がるほど寒い。風もよく吹いている。薄いセーターを一枚持って着てよかった。体の芯からガタガタ震える体験は久しぶりだ。水は昼間から手が痛くなるほど冷たい。

ネパール人は東南アジア人に比べれば親切で感じが良い。今回はそれを強く感じた。

どこでもそうだが、白人ツーリストが多いところはどうしても「土人式」になる。

とはいってもネパールの場合、そういう金になる場所で働いているのはバウンやチェトリが多く、顔が白人に近かったりすることもあって、土人式へつらいの白人崇拝というよりはカースト意識からくる同族意識に近いものを感じているのかもしれない。

アムステルダムやウィーンあたりから直行便で来るやつはひどい白人が多いだろう。そういうのを中心に相手している業者も多いはずである。ドイツ系には「アーリア人は優秀だからインドやネパールでも上位カーストなのだ」というような理屈を喜ぶ者も多いようだ。そういうことをアーリア系のネパール人から言ってもらったり、言いあったりして喜ぶのであろう。(「アーリアン」という表現はネパールでは普通に使う英語である)。ドイツ系の人間で仏教やヒンドゥ教に関心を持つ者の動機には、アーリア人至上主義や反ユダヤ主義が潜んでいることがある。ドイツ人が書いた「イエスは仏教徒(でアーリア人)だった」という趣旨の本が日本でも翻訳出版されているが、これらの動機がにじみ出ていた。

しかし、タメルThamelからジャータJyatha、アサンAsanなどを久しぶりに歩き回って感じたことは、やはりカトマンドゥの強さ。

カトマンドゥはこれだけ観光に依存し(実は日本などからの援助が第一収入源だろうが)大量の白人ツーリストを集め、誰もが英語を話せるにもかかわらず、決して毛唐力に負けてしまうということはない。毛唐力に負けない強さを持っていると思う。

もちろん毛唐にこびるやつは大いにこびているし毛唐の茶坊主のようなのはツーリズムにはいくらでもいるが、それでも全体としてみるとカトマンドゥは独立していると感じる。東南アジアのように全体として毛唐に身も心も捧げてしまっているということはないと思う。

3年前に出たときと同じゲストハウスに入った。

驚いたことに、3年前にゲストハウスのストアに預けて行った荷物をそのまま保管してくれていて、受け取ることができた。キャリーバッグとビニールバッグ。

3年間音沙汰なし、電話もメールもしたわけではない。まず無理だろうと思って半ばあきらめていた。ちょっと信じられないことだった。

失くしてしまうには惜しい本などを入れていたキャリーバッグは、鍵もかけておかなかったがまったく荒らされていなかった。ビニールバッグの方はネズミに食い荒らされて中がネズミの糞だらけだった。こちらは衣類などだったので全部捨てた。

ゲストハウスのボーイと話をした。この男はバウンで、トリブヴァンに通っていて英語はもちろん良くできる。マレーシアに出稼ぎに来ているネパール人たち、飛行機で一緒だった連中の話をすると、「マレーシアなどに行くネパール人やインド人は教育がない人たちで、教育がある人たちは欧米や日本やオーストラリアに行く。だからマレーシアのネパール人は差別されるのだ」などと言っていた。「オーストラリア」は余分だと思ったが。

空港

ネパール暫定議会、王制廃止を正式決定

現在のネパールの「ゴルカ王朝」がカトマンドゥを征服して王位についたのは1768年。

ゴルカの辺りにいたアーリア系の武士カーストのサハという一族が、カトマンドゥに進入し、ビルマ語系のネワール族の王朝を倒して新王朝を立てた。

しかしそれでも、生き神少女「クマリ」(ネワール族から選ばれる初潮前の少女)による承認の儀式を経て王位についたということ。いくら侵略王朝でもこれをしないとカトマンドゥの人々からは王として認められない。

タイの現王朝、チャクリ王朝が謀反によって王権を奪ったのが1782年だから、タイ王室より少し歴史が古いということになる。

アジアの王室がまた一つなくなるのは残念ではある。白人のアジア支配の常套手段は、まず現地王室を排除する、現地の王家一族を滅ぼしてしまうということだった。

しかし、先代のビレンドラ国王ならともかく、ギャネンドラではなあ、というところも確かにある。

それをいえばタイも明らかに明日はわが身だろう。

もっといえば畏くもわが御皇室とてまったく試練を免れているとはいい切れないのだ。
 

2007年12月29日 02:59 発信地:カトマンズ/ネパール

【12月29日 AFP】ネパール暫定議会は28日、王制を廃止し共和国を宣言することを正式に決定した。

 採決は321議席中、賛成270、反対3の賛成多数で可決された。残りの議席については欠席あるいは棄権だった。

 しかし、前週ネパール共産党毛沢東主義派と暫定政府との間で合意した共和制への移行は、第1回目の制憲議会で施行となるるため、ギャネンドラ国王(King Gyanendra)は当面王位にとどまることになる。制憲議会選挙は、来年4月中旬に実施される見通し。

 また、毛派と政府が王制廃止に関する23項目について合意に達したことから、憲法改正案が暫定議会に提出された。(c)AFP

http://www.afpbb.com/article/politics/2330548/2481507

 
ちなみに、タイの現チャクリ王朝によって倒されたトーンブリ王朝は完全に中国人だった。トーンブリ朝のタークシン王は「潮州中国人の子で、父親は賭博場で税徴収をしていたと言われる。」(ウィキペディア)。ビルマの侵略に乗じて華人の勢力を集めアユタヤ朝を乗っ取ったようである。

現チャクリ王朝ラーマ1世は謀反によって王位を簒奪後、中国(清)からシャム国(タイ国)の新しい王鄭華(ラーマ1世)は、父タークシン王の意志と遺領を受け継ぐことを認める」という許可を得て王位についた。つまり現在のタイ王室も中国の柵封を受けた王朝だということ。要するにアジアの万年属国の一つ。

小腸全摘ネパール少女、助けを求め来日

10月7日18時56分配信 産経新聞





9月中旬、ネパールから1人の少女が両親に伴われ来日した。少女は、現地の医師から死を宣告されていた。唯一の希望はインターネットで見つけた東北大での治療。しかし、家族には、日本の高額な医療を受けられるほど金銭の余裕はなかった。それでも「日本に行けば助けてくれる」との一念で渡航してきた。家族に頼られた医師は少女を助けようと、「基金」を設立し、寄付を募ることにした。(豊吉広英)



 「もう手に負えない。助けることはできない」



 ネパールの首都、カトマンズの小児病院。アーバ・ドゥワディちゃん(7)が医師からこう宣告されたのは8月5日のこと。夏休みを利用し、家族でカトマンズを訪れていたアーバちゃんを襲った激烈な腹痛。腸捻転を起こし、壊死(えし)していた小腸と右結腸は緊急手術ですべて摘出されていた。



 小腸を摘出した場合、患者は口から摂取した食物を消化・吸収できず栄養失調に陥る。通常、残った腸の機能が回復するまでカテーテルで高カロリー輸液を投与し、場合によっては小腸移植が必要になるが、ネパールでは無理な治療だった。



 「どこか助けてくれる医師はないか」。親類が必死にネット検索をかけた結果、目にとまったのが、小腸移植の実績を持つ東北大学医学部(仙台市)の小児外科だった。



 連絡を受けた大学側は困惑した。助けたい。でも費用の問題がある。無保険なら通院でカテーテルを使って栄養投与するだけで年間200~300万円。入院費、滞在費。小腸移植が必要ならその手術費…。「費用が払えるめどがつけば」と条件を付けた。



 ネパールでタバコのセールスをする父、アルンさん(28)の月収は日本円で約1万円。借金などで約70万円をかき集めたが、とても足りなかった。



 9月15日夜。小児外科の天江新太郎准教授に突然メールが届いた。「今飛行機に乗り込んだ。16日朝に到着する」。急いで成田空港へ行くと、そこには腹部から大量に腸液や便が漏れだし、車いすに座ることもできない少女と両親の姿。「とにかく日本へ行こう」。決死の渡航だった。



 来日から約3週間。アーバちゃんは体力が戻りつつあるが、今後の検査結果次第では予断を許さない。日本語のできない両親は留学生の家を間借りした。用意した現金は残り少ない。



 天江准教授らは「アーバちゃん基金」を設立した。「医師が(募金を)募っていいか迷ったが、目の前で苦しむ子供は見捨てられなかった」(天江准教授)。



 アーバちゃんは元気になったら、「外に出て遊びたい」と話している。









小腸全摘ネパール少女、助けを求め来日

ベッドの上に座るアーバ・ドゥワディちゃん。病院では新聞の折り込み広告の食べ物を見るのが楽しみという=仙台市青葉区の東北大学医学部付属病院(撮影・豊吉広英)



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