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マラッカ航海日誌補遺

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2005年3月4月ネパール

2005年
【カトマンドゥ】
3月1日。デリーより、コスミックエアでカトマンドゥへ。
インドのイミグレは入国の時にはノーチェックだったが、出国のときはうるさかった。旅の目的、期間、もっているルピーの金額などを聞かれる。小さなジェット機。
タメルのチェリーゲストハウスにチェックイン。一年前に預けておいた荷物がそのまま保管されてあった。
カトマンドゥホリデイは経営者が変わり、同じ名前の別のホテルになっていた。サントスはマカオのホテルに出稼ぎに行っているという。
7日。ナショナルデンタルホスピタルに行き、気になる奥歯のレントゲン写真を撮ってもらう。放射線防護のエプロンもしない。放射線技師も部屋の外に出ない。日本の常識で考えるとすごいところ。異常ははないようだった。30NRs。デンタルホスピタルの医師に教えてもらったシンハダルバールのバイデ・カナというアーユルヴェーダの医者に行き、ごく簡単な診察を受け、薬をもらう。
15日。チェリーをチェックアウト。近所のロータスゲストハウスに移る。主人は非常に親切なひとだが、たいへん騒々しい。
16日。ロータスをチェックアウト。アマダブラムという新しいホテルに移る。
18日。バジラチャリヤのクリニックに行く。
19日。アマダブラムをチェックアウト。ディスカヴァリーインというところに移る。移る途中にバイクにはねられる。左脚の膝を打撲。タメルの真ん中をでたらめなスピードで運転していたのはバウンのような男で、毒づいて逃げていった。警察もまともに取り合わない。Birホスピタルに行きレントゲンを撮る。ここもぐらぐら動くような機械で、防護なし。左膝の皿にcrackができたといっている(この痛みは1週間ぐらい続いた)。写真はもらって帰る。
20日。ディスカバリーインをチェックアウト。ホーリーランドゲストハウスに移る。ホットシャワーで150NRs。日本人の若いバックパッカーが多い。
ナラデヴィにある国立のナラデヴィアーユルヴェーディクホスピタルに行き診察を受け、薬をもらう。登録料10ルピーを払って処方箋用のノートをもらうほかは基本的に無料。診察はタダ。薬は付属の薬局で出してくれるものはタダ。処方箋には付属の薬局にない薬もあり、そういうものは外の薬局で買わなければならない。ここに来る患者は貧しい人も多く大衆的な場所。
22日。ナラデヴィホスピタルに行く。
25日。ホーリーランドをチェックアウト。チェリーに戻る。前と同じ部屋。
27日。ビールホスピタルに行く。外科医は前回撮ったレントゲン写真を見ながら、傷めたのは筋肉だけだと言った。骨には異常はないということ。前回のは救急病棟で専門医ではなかった。
31日。ナビルバンクで現金を引き出す。なぜか今回はドル現金を引き出せた。

4月4日。ナラデヴィに行く。
午後バジラチャリヤに行く。最悪。悪いことばかり言って脅す。
5日f。
7日。チェリーのフロントでKL往復一年オープンを予約。ロイヤルネパール。633ドル。
8日。ロータスレストランの2軒となりのローカルレストランの女主人プジャはチャリコット出身。チェトリ(Bhatta)。
9日。チェリーの通りを北にすこし行ったところのスタンダードチャータードのATMでシティバンクのカードが使えた。カンティパトの方の本店では使えなかったのだが。
12日。ナラデヴィに行く。
ナビルバンクでアメリカンエクスプレスのTCを買う。預金口座から落とす。ナビルのATMでもシティバンクのカードが使えた。昨年より進化している。TCを買うのにパスポートを要求された。もっていなかったので強く押したら引いた。ジャイカかとかいきなり聞いてきた。ビスワバサだと答えたが、ビスワバサをやめてからも口座を維持できるかどうかと聞くと、むこうで一悶着あった末、結局できると言うことだった。
13日。ナラデヴィに行く。
20日。朝プレムがチェリーに来る。午前中すこし付き合う。プレムはカトマンドゥホリデイをやめたあと、「兄弟」に金をもらって運転免許を取りいまはタクシーの運転手をしている。
21日。午後8時にプレムがチェリーに迎えに来てくれる。プレムのタクシーで空港へ。
30分くらいで空港に着くが9時半まで外で待たされる。待っている間に警官がまわって来て「中国人か」と尋問してくる。ノーというと今度は「韓国人か」・・・。X線チェックもうるさかった。
【クアラルンプール】
22日。マレーシア時間の午前6時ごろ(ネパール4時ごろ)クアラルンプールに着く。KLIAに飛行機で着くのは初めて。KLIAエクスプレスでKLセントラルへ。プトララインでパサルスニへ。楽安酒店にチェックイン。寝たあと。ブキビンタンのスンガイワンプラザ2階の安全旅遊(Safety Travel)でマレーシア航空日本往復チケットを買う。2200リンギくらい。
【日本】
24日。11時KL発。マレーシア航空はかなり良い。6時40分ごろ日本着。
日航ウィンズ成田にチェックイン。

補遺:ネパールでアーユルヴェーダ医師にかかるなら私は国立の「ナラデヴィホスピタル」が良いのではないかと思う。地元の評判も良い。
「地球の歩き方」でも取り上げられていて欧米人ツーリストにも有名なのは「ピユスバルシ」、マドゥ・ヴァジラ・バジラチャリヤ(Madhu Vajra Bajracharya)のアーユルヴェーディククリニックかもしれないが、この人の資質に私は疑問がある。地元の人の評判も分かれるようだ。名門だから名声はあるようだが、実際に彼にかかったネパール人の中にはこき下ろす人もいた。私自身一年以上のあいだこの人にかかり、かなり高い薬を続けたことがあるが改善はなかった。彼のバジラチャリヤ家は、セトマチェンドラナートの神官の家柄でネワールの名門だが、医業のほうも世襲で行われている。
彼のメールの英語は非文法的で高等教育は受けていないように思われる。欧米人の取り巻きが多いので、次の彼のページも取りまきの欧米人によって書かれたものと思われるが、
http://www.bajracharya.org/ayurvedicclinic/index.html
こんなことも書かれている。
The hymns, literal formulas and medical knowledge of Vedas were contributions of Rishi and Munis of different time. It is well known that Rishi and Munis were those learned sages and saints who devoted their life for understanding the reality of the world. Aryavarta, the native land of Aryans, covers the wide surrounding area of the Himalaya where there the Rishi and Munis lived. The surrounding area of the Himalaya where there the Rishi and Munis lived. The surrounding area of the Himalaya, at present political situation, covers the countries Nepal, India, Pakistan, Bhutan, Bangladesh, Srilanka, Tibet etc. The civilization of these countries is deeply influenced with the unique intellectual contributions of the Rishis and Munis.
チベットやブータンも「アーリア人」の土地だったという。

これと同じ主張を私は別のところでも読んだことがある。
ドイツ人ジャーナリストによって書かれた「イエスは仏教徒だった」という本。その内容は、イエスは釈迦と同じく「アーリア人」だったのでありユダヤ人ではなかった、チベットも本来アーリア人の土地でありその霊的な伝統もアーリア人のものであるというもの。彼らにはイエスがユダヤ人だったことが受け入れがたいのかもしれない。ヨーロッパの自称仏教徒の中には、アーリア人至上主義や反ユダヤ主義の別の表現として仏教に向かう者もいるようである。

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2003年4月~04年1月ネパール(周遊・トレッキング)

2003年
【タイ】
1月1日、チェンマイ着。                                                  
20日メーサイ~タチレク、デイリターン。
2月17日メーサイ~タチレク、デイリターン。
3月2日、夜行チェンマイ発。
3日、バンコク着。
【日本】
3月5日帰国。

【タイ】                                                 
4月14日日本発、CX香港経由、バンコク着。台北旅社。                     
16日バンコク発。寝台車。                                             
17日チェンマイ着。Rama2ゲストハウス泊。                                    
27日チェンマイ発。寝台車。                                               
28日バンコク着。台北旅社。                                                                                                                                   

【タメル】                                                                 4月30日バンコク発。RA。カトマンズ着。ホテルカトマンドゥホリデイ泊。                                             

6月23日ビザ延長。(6/29~7/28)                                                              

7月12日、カトマンドゥホリデイチェックアウト、ムスタンホリデイインへ。                                      
16日、ビスワバサキャンパス開講。スタディビザ取得のため。                           
31日、夕方、日本料理店「ふる里」に行く。奥の座敷を若い韓国人グループが占領し、箸をテーブルにたたきつけて大騒ぎ。その箸もよく使えないらしく次々にスプーンを注文。片膝立ては普通らしいが、両膝立てて犬食いする者も。なぜ好んで日本料理店に来るのか疑問。                                                          

9月1日、タメルの本屋で買ったアンリトロワイヤ「イワン雷帝」を読む。   
2日、兵隊や武装警察が目立つ。                                               
7日、ムスタンホリデイインをチェックアウト、カトマンドゥホリデイに戻る。                     
8日、ホテルを変えただけで朝のタメルがまったく違ったように見える。                   
10日、プレムとディスコへ。なんとも低調な盛り上がりだが、彼らは踊るのが楽しいらしい。               
                                                                               【ジャナクプル】                                                          
9月13日、朝カトマンドゥホリデイをチェックアウト。カンティパトからバスでナヤバスパークへ。バスでムグリンへ向かう。マチャプチュレゲストハウスというローカル用のこぎれいな宿。 
14日、ナラヤンガートへ。プルチョークの「フィッシュテイルロッジ」泊。去年も泊った宿。       
16日、ナラヤンガート発、ヘトウダへ。「ダウンタウン」というホテル泊。150NRs。爆弾テロがあったらしく音が聞こえた。一時騒然。戒厳令。
17日、ニジガル方面行きのバスに。12時ごろニジガルで降り、ジャナクプル行きのバスに。3時ごろジャナクプル着。「ホテルウェルカム」100NRs。
18日、リクシャでクワ村へ。商店は表向きはすべて閉店。
19日、ストでバス動かず。
21日、ジャナクプル発。バスで、イタハリ乗り換え、ビラトナガルへ。バスパークの前の「ダンクタロッジ」泊。140NRs。                                              
【イラム】
22日、ビラトナガル発。ビルタモードでジープに乗り換え、1時過ぎにイラム着。ジープは3時間ぐらい。検問3回。グリーンビューゲストハウス泊。250NRs。
23日、茶畑の道を散歩するくらい。空気はとてもいい。いるだけで気分がいい。
24日、一日中雨が降ったりやんだり。立ち居振る舞いが日本人そっくりのシェルパ族の女性の店でチョウメンを食べたり、リンブーの夫とバウンの妻の店でお茶を飲んだり。
25日、このグリーンビューゲストハウスは、留守中にボーイが勝手に鍵を開けて部屋に入り、水差しを換えたり電気を消したりする。
26日、朝、泊っていた白人客がでた。いままで高踏的な態度だったボーイが急になれなれしくなる。
27日、朝のバスでビルタモードまで4時間。2回検問。ビルタモードでダラン行きのバスに乗り換え。ダラン着、都会。モンゴロイド系が他より目立つ。「プリンス」泊。           
【ヒレ】
28日、ダラン発。2回検問。11時前にヒレに着く。「ホテルヒマーリ」の広い部屋。150NRs。
29日。ホテルヒマーリには水道らしいものがない。シャワーも洗濯も洗面も、あまりきれいとはいえない汲み置き水。朝、身体を洗い、洗濯するが、水をあまり使うなといわれる。チベット人の一家。左半身の不自由な長い髪の美しい娘が英語を話す。ネパール人が数人泊りうるさい。
30日、アーミーキャンプの向こうの丘に登る。霧ばかりで何も見えない。良いところだが、軍のチェックがある。無視して行ったら後ろからしきりに呼んでいた。追ってこないし、銃も撃たない。そのあと土砂降り。                          

10月1日、あいかわらず曇りがち。板張りのロッジで音が筒抜け。うまいお茶屋もない。この宿はとげとげしい。宿の前ではガキがサイコロ賭博。
2日、ヒマーリをチェックアウト。水が足りない。Gajurに移る。水は豊富。
3日。Gajurはヒマーリ以上にうるさかった。この町のロッジはどこも簡素な板張りの部屋なので、隙間や節穴がある。Gajurはネパール人のラブホテルのようになっていた。この日、隣の部屋のカップルは、小さな寝台が1つしかない窓もないシングルの部屋で、夜8時ごろと12時ごろと朝方4時ごろ、元気に3回戦。すべての音がありありと聞こえ納得。
4日。ダサインだそうだが気配もない。道のお供えくらい。ヒンドゥの習慣がこの町にはないようだ。ゴンパではチベット僧が朝読経。
5日。昨日なんとなく知り合った16歳のタマンの女の子のいる町外れの店で、女の子の家族からティカを受ける。チキンやスクティをご馳走になる。タダ。
7日、Gajurをチェックアウト。ゴンパの隣、ヒマーリの真向かいのGumbaロッジに移る。こぎれいな広い部屋。100NRs。どこも汲み置き水。
8日。夜は静か。
9日。一日中強い雨。Gumbaロッジのオーナーは隣のゴンパのオーナーで坊さん。娘が三人、使用人二人。2番目の娘(17歳)がダサインの休暇でカトマンドゥの学校から帰っている。この辺で「ホテル」というのはレストランのこと。                       
【バサンタプル】
11日、午前9時過ぎ、Gumbaロッジをチェックアウト。9時半のバサンタプル行きのバスに乗る。バサンタプルはヒレよりさらに奥の町(カトマンドゥのバサンタプルではない)。ひどい悪路。11時ごろバサンタプル着。木造の汚い3階建て家屋が目立つ寒村。ホテルYak。125NRs。
12日。昼は夕べ知り合った近所のライ族(キラト)の店でダルバートのタダ飯をご馳走になる。ただで食べると却って行きづらくなる。夕方、トゥーテー・デウラリという寒村へ。30分くらい歩く。トゥーテーもよいところはアーミーキャンプ。
13日。午後1時ごろから、歩いてトゥーテーの先、テリンジュレへ向かう。そこからフェディを通り、チョーキChaukiというところに5時ごろ着。遅くなったのでここで泊る。
14日。ショルダーバッグひとつで来たので洗面道具もない。ここは標高2000メートルくらいでかなり冷える。ティンジュレは3000メートル。泊ったのは「ラリグラス」というロッジ。テルトムというところへ向かう。ジリキムチというところで休む。ここまで2時間。「ラリグラス」のムナとプジャという娘についていく。二人とも英語をよく話す。ムナはラリグラスの長女でタマンだが白人のように白く、ヨーロッパの田舎娘のよう。歩いて上気するとピンク色の肌になる。長い髪が美しい。穏やかな性格のようであまりしゃべりたてない。やや太っているのが難だが、ネパール女性の25歳としてはとても若く見える。プジャはチェトリの14歳の娘。親が医者だとか。英語をよく話す。歩いている間ひっきりなしに話しかけてくる。こんなに長く一緒に歩いたのだから自分をヘルプしてほしいなどとわけのわからないことを言ってくる。チェトリは嫌いだというと、自分もチェトリは嫌いだ、タマンが好きだからタマンの男と結婚するとか言っていた。テルトムで二人と別れる。彼らはよいところのように言っていたが、なんでもないところだった。ひとりでジリキムチに戻り、そこからラスネLasuneまで行ったところで夕暮れ。バッティ(山村の宿場の泊れる食堂)のような宿に泊る。50NRs。
15日。朝2時間くらい歩いてバサンタプルに戻る。バサンタプルの近くで毛唐のグループとすれちがう。ドイツ語を話す感じの悪い連中。自分たちは身軽な格好でどんどん先を歩き、ポーターたちが彼らの巨大な荷物を担いでぞろぞろと後れてついて来ていた。バサンタプルのYakホテルに戻る。洗濯。
16日。洗濯物が乾くのを待つ。
17日。朝9時ごろのバスでヒレに向かう。2時間ほどで着。ヒレはバサンタプルに比べてずいぶん暖かい。
20日。11時ごろのバスでダランに向かう。Gumbaロッジのおばさんがバスを拾ってくれる。2時ごろダラン着。すぐにビラトナガル行きに乗り換え。4時近く、ビラトナガル着。ダンクタロッジ泊。
21日。8時半ごろのバスに乗り、夕方5時ごろビールガンジに着く。客引きがすごい。シュリーなんとかというホテルのシングル。125NRs。虫が多い。                    
【ナラヤンガート】
22日。7時半のバスでビールガンジを出る。9時半ごろにはヘトウダ。12時半ごろナラヤンガート着。検問もそれほど時間はかからなかった。フィッシュテイルホテル泊。
23日。昨日ナラヤニ川の川原で出会ったバウンの男の村に「招待」される。バウンの村なんて気が進まなかったが両親も歓迎すると言ってしきりに誘うのでついて行った。ナラヤンガート近郊の村。案の定、家には一歩も入れてもらえず、父親もこちらを見ようともしない。離れの納屋のようなところで一人で飯を食わされる。それだけ。「穢れ」とみなされている。小学校に行こうとしきりに誘う。この男のバウンの友人たちが教師をしているらしい。この男も高等教育は受けているようだが無職。教師をしている友人たちに外国人の知り合いが入るのを見せびらかしたかったのだろう。うんざりしたので断って帰る。
25日。ティハールらしく、子供たちが店をまわって掛け声をかけ、何かもらっている。早朝暗いうちから川原に人が集まり灯篭を流したり歌を歌ったりしている。
27日。ティハール最中なのか、川辺に並んでいる茶屋のうちいくつかは閉まっている。橋のたもとに堡塁を築いている武装警官も今日は休みのようで、誰もいない。
28日。真夏の陽気。ネパールガンへ向かうナイトバスのチケットを買う。マヘンドラナガル行きで、コハルプルまで。バスに乗る。                               
【ネパールガンジ】
29日。朝8時か9時にコハルプルに着き、そこでローカルバスに乗り換え、10時半ごろマヘネパールガンジに着く。マチャプチュレホテルに入る。100NRs。ネパールガンジにはお茶の代わりにミルクを煮て売っているところがある。
30日。チヤは4ルピーが多い。3ルピーもある。エクライニバザールを散歩。閉まっている店が多く閑散としている。
31日。リクシャでボーダーを越えてみる(インド領へ)。リクシャ30NRs。帰りは馬車で8NRs。オープンボーダー。行きはまったくチェックなし。帰りはチェックがあった。

11月1日。ネパールガンジは砂埃がひどい。細かい砂が道ばたにいっぱいたまっている。空から砂が降ってくる感じ。どこにいってもチャイニーズといわれる。
2日。バスパークは本通りからかなり入ったところ。マヘンドラナガルへのナイトバスはなく、デイバス(早朝発)のみ。ミタパン(甘いパン)。                             
【マヘンドラナガル】
3日。早朝5時半のバスでネパールガンジ発。13時過ぎ、マヘンドラナガル着。マヘンドラチョーク前。アーナンダゲストハウスに入る。150NRs。バスの中での武装警官の検問が不愉快。農村風景は東より美しい。緑が濃い。
4日。マヘンドラナガルは全体に良いチヤを出すところが多い。ジンジャーが効いている。ただし、インド人の店はミルクが薄くてまずい。夜は冷え込む。
5日。昨日タルーの村の近所で会ったネパール人の男とまた出会う。黒いがバウンだった。ウパデヤ。パハリとも言っている。調子のいい野郎だった。タルーの村の近くにバウンの村がある。やはり「招待」されて懲りずに行って見るが家には入れてもらえない。庭先でチヤとラッシーを飲ませてくれただけ。
6日。白人がちらほら自転車に乗っている。彼らは顔パスでチェックなしだからどこに行くのも気楽なものだ。
7日。マヘンドラナガルは人間の感じが悪い。
8日。ホテルアーナンダをチェックアウト。午後12時半のナラヤンガート行き。ナイトバス。curfewのため、夜は走れない。コハルプルで停車しそのまま車内で眠らされる。乗客はまばら。インド人など。ほとんど眠れず。
9日。早朝から兵隊の検問の嵐。3人兵隊が来て、何でバッグを開けないんだと詰め寄られる。ブトワルあたりから警戒がゆるくなり、ナラヤンガートに入るときは特にチェックなし。午後2時半ごろナラヤンガート着。26時間ほどのバス移動。フィッシュテイルホテルに入る。
10日。朝6時半のバスでナラヤンガートを出、午後1時過ぎバラジューで降りる。2ヶ月ぶりのカトマンドゥ。カトマンドゥホリデイ401号室に入る。ミンはいなくなり別の少年が下働き。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
11月13日、タイ行き航空券を買う。
22日、Vaishali(旅行代理店)で、ルクラまでの片道航空券を買う。90USD

【ソルクーンブトレッキング】
11月25日。ルクラへ。6時半前に空港へ。8時半ごろようやく離陸。乗客はなんと2人だけ。SkylineAir。サンダル履きでルクラからのろのろ歩き3時ごろチュモア。「ソルクーンブロッジ」に入る。150NRs。
26日。朝8時ごろに出て4時間ぐらいノロノロ歩く。ナムチェへ。小さな町。良い所は白人に占領されて入る余地なし。物価は高い。「トゥクトゥクロッジ」にチェックイン。450NRs。
27日。朝、シャンポチェに登る。エベレストが低く見える。ローツェの方がきれい。
28日。朝もう一度シャンポチェに登る。
ナムチェに一軒だけ良心的なローカルレストランを見つけた。チヤ10NRs。バフモモ30NRs。山のチヤはどこも粉ミルク。ナムチェを出る。道に迷い、3時近くになってキャンジュマに着く。ボロい方のロッジに入る。
29日。10時半ごろタンボチェ着。休憩。
1時半ごろパンボチェ着。ゴンパの近くのゴンパロッジに入る。
30日。8時ごろ出て、11時ごろディンポチェ着。ピースフルロッジに入る。ナガルツァンのピークの近くまで登る。

12月1日。10時ごろからチュクンを往復。3時間半くらい。ピースフルロッジに戻る。ここの兄ちゃんは日本語がうまい。
2日。8時ごろディンポチェを出て、12時半ごろロブチェ着。端っこにあるぼろいロッジに入る。50NRs。臭い。above the cloudという名前。
3日。8時ごろロブチェを出て、10時半ごろゴーラクシェプに着。ヒマラヤロッジに入る。狭くて臭くて高い。午後2時少し前、カラパタールに登頂。少し恐い。はだしとサンダルでOK。
4日。8時前にゴーラクシェプを出て、ロブチェ、トゥクラ、ディンポチェを経て、午後5時ごろチュクンに着く。トゥクラで日本人のオヤジと話しこんで遅くなる。チュクンに行くところで道に迷う。チュクンのアマダブラムロッジに入る。
5日。9時ごろから、ショルダーバッグだけでチュクン・リをめざす。どこがチュクン・リかわからない。
6日。チュクンを出て、ディンポチェを経て、昼ごろパンボチェで食事。ポルツェを目指すが、道に迷い、山の中をさまよい怖い思いをする。パンボチェに戻り、ゴンパの隣のマカルーロッジに入る。
7日。8時ごろパンボチェを出て、午後1時ごろようやくポルツェに着く。急な山の斜面につけられた恐い道だった。
8日。7時半ごろポルツェの不快極まりない宿を出て、午後2時半ごろようやくトーレ(Thore)までたどりつく。ここまで茶屋ひとつなく何も食べていなかった。トーレのシェルパロッジに入る。ここはシェルパの若い女の人が一人でやっていた。客も一人。シェルパのわりに親切でブランケットを余分に貸してくれたがそれでも寒い。
9日。トーレで1000ルピー近く使う。腹が減っていた。昼ごろNaのぼろロッジで昼食。しっかり高い。昼過ぎにパンガのロッジに入る。ライの青年がいて、シェルパの悪口で盛り上がる。
10日。8時ごろにパンガを出て12時過ようやくゴーキョに着く。「レイクサイドロッジ」に泊る。
11日。ゴーキョピーク往復。疲労と酸素不足で2、3歩いて休みまた歩くというのがやっと。往復に6時間もかかる。午後ゴーキョを出てマッチェルモへ。一番手近なところに入ったが、ブランケットを余分にくれというと非常に嫌な顔。客は一人だけ。シェルパは銭ゲバのうえに底意地が悪い。白人にへつらう姿が情けない。
12日。マッチェルモを出る。下りの道を見つけるのに7時間。迷い歩いた。暗くなってようやくナムチェに辿り着く。前と同じCamp de baseトゥクトゥクロッジに入る。今度は400ルピーにしてくれた。タマンの男。
13日。ナムチェ。
14日。昼ごろナムチェを出る。下りだが足が痛いのでゆっくりしか歩けない。夕方パクディンの手前のザンプテというところまで来てロッジに入る。ここもナムチェ並みに高い。シェルパのロッジ。
15日。スルキヤというところ(ルクラの近く)まで歩く。足が痛くてもう歩けないので、泊ることにする。タムセルクロッジ。ここまで来ても物価はナムチェと変わらない。
16日。一日歩いてカリコーラというところまで来る。マガルの経営する店に入る。値段はナムチェより多少安い程度。
17日。一日歩いてようやくマニディンマに着く。シェルパのロッジばかりが並び、ナムチェ並みに高い。
18日。一日歩いてソールンまで。タクシンドゥ峠のチーズファクトリーはなくなっていた。ソールンのとても簡素なロッジに入る。部屋もない。オヤジは日本語を少し話す。
19日。日が暮れるまで歩き、ふらふらになってセテに着く。今夜の宿も少し日本語を話すオヤジ。
20日。4時ごろバンダルのロッジに入る。レストランとだけ書いてある。ネワールの経営する店。セテからガレ場の下りがきつかった。雨になる。
21日。長い道を歩き、5時近く、ジリに辿り着く。かなり開けた町。バザールもある。久しぶりにホットシャワー。ナムチェ以来。ジレルの宿に泊る。初めてジレルに会う。モンゴロイド系のカースト。
ナムチェからジリまでの間一人で歩いたがマオイストには声もかけられなかった。山であった白人女性は、ジリからルクラまで歩く間にマオイストに会い、500ルピー「ドーネーション」をして1000ルピーの領収書をもらったと言っていたが。
22日。宿の男にバスチケット(エクスプレス)の手配を頼んでおいたが、取れなかったのでもう一泊。ジリのローカルレストランは良い。
23日。朝7時発のバスに乗り、午後4時ごろカトマンドゥ着。
問題がおきる。カトマンドゥホリデイが留守中に閉鎖。金やTCもはいっているバッグをストーリッジに入れたまま。オーナーのチャンドラ・グルンは開き直っているようだ。
マルシャンディホテルに泊る。一泊20ドル。

【カトマンドゥホリデイ閉鎖】
(当時の)ホテルカトマンドゥホリデイのオーナーは国会議員のチャンドラ・グルンだが、建物のオーナーはネワールの金持ち。チャンドラ・グルンが長く家賃を滞納していたため、ネワールの家主がついにホテルを閉鎖してロックしてしまった。
私がトレッキングに行っている間の出来事。
ベルキャプテンのサントスはポカラに帰っていてカトマンドゥにはいない。ボーイのプレムは頼りない。
家主を捜すが、何処かに行っているようで見つからない。

12月26日。カトマンドゥホリデイの家主が見つからないので、午前中にツーリストポリスに行く。Complaintを書いて提出。
28日。マルシャンディホテルをチェックアウト。
ホテルヴィクトリアに移る。330NRs。
29日。午前中ツーリストポリスにラジェンドラという宝石ブローカー男と一緒に行く。チャンドラ・グルンも来ていたが、偉そうな態度で酒に酔っているようだった。ラジェンドラによれば私が抗議したとき、警察官たちの前で「俺は偉いんだ、こんな日本人はいつでも刑務所にぶち込める」などと言ってたらしい。
そのあとようやくカトマンドゥホリデイが開くことになる。
白人ツーリストが同じコンプレイントを出していた。
警察立会いの下で、プレムが鎧戸の南京錠をのこぎりで切る。
警察官の態度が不愉快。同じ苦情を出していた白人客に対する態度と私に対する態度とがまったく違う。
ヴィクトリアをチェックアウト、チェリーゲストハウスに移る。
30日。ラジェンドラを連いてきてもらい日本大使館に行きナンバー2の人に昨日のことを報告する。チャンドラ・グルンはカネには困っているようだが、いまも政治家であり権力者なので、彼を怒らせたことがすこし怖くなった。

2004年1月3日。ナビルバンクNabilBankに自分のドル口座を作っていたが、預金をドル現金でおろすことができない。アメックスのTCにして出してもらう。

1月9日ロイヤルネパールでバンコクへ。

2002年タイ、カンボジア、ネパール

2002年
【チベット・ネパール】
1月1日、再び人民医院へ、酸素吸入。なぜか30元
(明細が前日が材料費、この日は治療費)。
4日、人民医院へ、酸素吸入と薬。
7日、ネパール領事館へ行きヴィザ申請。
「西蔵中国国際旅行社」に行き、ランドクルーザーを予約。
8日、ヴィザ発給。旅行社にランクル代3080元のうち2080元を支払う.。残りはボーダーで。
9日、10時ラサ発。7時ごろラツェ着。「ラツェ賓館」泊。
10日、ダムの税関を越え友誼橋の手前で残金支払い。白タクを拾い、カトマンドゥ着。

【日本】
2月13日帰国。

3月13日成田発、バンコクへ(エアインディア)。ワットチャナソンクラムのゲストハウス泊。

【ノンカイ】                                                              3月15日、タイ航空でウドンターニーへ。ウドンターニーからバスでノンカイへ。メコンゲストハウス泊。ベニヤ板壁。隣の部屋の白人が夜タイ女を連れ込む。まる聞こえ。
17日、Mut-meeゲストハウス。このあたり白人のコロニーのよう。
18日、リムコンゲストハウスへ。    
20日。シーチェンマイへ。ティムゲストハウス泊。ダニエルというスイス人の経営。ダニエルはそこにはいない。ダニエルの昔のタイ人の妻?がティムだったが、ティムと別れて後にくっついたのがいま(そのとき)の女主人(暗い閉じた雰囲気のある女)。この町出身で以前は貧しかったという。ゲストハウスにいるインド人顔の小さな娘はダニエルとティムの間の子。女主人に良く似た男は兄弟。以上は町のタイ人男の話。サウジに出稼ぎ経験があり英語を話す。
24日ノンカイへ。
26日、ビエンチャンへ。
29日ノンカイへ。

4月6日、夜行列車でバンコクへ。                                                【カンボジア】
16日、モーチットマイ(北バスターミナル)からアランヤプラテートへ。アランガーデンホテルⅡ泊。
17日、トゥクトゥクでカンボジアボーダーへ。アライバルビザをとり、ポイペトへ。ChauPhaYaゲストハウスにチェックイン。400バーツ。ポイペト滞在。
21日、シエムレアプへ。フレッシュエアゲストハウス。
22日、アンコールへ。
24日、プノンペンへ。船旅。アンコールトムゲストハウス。
26日、キャピトルゲストハウス。
27日、シエムレアプへ。フレッシュエアGH。
28日、「クメール伝統織物研究所」見学。
29日、バスでポイペトへ。チャオファヤゲストハウス。

5月1日、アランヤプラテートに出る。アランガーデンⅡ泊。
2日、ブリラムへ向かう。タイホテル。
3日。スーリンへ。クルンスリホテル。
4日、コラートへ。エクナコーンホテル。163バーツ(なぜかこんな半端な数字)。コラートではホットコーヒーを飲めるところが見当たらない。インスタントコーヒーすら出すところがない。スーリンではわりと簡単に見つかった。カンボジアから離れるにつれてコーヒーの文化がなくなっていくのか。
5日、バスでバンコクへ。台北大旅社。薬屋で「大活絡丹」を10箱買う。
7日、ワットチャナソンクラムRoof Garden泊。
8日、カオサンBarn Thai泊。
9日、マンゴゲストハウス泊。

【日本】
5月11日、エジプト航空で帰国。

6月26日成田発、エジプト航空、マニラ経由、23:05バンコク着。台北大旅社泊。

【チェンマイ】                                                                 7月1日、ホアランポーン駅よりノンエアコン2等寝台(下段)でチェンマイへ。
2日、チェンマイ。グッドウィルゲストハウス泊。
4日、(日記から)「昨夜ははす向かいのハゲ白人が深夜に女を連れ込んだ。このゲストハウスにはわざわざPlease do not bring "the lady"from outside.という貼紙があるのだが、夜12時ごろに圧し殺した声で入ってきて、2時ごろまでヒィーヒィーハーハーというのを3回戦ぐらいしたようだった。シャワーの音もずっと聞こえていた。2時ごろ女が帰る気配がして、近所の犬がいっせいに騒いだ。・・・このグッドウィルゲストハウスはなんかしっくりこない」 
5日、タぺー通りのソイのRama2ゲストハウスに移る。
8日、フィットネスクラブに行く。夜11時ごろタペー通りにあったバス停に耳の聞こえないかわいい女の子が座っていた。客をとってるようだった。
14日~18日、タイマッサージスクール。
20日、ノンエアコン寝台車でバンコクへ。
21日、台北大旅社。
22日、ワットチャナソンクラム、Merry5ゲストハウス泊。                                         【ポイペト】
24日、モーチットマイからバスでアランヤプラテート。ポイペトへ。チャオファヤゲストハウス。
29日、顔が怪物のように変形した女の人がトラックの荷台に乗っているのを見た。
30日、アランヤプラテートへ。昨日見た女の人がボーダーを越えたところの橋の上で子供を抱いていた。目が合ってしまった。目と目の間の普通はくぼんでいるところが、おでこのように大きく隆起してふくらんでいる。当然目の位置はずれていて、鼻もほとんどないようだった。大変恐かったが、赤子を抱いているのだから、ここでは生きていけるのだろう。アランガーデンⅠ泊。
31日、エアコンバスでバンコクへ。台北旅社。                                

【チェンマイ】
8月1日、ノンエアコン寝台でチェンマイへ。
2日、ラーマⅡ泊。
5日、ロイクロー通り、「オープンハンドスペース」のボスにタイ語を習い始める。
7日、シュガーシャックというバーでサウードというオマーン人の男と知り合う。
9日たまたま再開、一緒に夜遊び。ゴーゴーバー、ディスコ、ファランバーなどをはしご。チェンライ、メーサイ。
28日ポイペトへ出る。
31日タイに入る。

9月29日、バンコク発、ネパールへ(ビザ期限30日:同年2度目の滞在のため)。

【バルパック】                                                              10月29日ネパールビザ延長(30日)、
11月28日ビザ延長(30日)。

12月24日出国。この間、バルパック滞在など。マオイストの支配する村。

【タイ】
12月24日、ネパール発、タイへ。
12月31日、寝台車でバンコク発、チェンマイへ。

2003年1月1日、チェンマイ着。                                                  
20日メーサイ~タチレク、デイリターン。
2月17日メーサイ~タチレク、デイリターン。
3月2日、夜行チェンマイ発。
3日、バンコク着。
【日本】
3月5日帰国。

補遺:①どこかでエルフとメーサロン
②ヒルトライブの村をまわるトレッキング。バナナゲストハウス
のツアー。日本人の女の子と二人だったが、タイ人ガイドが最悪。
行くはずの村をいくつかスキップし、使うはずの車を使わず、
ひどい藪の中を歩かされる。
村をスキップするのはカネを浮かすため。
訪れる山岳民族の村はすべて観光村で、ガイドが村にお金を払う。
高床式の家が並ぶ村をまわって目に付くのは、けばけばしいペンキ
を塗りたくった場違いな教会小屋。ピンクのハートマークを描いた
キリスト教の集会所など。ミッショナリーが建てたものと思われる。
白人との混血の孤児も。

2001年~02年ネパール、チベット

2001年
10月31日日本発、ロイヤルネパール航空でネパールへ

12月22日~チベットツアー。
コダリまでツーリストバス。入国入境手続きのあと、緩衝地帯のようなところをトラック。国境を越えたところからランドクルーザーでニャラムへ。チベット犬。
23日、ニャラムからティンリを経てラツェへ。途中標高5200メートル位のところで休憩。どこも荒野。空は宇宙が見えるかと思うほど青い。
24日、ラツェからシガツェへ。
25日、シガツェからギャンツェへ。
26日、ラサ着。ツアーと別れ単独に。「吉日旅館」に入る。100元。
27日、中国銀行に日本からの送金を依頼。
28日、中国銀行からホテルに送金の知らせ。
29日、銀行でお金を受け取る。高山病の症状。
31日、人民医院へリクシャで行き、酸素吸入。酸素吸入13元、薬7,3元。ホテルで酸素ボンベを2つ、1つ20元。

02年1月1日、再び人民医院へ、酸素吸入。なぜか30元(明細が前日が材料費、この日は治療費)。
4日、人民医院へ、酸素吸入と薬。
7日、ネパール領事館へ行きヴィザ申請。「西蔵中国国際旅行社」に行き、ランドクルーザーを予約。
8日、ヴィザ発給。旅行社にランクル代3080元のうち2080元を支払う.。残りはボーダーで。
9日、10時ラサ発。7時ごろラツェ着。「ラツェ賓館」泊。
10日、ダムの税関を越え友誼橋の手前で残金支払い。白タクを拾い、カトマンドゥ着。

2002年2月13日帰国。

記憶:ネパールからチベットへの安いツアーはいろいろな意味でひどかった。真冬の標高5000メートル級の場所で壁に隙間だらけのドーミトリに泊る。持ってきたものを全部着てシュラフに入っても震えが来る。5000メートル級のチベットの荒野はカラパタールより地球離れしていて凄い。

コダリかニャラムで休憩のときに犬にかまれた。チベット犬を最初に見たときは黒いライオンかと思った。チベット犬としてはさほど大きくない一頭が、吼えもせずうなりながらまっすぐに近づいて来て、いきなり膝に噛みついた。寒さのためにズボンを2枚はいていたこともあり傷はなかった。あっという間の出来事。一回噛むと行ってしまった。

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