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マラッカ航海日誌補遺

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日本の捕鯨船を追尾、オーストラリアの監視船が出港

監視船というよりテロ船だな。

正義は100パーセント自分にあると信じている集団が「敵」と対峙しようとしているわけだから、「正当行為」を妨げるものは何もない。上手にビデオを撮ってまたネタにできるだけ。

彼らの卑劣なところは、自分の命は安全なところに確保し、「世界の世論」を背景にして逃げ道、隠れ場所をたっぷり用意した上でテロ行為に及んでいることである。

その意味で、彼らに比べればイスラム主義テロリストの方が道義的にはるかに優位に立っているといわなければならない。

彼らのようなチンピラ外道を「テロリスト」と呼んだら幸徳秋水も石川啄木も不満を漏らすだろうから、そんな立派な言葉は使わないほうがいいのかもしれない。

「アジア幼女への情熱」がときに気まぐれで「反日、反捕鯨」に向かっているだけのゴロツキ白人の群れ、というところだろう。
 

1月9日19時19分配信 読売新聞

【シドニー=新居益】オーストラリア政府は9日、日本による南極海での捕鯨を監視する船「オセアニック・バイキング」号が8日、豪西部パース郊外の港を出港したことを明らかにした。

 監視船は20日間の日程で、日本の捕鯨船を追尾し、豪州が日本を国際法廷に提訴した場合に使用する写真やビデオの「証拠」を収集する。期間中、航空機による空からの監視も予定している。
 

オーストラリアカテゴリー
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/cat5036306/index.html
 

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「イスラム学校ができたらムスリムを無差別に襲撃する」と公言犯罪予告し、建設予定地に豚の生首をさらすオーストラリアのアングロサクソンたち

ネオナチそのものというほかない。ムスリムに対する無差別襲撃を宣言する群衆。Vandalismとはまさにこのことかと思う。

しかも与野党の政治家も知識人もメディアも誰もそれを批判しない。

オーストラリアとはこういう国だということ。

しかし外国の白人メディアも及び腰である。

昨日のマレーシア紙New Straits Timesに載ったReutersの記事だが、ロイターを検索しても出てこないし、AFPの記事は甘くなっているので、抜粋して書き出します。

New Straits Times  Friday,December 21, 2007 より

Police broke up a large crowd protesting on Wednesday night against plans to build an Islamic school on Sydney's rural outskirts, with some vowing to assault Muslim students and their families if it proceeds.

A male protester told local radio outside a meeting called to oppose the school's construction that if it was approved, "about 30 Aussies" would attack any Muslim who showed up.

Community tensions have been rising in the town of Camden, on Sydney's south-west fringe, over plans by the Quranic Society to build a school for  1,200 pupils.

Two pig's heads were rammed onto metal stakes and an Australian flag draped between them on the site of the proposed school last month in a protest that raised fears of a repeat of racially-motivated riots on a Sydney beach in December 2005.

(中略)

Race riots erupted at Sydney's Cronulla Beach two years ago as the predominately Anglo-Saxon residents attacked anyone of Middle East appearance, believing they were Muslims intent on taking over their beach.

Camden Council claims to have received thousands of written objection to the school and will decide in March on whether to allow it to be build.

State upper house Christian Democrat MP Fred Nile told the meeting he did not want Australia to becom complacent about Muslim immigration, calling for a moratorium on new arrivals, according to a report in the Daily Telegraph newspaper.

"This is an attempt by social engineers to inflict culture shock on Camden," said opposition MP Charlie Lynn, who also attended the meeting.

(後略)

- Reuters

これに比べたら、ウソだった「チョゴリ切り裂き事件」なんか、仮にホントだったとしてもぜんぜんかわいいものに見えるだろう。

ムスリムが豚を不浄なものとして嫌悪することは言うまでもない。

イスラム学校というのはただお勉強するところではないと思う。コーランを学ぶところである。コーランを学ぶこと読むことはそれ自体イスラム教の主要な宗教行為の一つであり、コーランを学ぶ場所は、彼らにとっては礼拝の場所に準ずる聖なる場所なのだと思う。普段はスカーフをしない女性でもコーランを読むときは白いスカーフをつけたりして、ムスリムとしての正装をしている。

(豚を不浄なものとして嫌悪するのはムスリムに限らない。キリスト教を除く大宗教の多くが豚を嫌う。逆に、豚が好きなのはタイ人、中国人など。ブタばっかり食べてるとブタ体質になるのではないかと思われる)。

シドニー近郊の町で、暴動寸前の様相である。オーストラリアの政治家たちも左右を問わず殺人予告者に同情的なようだ。

関連記事: シドニー白人暴動
 

「国境なき記者団」Index その5 タイの急降下

「タイのプレス自由度ランキングが急降下したのはクーデタがあったからだろう」で納得してしまうのは、あまりにも猿な頭である。

われわれは猿ではないので、もっといろいろ考えてみなければならない。

つまり、ちょっと前はどうしてそんなに高く評価されていたのか、ということである。

タイは、今も昔も、国王王室批判が絶対のタブーの国である。外国人にも許されない(白人には目こぼしがあるが、日本人はタイ人と同じに扱われる)。それは命にもかかわるものである。

人権が普遍的(universal)だなどと誰が言ったものであろう。

そしてその同じ旗を振り回す「国境なき記者団」が、タイには大甘で、「タイの自由」を大いに賞賛してきたのである。

問題は、タイでは国王に対する不敬が厳罰に処せられ社会からも残忍な制裁の的にされる、というだけではない。

タイでは、そのような地位を持つ国王が現実の最高の政治的権力を保持し、莫大な財力を有し、さらには国王の私兵としてのタイ軍およびタイ警察を抱えている、いわば「国家」以前にインドシナ半島の巨大なマフィアだというところにある。

これも今も昔も変わらない。タイがそういう「国体」であることは誰もが知っていたことである。

それにもかかわらず、「記者団」がなぜこのような国の自由度を、2、3年前には現在の日本に並ぶほど高く評価していたのかは、やはり興味のあるところである。

ところで話は変わるが、以前スマトラに行ったとき、ホテルでテレビを見ていたらインドネシアのテレビ局のタイ特派員が映っていた。

その人はほとんど完全な白人だった。インドネシアは少数ながらいろいろな白人系の国民がいるようである。ポルトガル系などのほか、シリアやレバノン系など(非常に)白いアラブ人の混血もいるようである。

インドネシアは特に白人崇拝の強い国ということではないし、エリートを白人系が占めているという国でもないと思う。

しかしタイ特派員はほぼ完全な白人だった。

ここからはまあ、私の憶測だが、タイ特派員に白人を起用するのは、そうすることがタイでの仕事には便宜だからだと思う。

もしもインドネシアのテレビ局が、インドネシア人丸出し顔の記者をタイに送り込んだら、タイでは鼻にもかけられないだろうし、インタビューもろくにしてもらえないだろう。建物に入れてももらえないかもしれない。

タイ人の、他の東南アジア人に対する差別意識は強烈である。

白人記者たちに対する「特別の厚遇」が、タイの「自由」度を押し上げていたということは、大いにありそうなことである。

日本の会社も、タイ特派員・駐在員は白人系でかためたほうが有利かもしれない。その時にはなるべく、父親が日本人で母親が白人という人を採用する。こんなことでもタイ猿を威圧することができるかもしれない。

長年の売春外交、レンタルワイフ経済のおかげで、父親が白人のタイ人はいくらでもいるが、白人が白人という人はタイには少ない。

ちょっと下品な話になってしまったが、タイ人というのはそのレベルの連中なのだから仕方がない。

前記事:

「国境なき記者団」Index その4 オランダ4位
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2006/11/index44_d5d9.html

「国境なき記者団」Index その4 オランダ4位

東南アジアでオランダ人を探していけば、オランダ人がいかに低劣で品性下劣な国民であるかは容易にわかることである。

ただ、その国民の品性の下劣さと「プレスの自由」度とが関係あるのかどうか、品性下劣な国民でも十分な「プレスの自由」を保持しうるかどうかは、確かに別の問題といえるであろう。この問題を本当に考えるためには、「プレス」とは人間にとって何なのか、とくに人間の「徳性」とどういう関係があるのかを考えなければならないし、プレスが「自由度」を増すことが、プレスの性質をどう変化させるのかについても考えなければならない。

しかし、「国境なき記者団」らも当然の前提と考えていると思われるように、プレスが「自由度」を増すことが、「プレス」の質を高め、ひいては(さまざまな経路を経て)その国民ないし「市民」、いずれにせよ「人間」の幸福を増進させ、そして人間が「幸福」であることは単に主観的な快感を得ることに限らず、当人がより高い「徳性」を得ることでもある、という前提に立つならば、その国の「プレス自由度」とその国民の「徳性」とがまったく無関係というわけにはいかなくなるはずである。

「プレスの自由」を純粋に手続き的にのみ評価するならば(できるならば)、現実のオランダ人が下劣であることとオランダのプレス自由度とは無関係といえるかもしれない。しかし「国境なき記者団」がそうしているように、「プレス自由度」の評価に際してプレスの思想内容をも考慮する以上は、これらはまったく無関係とはいえないであろう。

「日本のナショナリズム台頭」という評価が、該「記者団」による日本の「プレス自由度」を大きく引き下げたように、「記者団」はプレスが発する思想内容自体のみならず、その国民の「思潮」や思想傾向までも考慮に入れて「自由度」を評価しているのであるから、これはなおさらのことである。

このような「記者団」基準によれば、ある国民が国民精神として「寛容」性を失うならば、「プレス自由度」も引き下げられるであろう。寛容は人間としての徳性である。

したがって同じく人間としての徳である「他者への配慮」や「謙虚さ」や「礼節」を失っている場合にも、「記者団」基準に従うならば、そのような事態を惹起しあるいは容認している「プレス」の「自由度」は大いに疑われなければならないはずである。しかし、「記者団」インデックスはそうはなっていないようである。

私が数ヶ月前、マレーシアのツーリストポリスのロビーに座って順番を待っていたときのこと、首が真っ赤に焼けて半ズボンをはいた注意散漫な感じの一組の若いオランダ人の家族連れがどかどかと踏み込んできた。オランダ人であることはその後の会話などからすぐに知ることができた。

窓口横のソファーには私とおそらく中国系マレーシア人らが座っていたのだが、このオランダ人家族連れはその場に入ってくるなり、私たちの方をにらみつけ、犬か乞食でも追い払うような手振をして、シッシッと追い払い自分たちがそのソファーに座ろうとしたのである。私が「われわれも待っているのだ」といってもなお納得がいかないようで不満そうにたたずんでいた。もちろんソーリーの一言もあろうはずがない。

さらに先客の用事が済み私の順番が来ると、オランダ人は当然のように先に窓口に割り込もうとする。

マレーシアの役所はタイに比べれば露骨な白人優先は少ないが、それでも白人にはアマアマである。私が何も言わなければ彼らを当然のように受け付けるところだった。

私は「あんたは白人だけがツーリストだと思っているのか」とか「レイシスト!」とか、礼儀の正しすぎる抗議をして彼を止めたのだが、オランダの輝かしい「プレスの自由度」のせいか、彼らにはそういう込み入った理屈は理解できないようで、まったく反応せず、ただやや躊躇して引き下がったという体であった。

子供もつれている家族である。しかもはるばる「外国」(彼らにとってはいまも何でもできる植民地に過ぎないかもしれないが)に来てまでこの振る舞いである。

本国でどんな仕事をしているのかわからないが、妻のほうも同じく無反応、というより野蛮人がなんかごねているという風情である。

彼らが子供にどんなことを教えているかも想像がつくだろう。オランダは将来にわたって「絶望」である。アムステルダムのセックス産業で「記者団」らに大いに自由を売り込み、そのブランドイメージで食っていくのがいいところだろう。

さすがにマレーシアの役人はタイ猿とは違い、後ろにいる白人をわざわざ呼んでまで先に受け付けるという猿芸はしなかった。

実に、「国民」というものは言論によって形成されるものである。オランダの誉れ高き「自由なプレス」は、このような輝かしいオランダ国民を創出している。

家族連れではるばるマレーシアまで来るのだから、本国でまったくの「土方」というわけでもないのだろう。

日本人なら、現に座っている人間を立たせて自分が座ろうとすること自体、どのような状況であれ非常識と考えるのが普通である。

しかしオランダ人にとってはそうではない。

このオランダ人たちは、私も同じ立場のツーリストであるということを知ってからも、自らの振る舞いを謝る気配もなく、恥じる様子はさらになかった。有色人種が何か文句を言っているようだが自分たちには関係がない、どこ吹く風、という様子であった。

つまり、オランダ人にとっては、<有色人種が白人に座を譲る>ということは当然のことであって、礼節以前の「ルール」なのである。

オランダ人とはこういう国民なのだ。

そして、彼らのこういう意識、すなわち血肉化した白人至上主義の意識、を再生産し継承させているのは、まずもってオランダの教育であろうが、その教育を批評すべきは報道でありプレスであるのだから、つまるところ、オランダの白人至上主義を支えているのはオランダの誉れ高き「自由なプレス」にほかならないということになるだろう

このような「血肉化」した白人至上主義が、批判されたこともなければ批判される余地もないというのがオランダの「プレス」だということである。すなわち徹頭徹尾白人至上主義に裏打ちされたもの、それがオランダの「プレス」の性格だということである。

そして、このような国オランダの「プレスの自由」を4位に祭り上げ顕彰している「国境なき記者団」もまた、彼らが「自由度」を言論の「内容」や思潮をも考慮して評価していることを告白している以上、同じくこの血肉化した白人至上主義をオランダ人とともに共有しその本性とする白人組織であるというほかはない

日本の「ナショナリズム」の台頭を憂慮する「国境なき記者団」だが、オランダ人の「骨の髄までしみこんだ白人至上主義」については、当然のように容認していることは確かである。これは彼らにとって、「プレスの自由」以前のいうまでもない「大原則」なのである。人間と猿との違いと同じわかりきった前提、猿は所有権を享受しうるかというのと同レベルの話なのであろう。

それにしても、「国境なき」と称する団体が「国別」ランキングを発表するというのも変な話である。そこで国の制度以外の「国民」意識(「ナショナリズムの台頭」など)を勘案するというのもますます矛盾したことのように思われる。

そして前にも書いたように、「プレスの自由」度が乱高下するということ自体が、ウソの証拠なのである。

情報の自由は、それが本物であるならば、さらなる自由を要求する性質を持つと考えられる。その社会の情報が多様で豊かなものになっているならば、それを制限することは権力をもってしても難しいと思われる。

そして今の日本のプレス環境において、「プレスの自由」をもっとも熱心に求めているのは、この白人至上主義「記者団」らが危険思想視している日本の「ナショナリズム」の陣営にほかならないと思われる。早い話が、日本のメディアで既得権を持っているのは概ね左翼なのだから。

前記事:

「国境なき記者団」Indexについて その3
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2006/10/httpwwwrsforg.html

「国境なき記者団」Indexについて その3

前記事で私は、タイに対する数年前の高すぎる評価と今年の急降下の例を挙げて、彼らのこのインデックスを規定しているのは「言論の自由」とは無縁の「何か」ではないか、と書いた。すなわち「自由そうな形式」とか、「恩典としての欧米記者優待」とか・・・・と。

私は重要な「何か」を書き忘れていた。それは、コンテンツである。

すなわち、彼らのインデックスにおいては、「プレスの自由」が十分に保証された結果として多くの人々の意識を反映して台頭した論調であっても、その「内容」が彼ら「記者団」の気に入らないものである場合、すなわち白人的価値観、白人的「政治的正しさ」に反するとみなされる場合には、「プレスの自由もなかった」ということになるのである

今回はこの点について考えてみたいと思う。

国境なき記者連中:ホームページhttp://www.rsf.org/

このホームページで顔出ししているのが白人でなかったとしても彼らが白人イデオロギーの代理人であることに変わりはない。

同インデックスhttp://www.rsf.org/rubrique.php3?id_rubrique=639

日本に関する記述は次の通りである。

Rising nationalism and the system of exclusive press clubs (kishas) threatened democratic gains in Japan, which fell 14 places to 51st. The newspaper Nihon Keizai was firebombed and several journalists phsyically attacked by far-right activists (uyoku).

日本は昨年度に比して14位もランキングを落としたが、その理由は主に「ナショナリズムの台頭」ということらしい。「記者クラブ」は昔からあるから今年ランクを落とした理由にはならない。

なお、彼らは、日本の「特殊性」と「閉鎖性」を強調したいためか、わざわざkishasなどというローマ字を使っている。kishasで記者クラブのことを指しているようである。「日本の記者クラブ」をkishasと訳す慣用表現があるのかどうか私は知らないが、彼らは日本語など読めも書けもしないのだろう。uyokuのローマ字表記についても同じで、日本語を使うことにより何か特殊で凶悪な闇の勢力の存在を示唆し、日本の後進性、野蛮性を強調する意図があるのあろう。

しかし、新聞社が右翼の看板を掲げた者に襲われることによって誰が政治的に得をするかは中学生でもわかることことである。そのような右翼構成員の多くが在日韓国人であることも、いまでは周知の事実である。彼ら「記者団」にこのくらいのことが理解できないわけがないが、彼らはあえてこれらを見ようとしないのである。見ないことに彼らの利益があるからである。

そして、日本のナショナリズムの台頭は民主主義の成果を脅かすものであるという。

近年の日本に、彼らの言うところの「ナショナリズムの台頭」にあたる現象があるとしても、私はそれが「不自由なプレス」から生じたものとは思えないし、「プレスの自由」を脅かすものとも思えない。むしろ「自由な言論」からようやく生じてきたものだと思う。

というのは、近年日本の「ナショナリズムの台頭」といわれるもの、すなわち「ようやく少しずつまともな方向に向かっていること」は、インターネットの普及によるところが大きい。

この思潮は、インターネットによる自由な言論交換の結果として形成されてきたものである。自由なインターネットの普及により、左に傾いた姿勢で既得権益を形成していた伝統的プレスの権威による思想統制が効かなくなってきた結果なのである。

しかしこのような点は彼ら白人「記者団」の目には入らない。仮に入っても見ようとしない。

彼らはインターネット言論を「自由でない」というのだろうか。pressとは認めていないかもしれない。彼らが日本語のインターネットをインターネットだと思っていないという可能性は高い(確かに日本語ができない限り、世界的なインターネット空間からみれば閉鎖された空間ではある)。それ以前に、彼らが「日本語による言論」を「言論」だと思っていない可能性もかなり高い。

彼ら白人「記者団」の基準によれば、タイのような国の「不自由なプレス」の報道であっても、その「思想内容」が白人の気に召すものであるならば、そのプレスは「自由」とされるのである。

2、3年前のタイのランキングは今年の日本のランキングに伍していた。したがって、2,3年後には日本でも軍事クーデタがおきても不思議ではない。十分警戒を要するところである。

逆に、現実に「自由なプレス」が報じるものであっても、その「思想内容」が白人の気に召さないものであればそのプレスは「不自由」とみなされる

日本の「自由なプレス」、日本の自由な記者たちが、その自由な選択として報じたものであっても、その「内容」が彼ら白人の目に彼らの嫌悪する「日本のナショナリズム」と映るならば、「日本のプレスは自由でない」というレッテルを貼られるということである。

さらに彼らは、日本の「ナショナリズム」は民主主義に対する脅威であるという。日本のナショナリズム自体がそれだけで「プレスの自由」を脅かすものであるか、あるいは、「プレスの自由」が迫害された結果であるかのどちらかに違いないというのが彼らの教条である

彼らは、韓国やフランスのナショナリズムがいかに偏狭で独善的なものであったとしても、それらを「プレスの自由に対する脅威」とも「プレスへの迫害の結果」とも考えないのだが、日本のナショナリズムはたとえ十人並み以下のものであったとしても、「危険」な傾向とみなし脅威のレッテルを貼る

これは、韓国やフランスのナショナリズムが、白人による世界支配にとって脅威でないからにほかならない。

なお、私も日本に十分なプレスの自由があるとは思っていない。

日本では西洋的価値を批判する言論はこのような場所以外ではタブーである。白人を批判することもタブーである。「白人」という言葉を使うことすら(白人自身によって作られた言葉であるにもかかわらず)タブーである。このような場所ですら、他の先進国ではありえないような粗暴な抑圧に悩まされる。このブログに対するNiftyによるthreatはその典型といえるだろう。

「記者クラブ制度」について言えば、この制度によって一番利益を受けているのは、報道内容が多くの国民に支持されていないにもかかわらずその権威によって生き延びているような大新聞であろう。そのような大新聞の代表が朝日新聞であるが、朝日新聞が左に傾いた姿勢で既得権益を形成している権威ある伝統的プレスであることは誰も疑わないだろう。

記者クラブ制度の利益を最も受けているのは朝日新聞だと思うが、どうだろうか。そして朝日新聞こそ、左翼的言論を売り物にし「台頭するナショナリズム」に最も脅威を感じこれを攻撃し続けているプレスの代表格であることは言うまでもない。

この点をとってもこの白人「記者団」の日本評価は矛盾しており、日本語も知らず日本の事情も何も知らないでどこかで読んできたことをそのままを書いているだけということがわかる。

ところで、

私はひとつだけこの白人「記者団」にご注進したいことがある

日本の「プレスの自由」を一番阻害しているのは日本独特の「新聞宅配制度」「販売店制度」であるということ。

これは、時には脅迫や暴力によって読者の新聞選択の自由を妨げることにより、プレスの自由な活動を明らかに阻害している。「ナショナリズム」や記者クラブなどよりはるかに新聞の自由競争を妨げるものであり、プレスの自由にとって有害なものである。

これはプレスの自由にとって有害なだけでなく、現実の危険をも伴う制度である。

犯罪者が刑期を終えて正業に就くときに、まず飛び込んでいくのが新聞販売店であることが多いといわれる。新聞販売店で働きながらその日暮らしような生活を続け犯罪を繰り返すものが少なくないという。

朝日新聞をやめようとして新聞販売店員に怖い目にあわされた人も少なくないのではないだろうか?

私は以前朝日をとっていたが、やめるのが大変だった。やめた後も、2,3ヵ月後にまた電話をかけてくる、最初は泣き落とし風に、断ると声を荒げる。

朝日新聞社に電話をかけても、「まったく別会社のやっていることなのでわれわれには関係ありません」と言われて終わりだった。

もちろん朝日だけではない。昔の毎日新聞の拡張員なんかは完全なヤクザだった。

この新聞宅配制度、販売店制度こそ日本の「プレスの自由」を現実に脅かしている最たるものである。

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