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マラッカ航海日誌補遺

国際手配の児童虐待容疑者(白人男)、カンボジア警察が捜査開始

こういうのが氷山の一角のさらに一角であることはすでに何度も述べてきたとおり。



それでもカンボジアはタイよりはまじめに児童買春に向き合っていると思う。タイではやるほうもかばうほうも「プロ」。白人世界には小児性愛を目的とした秘密結社が存在しており、アジアでの「宣教活動」に取り組んでいる。



「民族浄化」のために意図的なレイプが行われることからもわかるように、性的搾取はその被害を受ける民族集団、人種の文明的な活力を根底から破壊し再起不能にする効果があるために、白人による有色人種に対する性的搾取活動と白人優越主義の文明運動とは内的な結びつきをもつ。



現実にタイ北部山岳地域などでは白人ミッショナリーと児童虐待性犯罪とが組織的に結びついていることが多いようだ。すなわち、白人キリスト教ミッショナリーが「未開人」の「文明化」手段としてミッショナリーやその周辺の白人によるレイプや児童性虐待、および混血児作り、を容認しむしろ奨励しているというのが彼らの実態である。

http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2295867/2228078



2007年10月10日 21:19 発信地:プノンペン/カンボジア



【10月10日 AFP】カンボジア警察は9日、国際刑事警察機構(ICPO)の要請を受け、同国内で児童を性的に虐待しているとみられる白人男性の逮捕に向けて捜査を開始した。

 男は計12人の男児に性的暴行を加える自身の写真、約200枚をインターネット上に掲載したとみられ、ICPOが8日、国際指名手配した。写真が撮影された犯行現場は、ベトナムかカンボジア国内と考えられている。両国で盛んな「買春観光」産業は悪名が高い。

 ICPO初のカンボジア支部の副ディレクターKeo Vanthan氏は、AFPの取材に対し、カンボジア警察はこのような汚名を払拭すべく捜査への協力を惜しまないとしながら、現時点では容疑者を特定するには情報不足だと語った。
 
「逮捕にはまず容疑者の特定が必要だ。特定できないままでは、捜査は非常に困難だろう」(Vanthan副支部長)

 ICPOはウェブサイト上で、問題のサイトに投稿された加工画像から復元した容疑者の顔写真を公開している。これによると容疑者男性は30代から40代の白人男性で、暗褐色の頭髪は薄く、ひげはない。

 カンボジアでは児童買春が長らく放置されてきたが、取り締まり強化に伴い、2006年には前年の2倍に当たる10人の外国人が児童に対する性的虐待で逮捕された。(c)AFP
 

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シエムレアプ 2

7月9日。

クアラルンプル行きの航空券を買った旅行代理店が紹介してくれた「アンコールST」というホテルに入る。一泊20ドルの約束。

シエムレアプのネット環境はよくない。ネット屋は多いがポイペトより遅い。

ポイペトのネット屋はタイのサーバーを使っている。だからタイ政府が規制しているサイト、Youtubeなどは見られない。2ちゃんねるのエロ広告にも規制が入る。

シエムレアプではエロ広告も規制されないので、カンボジアのサーバーを使っているのだろう。しかし遅くなる。

シエムレアプはなるほど朝鮮人が多い。確かに、やはり、うざい。私はタイではツーリストの集まるようなところは避けて旅行するので彼らに出会うこともほとんどなかった。チェンマイに長居していたときも彼らにかち合うことはほとんどなかった。ツーリストの多い「いかにも」な場所、風紀の悪い場所、夜遊び、酒場、ギャンブルなどを避けていれば彼らにぶつかることはあまりない。たまにイサーンを一人で放浪している若い韓国人バックパッカーに出会ったくらいである。

どこにいても、いくら避けようとしても避け切れないのが白人であり、だれも来そうのない場所をことさら探し出して抉るように入ってきてマーキングしたがる白人のほうが頭痛の種だった。

しかしシエムレアプはすこし事情が違うようだ。ここは全体がツーリスト基地、そしていまは白人密度より東アジア人ツーリスト密度のほうが高いかもしれない。

中国旅社はどこにでもあるが、ハングルの看板が目立つ。もちろん場所による。

ネット屋にグループで乗り込んでくる若い挑戦人。ビーチサンダルならまだいいが、トイレ用プラスチックサンダルみたいなのをつっかけて、歩き方から表情からまるでチンピラのようである。

あれも嫌これも嫌ではだめなので、有色人種を叩くのは気が進まないのだが、まあシエムレアプはそういう場所だということ。

出発は一週間先である。ここでのんびりするのもいいだろうと思って出発日を一週間先にしたのは自分なのだが、ちょっと町を見渡してみるとこんなところに一週間もいるのかと思うと気が重い。

アンコールは数年前に一度見た。遺跡趣味でもないので何度も見たいとも思わない。近くの屋台レストランに毛唐が群がっていて乞食少女にちょっかいを出していた。

観光基地なので物価は高いし、ぼるのが基本のようである。なにごともポイペトのマーケットのようなわけには行かない。

おいしいコーヒーというのもなかなかありつけない。ありついてもホットコーヒー2000リエルとか。ここもアイスコーヒーが基本になりつつある。

ポイペトで毎日食べていた孵化しつつある卵や口の中が痒くなるミックスジュースなどはちょっと見た感じではありそうにない。ミックスフルーツシェークは一応ある。いくつか試してみたが、ホンモノのクメールミックスジュースとはいえない。

ホンモノのクメールジュースの要件とは何か。まず、ドリアンが入っていなければならない。ドリアンとジャックフルーツを惜しみなく入れることで口の中が痒くなるのである。そして硬いコンデンスミルクを惜しみなくぶち込む。さらに卵黄を入れる。氷でごまかさないこと。ジュースがグラスの3分の1になってもなおストローが立つこと。

しかし、ここは大きな建物もなく、ごちゃごちゃした感じもなく、緑が多くて南国の雰囲気があり、まあ環境の良いところだといえる。物価は高い。

ホテル「アンコールST」の人たちはみな親切でよくしてくれる。旅行代理店の紹介で来たからかもしれない。旅行代理店で何も買わなかったとしても、代理店を通したほうが飛び込みよりは安くなったり扱いがよかったりするのかもしれない。代理店としては恩を売ることにもなるから紹介だけでもしてくれるだろう。まあ、どうでもいいようなことではある。

タイ人のように、作り笑いの裏にねっとりとしたタメ、屈託、屈折、見下し、嫉妬などが渦巻いている・・・・ということはカンボジア人にはあまりない。

小間使いなど土人的ぶっきらぼうというのはどこにでもある。ポイペトのゲストハウスの掃除のおばさんが異常にぶっきらぼうなので何か怒っていることでもあるのかと思ってみていたが、そういうことではないようだった。

シエムレアプはネット環境は悪いが店によって速度が違う。店がたくさんあるのでうるさい毛唐などを避けようとすれば避けられることが多い。毛唐は公共の場所で必ず大声でしゃべる。それが彼らの支配確立の儀式なのかもしれない。

白人は自分たちが黒人以外の有色人種からも嫌われているという自覚がまったくない。彼らにはほかの有色人種たちからも迷惑がられているのだということを教えてやったほうがいいと思う。黒人に憎まれている自覚はさすがにあるようだ。だからマレーシアでも黒人客のいるところには白人は寄り付かない。なお、マレーシアにいる黒人は不法滞在であっても土方ではない。一般のマレーシア人よりも英語がよくできるような教育のある連中が多く、ペーパーワークのバイトをしている。

シエムレアプは観光基地だが、タイの町にはない健全な明るさがある。

空が開けていて緑が多い。町には清潔感があり空気も良い。植物の発する香を感じることのできる町である。

土人売春婦連れの毛唐はいないわけではないが、思ったよりは少ない。「観光客」が多い。タイ女がカンボジアに行きたがらないからだろうか、タイ女風のはわりと少ない。

(タイ売春婦は毛唐について「先進国」に行きたがる。ヨーロッパに長期売春旅行をしたことがあるがアジアには行ったことがないと自慢する馬鹿なバービア女もいた)。

「イサーン女」を連れているのはあまり見かけない。

しかし50も若そうな色黒の女を連れている白人爺もいた。

この町の人、カンボジア人は、ツーリストからボルことはあっても「媚びる」という感じは少ないように思う。これもタイとの大きな違い。

ツーリストも受け入れているローカルレストランでのツーリストプライスは標準装備。本当にローカルな店は、一見の外国人がドカドカ入っていきにくい感じがする。これもタイとの違い。まっとうなことである。

ホテルに近い裏通りで「孵化しつつある蒸し卵」の店を2件見つけた。英語を話すほうはぼろうとする。蒸し卵の味はポイペトと同じだが、フルーツシェークのはどこも薄味。ドリアンも入れてはいるがほんのちょっと申し訳程度に入れてるだけ。

数年前にポイペトで毎晩飲んだ「グラスの3分の1になってもストローが立ち口の中が痒くなる」フルーツシェークをもう一度飲んでみたい。ドリアンとジャックフルーツと硬いコンデンスミルクを入れなければならないので日本で作るとたいへん高いものになりそうである。

それほど目立つわけではないが、在住フランス人もかなりいるようだ。今でも特権的地位を維持しているようで植民者然としている。

ポルポト時代が終わるのを待って、それ見たことかとばかりに舞い戻ってきたのだろうか。

白人は植民地主義の時代に獲得した特権を決して自ら手放すことはない。

そういう在住フランス人の子弟らしき子供がネット屋にも来ていたりする。日に焼けているのか地黒なのか、色黒だが明らかに白人との混血とわかる中学生くらいの女の子が(小学生かもしれない)二人、小さな声でグズグズブツクサとフランス語を話している。

白人は、白人意識を持つ以上何代しても白人としての母語を忘れることはない。ヨーロッパの言語こそ文明人の言語である、という強い確信がある。これはいろいろな古典を読むと普通に出てくる思想である。

しかし、言葉を忘れないことは華僑、印僑も同じ。

一代のうちにも母国語を忘れて現地同化してしまうのは日本人くらいである。

地元水準から見るとこぎれいな格好をしてフランス語でおしゃべりしネット屋で暇をつぶす白人混血の女の子。これだけ見ると特権的な白人の子供という感じである。

しばらくしてネット屋が満室になったところに、突然アメリカ直輸入のような白豚デブメスが二匹、100メートル先にいても聞こえそうな英語を話しながら乱入してきた。

暇つぶしのようなことをしていた二人の植民地混血の女の子は、まるで指図されたように席を立ち、でかい白豚メスに追い立てられるようにそそくさとネット屋を出て行く。

その場面は明らかに、これまで東南アジアのいろいろなところで見てきた「白人に追い立てられるアジアローカル客」の図だった。

シエムレアプのローカルカフェは「テレビカフェ」が多いようである。わりと閉鎖的な感じの広めの店に3台ほどテレビが置いてあり、アメリカのプロレス、中国のチャンバラ、カンボジアのドラマを放送している。そのうちのひとつ、真ん中においてあるテレビがメインで、大きなボリュームになっている。客はみんな同じ方向に座りテレビを見ている。ホットコーヒーはない。アイスコーヒーのみ。大体こんな感じである。

この辺はまだ家庭にテレビが普及していないのだろうか。そんなこともなさそうに思うが、日本にも公共の場所でみんなで同じテレビを見たという時代があったと思う。黙ってテレビを見ているだけだが、彼らは毎朝この薄暗いカフェに集まってくることである種の社交感を得ているのかもしれない。

ついたすぐはアジア系観光客がウザイように思ったが、しばらくいるとやはり白人が一番目障りであることを再確認する。アジア系は諦めが早い。どんなところでもさほど長居しないのである。

これに対して白人は、国籍・民族を問わず長引く。自分の空間支配へのローカルたちの「承認」を得ようとして、名残惜しそうにうろちょろしちょっかいを出す。用が済んでもさっさと消えないのだ。大声、無駄話、ガン飛ばしが白人の得意技であることはいうまでもない。

占領した土地で息を潜めて隠れている少女を探してあちこちかぎまわりなかなかバラックに引き上げようとしない白人兵そのものである。

旅先を選ぶときは、海外でも国内でも、白人ツーリストが来ないところを上手に選ぶことが大切である。多くの日本人がそういう意識をもつようになれば、受け入れる側も考慮するようになるだろう。

白人とじゃれあいたい馬鹿は白人国家にいって水ぶっ掛けられたり石投げられたりしていればいいのだが。

案外要注意なことだが、タイに行ってタイにはまってしまう者には海外一人旅はタイが初めてだったという者が多く、また他の国はほとんど行ったことがないという者が多い。そして、彼らが繰り返しタイに通った動機のひとつに、タイに白人がいっぱいいるから、というのがあったりするのである。

外国で白人とじゃれあいたいが欧米に行くのは経済的にも語学力からもしんどい、タイなら白人ツーリストがいっぱい来ていて下手な英語でも相手にしてくれるような気がする、白人とフレンドリーに英語でおしゃべりする機会も多いような気がする、ということでカオサンあたりに沈没を決めこむ若い白雉日本人が少なくないように見える。

そして彼らは、白人がこんなにいっぱいいるタイは日本よりずっと「国際的」で、「タイのルールはグローバルスタンダードに近い」と思い込むようになったりするのである。

在タイ日本人には幼稚な白人崇拝者が多く、いつまでたっても目が覚めない人が多いが、ひとつにはこのような成り行きによるものだろうと思う。いろいろな国からタイに掃き寄せられてきている最底辺の白人たちを日ごろ目の当たりにしながら、「白人=英語ができる人」、と本気で信じている(ほど英語が聞き分けられない)者も異常に多い。

シエム・レアプ Siem Reap カンボジア

頭にタオルを巻いて「シェムリ、シェムリ」と連発しているバックパッカーを見ると(どこの国のとは言わないが)その場で透明人間になりたいくらいに恥ずかしいものである。

私が聞き取った限り、現地発音は「スィエム・レエプ」に近い。「スィ」に強調がくる。ポイペトの人たちはシエムレアプ出身という人を含めてそんなふうに発音していた。

ただツーリズム関係者は「リアップ」みたいに発音することが多いようである。シエムレアプに近づくほど「シエムリアップ」みたいに発音する人が増えるように感じた。

スィエムとは「タイ」「シャム」のこと。カンボジアではいまもタイのことを「スィエム」と呼ぶらしい。

タイの馬鹿な女優が「アンコールワットはタイのもの」という発言をして政治問題になったことは記憶に新しい。このあたりまでシャム領(アユタヤ朝)だったことはあるが、アンコールの時代でないことは言うまでもない。シャムの主要部分がクメール国家の領土だった時代の方が長いだろう。

7月9日。

ポイペト、Long Senglyゲストハウスをチェックアウト。午前9時すぎの乗り合いタクシーでシエムレアプに向かう。Long Senglyの無愛想な男が車を呼んでくれる。特にぎゅうぎゅうづめというわけではなく、普通の日本車に5人乗り。他の客はカンボジア人の女の人ばかりだったので助かった。

ポイペトには17日間も滞在してしまった。

ポイペトからシソポンまでの道は悪い。かつてはここをピックアップトラックの荷台に乗って行ったりしたが、今では地元の人もそんなことはしないようである。

途中、"Absolutely against child sex tourism"という大きな公共広告の看板があった。

「コンドームをつけましょう」よりはかなり進歩したといえる。

地雷原の標識も見なくなった。地雷はほぼ撤去されたのだろうか。牛が出ますという絵入りの標識はある。

1時間以上かけてようやくシソポンを通過。

本当に道が悪い。いい加減なコールタール舗装が却って道を悪くしている。

シソポンは役場や学校が少しあるだけの小さな町。通り沿いにゲストハウスも何件かある。

シソポンを過ぎると舗装はなくなるが、道はかえって良くなる。車はスピードを上げてくるので揺れることには変わりはない。

11時半ごろ休憩。レストランなどしょぼいがツーリストずれしていて英語でぼってくる。韓国人ツーリストを2、3見かける。

カーステレオがカンボジアの歌謡曲を流している。どこかで聞いたような曲も。「イタコノイタロー・・・・・」というのをゆっくりに編曲してカンボジア語の歌をかぶせたものだった。もちろん日本の歌などという認識はないだろう。初めてポイペトに来たころ、バラックのカラオケ屋で「北国の春」をがんがんかけていたのを思い出す。ポイペトのマーケットの祭日の夜のステージショーでは「ルージュ」モドキで歌って踊っていた。「ルージュ」を編曲して現地語の歌をかぶせたのは、カンボジアでもミャンマーでもチェンマイのプールバーでもよく聞いた。フランス語の歌詞をかぶせた「ルージュ」というのも聴いた記憶がある。

午後1時ごろシエムレアプに入る。急に道がよくなる。

立派なホテルが並んでいる。ハングル文字の看板が目立つ。病院の前には大きなデング熱の警告看板が立っている。

シエムレアプに来るのは5,6年ぶりの2回目。今回はガイドブックも地図も持っていない。車を降ろされたところはどうもシエムレアプという感じのしないところだった。

まずマレーシアに戻る航空券を買ってしまおうと思い、旅行代理店を探すが見当たらない。適当なホテルのフロントで聞くと、親切に教えてくれた。「ダウンタウン」のほうに行けば旅行代理店がたくさんあるということだった。地図ももらう。

バイタクで適当に「ダウンタウン」を目指す。ダウンタウンと言っても通じないので、適当に指であっちの方と指図する。

予想したとおりだが、「ダウンタウン」はあちこち毛唐だらけ。といってもチェンマイほどではない。そしてハングル文字だらけ。

安くてよさそうな場所、感じのよさそうなゲストハウスなどには必ず毛唐がご主人様然とふんぞり返っている。観光地だけに、タイのクズ毛唐とも一味違ったエラブリがある。

泊まるところを決める前に旅行代理店に入って航空券を買う。

クアラルンプル行きのチケットを手続きしている間に、若い中共中国人のカップルが入ってきた。赤い星のついたそろいの帽子をかぶっている。愛国無罪丸出しといった体。

若い女のほうが横柄な口調の慣れた英語でどんどんと突っ込んでくる。タイ国王がぶら下げているような大きなカメラを首から提げている。

ダサい百姓といった感じの連れの男ともども「チャンコロ丸出し」なカップルである。

クンミン(昆明)までの航空券を買いたいらしい。自信たっぷりの英語だがしゃべることは知れている。

「いくらだ」、(店の人が金額を提示)、「負けられないのか」(とにかく口調が攻撃的)・・・

店の人はむっとした顔で否定。すると諦めよく出て行った。

中国人らしい割り込みだが出て行くのも早かったので助かった。いつまでも場をひっぱって長居しないだけ毛唐よりは実害が少ないといえるかもしれない。

クアラルンプルまでの片道チケットを買うのに少し難儀した。国籍にもよる。最初は往復か帰り旅券がなければだめだといっていた。しかし、マレーシアにはいつも片道で行っているとしつこく言うと航空会社に問い合わせてくれた。

日本人であることをパスポートで確認し、航空会社(マレーシア航空)に電話で旅券番号などを伝える。旅券のコピーもとる。結局、空港で500ドル提示すれば片道でも可、ということで片道チケットを売ってくれることになった。

店の人は最初、KLまで145ドルという数字を出していたが、135ドルに負けてくれた。こちらからは負けろとはひとことも言っていない。向こうのほうからニコニコと負けてくれた。135ドルが良い値なのかもしれない。余っているタイバーツで払う。バーツ両替レートはなんと1ドル30バーツ。135ドルで4050バーツである。このレートはちょっと良すぎる。今1ドル35バーツ弱だろう。

いずれにしても、あの英語の達者な大陸中国人カップルはこの店で相当邪険に扱われたようだ。英語も日本語も(タイ語もインドネシア語もネパール語も)片言しかしゃべれない日本人の私との扱いの差が顕著であることに驚いた。

カンボジアのムスリム 「イスラム・チャンパ」

カンボジアにはムスリムも多い。

プノンペンからバッタンバンを通るルートをバスで行くと、バッタンバンに近いあたりで窓から見る人はみな厳格なムスリム装束をした人、ムスリムのサロンをはいた人ばかりという地域に差しかかる。文化の落差を感じることがあった。

タイ政府はカンボジアのムスリムがポイペト=アランヤプラテートからタイに入国し、深南部のテロを支援していると主張している。

しかし、タイ政府のこの種の主張にはたいてい根拠がない。いい加減な思いつきであることが多いと思う。私がそう思うのにも特に根拠があるわけではないが。

ポイペトのロータリーに近い方のマーケットにはムスリムの食堂もある。「ハラール」のアラビア語表示を出しているところもあるが、ただのベトナム料理屋でそれとはわからないところもある。

ただのベトナム料理屋台と見える店。色白で目のパッチリした昔は美人だったろうと思われるおばさんがいて、カフェ・クダウというと冷め切ったホットコーヒーを平気で出す。

焼きそばを食べていたら色黒の若い男がタイ語で因縁をつけてきた。因縁といっても危ない感じのものでなく、コーヒーを一杯おごれとか言ってたと思う。

するとおばさんが「コンタイじゃない、コンチンだ」といってかばってくれた。箸の持ち方がタイ人とは違ったのだろう。スプーンを使わず箸だけで食べていた。

中国人にみられるのはイヤなので、「チンじゃなくてジュポンだ」というと、おばさんは自分はムスリムだと自己紹介してタイ語でいろいろ話しかけてきた。

それまでムスリムレストランだとは気がつかなかった。これはハラールなのかと聞くとそうだという。今の焼きそばにはいっていた肉は何の肉だろうと思っていたが、牛のようだった。どうせ豚だろうと思って食っていたが豚臭くなくてうまかった。

カンボジアあたりにいるムスリムのことを「イスラム・チャンパ」というそうである。なかなか由緒ありげな良い呼び方だと思った。

おばさんは切々と「イスラム・チャンパ、マイ・ミー・プラテート」(イスラムチャンパは国家がない)と嘆くように訴え続ける。

イスラム・チャンパはカンボジアにもベトナムにもラオスにもいるが、国をもたないという。

おばさんの嘆き節をひとしきり聞かされてからお勘定をすると、しっかりぼられていた。

イスラムチャンパは商売はベトナム式なのだろう。

ポイペト(Poi Pet) カンボジア

6月22日。

午前9時半ごろアランヤプラテートの旅社、「アランガーデン2」をチェックアウト。フロントにトゥクトゥクを呼んでもらう。本当はバイタクがよかったが呼んでくれなかった。

トゥクトゥクでボーダーまで60バーツ。バイタクも同じくらいらしい。しかし、以前の経験だと国境近くに来ると勝手にトゥクトゥクにしがみついてくるカンボジア青年が必ずいた。ガイドをしようとしているのか、ただ単にちょっと無料タクシーとして使っているのかよくわからない感じだった。

今回は取り付いてくる青年はいなかった。カンボジアは近代化が進んでいるようだ。経済成長も。

しかしポイペトボーダーの前に来ると、この辺はオスマックOsmachあたりより貧しいところだという印象を受ける。乞食の子が多いだけでなく、乞食の子の身なりもすごい。

人力で引く大八車は少なくなったがまだ健在である。顔のつぶれた人もいる。

付きまとうガイドは少なくなり、あまりしつこくなくなった。

タイのイミグレは冷房入り。

張り紙に、

「ノービザで再入国するときは帰りのチケットかトラベルドキュメントを提示するか、または、30日以内に出国することをconfirmしなければならない」

とある。

orが多くてどうとでも解釈できそうな文章。

30日以内にタイを出国することを"confirm"できればいいのだから、必ずしも帰りのチケットが必要というわけではないということになる

confirmの方法に条件はついていないから、「この人は30日以内に出国する」という心証が得られれば良いということになり、要するに担当役人次第ということ。

実際の適用も役人の胸先三寸なのだろう。

当然、白人には甘く日本人には厳しく、という運用になる。

案の定、タイ猿役人は愚かにも、私のパスポートの過去の履歴をじろじろ検分し、 タイを出国しようとしている私に対して、

「エアチケットは持っているか」

と聞いてきた。

どこからのエアチケットのことなんだかw。

すぐに「シエムレアプからベトナムに行き、ベトナムから日本に帰る」と適当に言うと、OKOKといってお開き。

どうせならベトナムなんていわないで「シンガポール」と言ってやればよかった。

今度タイに行くときは、ミャンマービザとシンガポールのスタンプがいっぱいのパスポートを持ってきてやろうか、などと思う。 

長年ルースな入管行政でセックスツーリスト・セックス滞在者を国内に集める政策を採ってきたのはほかならぬタイ国家自身なのだ。

ポイペトはますます近代的になり、数年前の独特の雰囲気は今はまったくなくなっている。

2年ちょっと前はまだ強かった「ポイペトの臭い」、ポイペトの町全体を覆っていた「これがダイオキシンの臭いか」としみじみ思うような臭いも、今はほとんどしない。

気まぐれなツーリストにとっては淋しく感じることだが、カンボジア国民にとってはいいことなのだろう。

以前泊まったことのあるLong Seng Lyゲストハウスがまだあった。1階の窓なしファンの部屋(200バーツ)に入る。さすがに古くなっていた。廊下も汚くなった。コンクリート作りの1階なので窓なしでも暑くはない。天井が高く、換気扇もついていて、以前は快適なところだと思って長居したことがある。今は臭いが少し気になる。

カンボジア風の強くてうまいコーヒーを出す店もほとんどなくなったようだ。ロータリー右端にあったバラック食堂の怖い感じの兄ちゃんの入れるカフェが好きだった。2年ちょっと前はまだかろうじて残っていたが、いまはもうない。

コーヒーがあるところでも「カフェ」が通じないことがある。前はどこでも一言で通じていた。バラックレストランでカフェを飲む人がいなくなったのかもしれない。 ホットコーヒーを飲む人が少なくなったのか、大きな店は当然のようにアイスコーヒーを出してくる。

ホットコーヒーを何とか出してもらってもタイコーヒーやラオカフェほどではないが濁っていることが多い。アイス用のコーヒー。通り沿いの店ではそれで20バーツもする。

奥(シエムレエプの方)に向かって右側にあるマーケットの一番奥の汚い食堂が昔ながらの透明感のあるカンボジア風カフェを出してくれた。5バーツ(500リエル)。英語を話す兄ちゃんがいる。

ポイペトの魅力はやはり夜の屋台。蒸し卵とストローが立って口の中が痒くなるフルーツシェーク。ドリアンも入る。

ロータリーの周りのフルーツシェークは都会的?な薄味になっている。奥の方に入るとまだ一応口の中が痒くなるのがある。しかし数年前よりは薄味になったようだ。以前は卵の黄身も入れていたが今回は入れているところを見ない。

蒸し卵は中が黒いので数年前始めて食べたときはギョッとした。腐っているのかのかと思って、屋台の人に「コレハ何ダ」と言ってしまった覚えがある。食えるんだよといわれた。

孵化しつつある卵(当然有精卵)を蒸したものらしく、ものによって孵化の度合いが違うようである。

真っ黒いところが多いのは小さな骨が出てくることがある。魚の骨ほどの細さだが鳥の足の骨の形をしていた。

黒い塩(黒胡椒入りの塩)とライムをかけて食べる。奥の方の屋台は香草もついてくるが、ロータリーの屋台ではつかなくなった。

しかし、奥の方のある屋台では、2個食べると15バーツなのに一度に3個食べると25バーツ取られる。4個食べると33バーツだという。この計算は理解できない。2個ずつ2回食べて香草もレモンも2倍もらった方が安いということになる。

いつも2個15バーツで食べていたのに、あるとき3個食べたら25バーツだといわれた。22バーツか23バーツでいいでしょ、といってもどうしても負けてくれない。こんなボリ方はないので、本気で言っているらしい。わけのわからない価格設定である。

しかしポイペトの屋台の女の子たちはみんなニコニコしている。ジャワほどではないが、かわいい子もいる。

数年前ポイペトにいっぱいいた獰猛な目をした男たちは見なくなった。

最初に来たときは彼らの目を見ただけで本当に怖くてゾクゾクした。「殺気」としか表現できないものをひしひしと感じ、ちょっとしたカルチャーショックだった。彼らはまだ戦争をしてるんだという印象を強く受けたことを思い出す。

2、3年前に来た時にがらっと変わっていた。舗装されて街燈も整備され夜歩きも普通にできる雰囲気になっていた。(「安全」かどうかは知らない)。

今も砂埃がまきたち雨が降ればぬかるみキレイとはほど遠いが、2、3年前はまだあった独特の臭気もなくなり、マーケットからも「殺気」は消えて平和な雰囲気になっている。

白人はシエムレエプに行くツーリストが通るぐらいだが、ネット屋にはやっぱり自分ひとりで天下を取っているようなのが来ている。

ネット屋は2件ほどあり、安い方(奥に向かって右側)は毛唐やツーリストも来る。日本語が書けるPCは2台だけ(ひとつは私がインストールした。しかし良くあることだがココログにはサインインできない。Mozilla Firefoxをダウンロードしようとしたができなかった)。

日本人ツーリストが「ポイペトの置屋」を検索したらしい恥ずかしい形跡も。彼らはなぜそういう跡を残すのか。履歴を消すことも知らないのだろうか。

高い方(奥に向かって左側)のネット屋は地元の人が電話を使うのが中心だが、普通のページへのアクセスは遅いがグーグルドキュメントが開けるとか(安い方はほとんど開けない)多少違いがある。日本語が書けるのは一台だけ。

数年前は怖かった「マーケット」付近に遊園地のような施設ができ、夜も子どもが遊んでいる。近くに警察の派出所もできてそのあたりにたくさんあった売春宿(「置屋」)は姿を消した。

マーケット近くでようやく「ル・パン」(フランスパンサンドイッチ)を見つける。ロータリーの近くからは姿を消した。「カンボジア的」というイメージがあるからだろうか。しかし、あの甘すっぱい野菜(酢漬け野菜?)は入っていなかった。

数年前は今はカジノの敷地になっているボーダー近くのドブ上にあった屋台(チャオファヤゲストハウスの斜め前の店)でもフランスパンに生野菜やらソーセージやら挟んだ、なぜか「とてもおいしい」サンドイッチが食べられた。板を無造作にドブの上に渡しただけのような床で、ごみは板の隙間から下に落とす。

ドブの上の汚い屋台でほおばる生野菜たっぷりのフランスパンサンドは、当時の私にはフグを食うような深い味わいがあった。

2年前に来たときは店は残っていたがコンクリートの床になっていた。タイ麺だけになってフランスパンはやめてしまっていた。

ポイペトの屋台はどんどんタイ的になっているように見える。

しかし数年前よりはカンボジアリエル紙幣をよく見るようになった。前はほとんどバーツだったように思う。

ポイペトはどうしても愛着のある町だとあらためて思った。今度来るときはシエムレエプからポイペトに直行しタイには入らずシエムレエプからマレーシアに戻るという旅行をしてみようと思う。ポイペトはいまも存在感のある町であり、タイの付属品ではない。

カンボジアが、豊かな国なのに自国の娘を毛唐に売り飛ばして恥じることのないタイのような土人売春国家になることなく、実のある経済成長をして良いところを残して発展できるといいと思う。カンボジアには海底油田もある。

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