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マラッカ航海日誌補遺

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「世界を興奮させた」テムズ川クジラ救出作戦に「日本は音無しの構え」「銛があれば日本人はもっと興味がわいた」 デイリーテレグラフが日本人非難

産経新聞31日「世界は日本・アジアをどう伝えているか テムズ川の救出作戦」より

<テムズ川の救出作戦は「世界を興奮させた」。(にもかかわらず)

世界でクジラを捕獲する数少ない国の一つである日本では報道は音なしの構えで、せいぜい(河畔に立つ)英議会議事堂近くをクジラが泳ぐ写真を短い文とともに載せただけだった。たぶん、銛(もり)があればもっと興味がわいたのだろうが

「1240年にもテムズ川にクジラが迷い込んだとの記録があるが、当時の人たちは上流に追い込んで銛でしとめた」
記事の主眼は英国人も昔はクジラを捕っていたのだ」と、ざんげすることにあるのではない。
「今回の救出活動は、この生き物への感情の特筆すべき変化を浮き彫りにしている」とある。つまり、英国人はますますクジラを愛するようになった、といいたいわけだ。>

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ほんの800年ほど前は、アングロサクソンは自然を愛でる心など一片もないどうしようもない野蛮人だったと自慢してることにもなるが。

少なくとも日本人はイギリス人のように動物いじめに狂奔する伝統文化は持たない。

世界はイギリス中心だとでもまだ信じてるんだろうか。
テムズ川のニュースは、世界のニュースでなくローカルニュースに過ぎないのだが。

「多摩川のタマちゃん」や「東京湾に迷い込んだコククジラ」について、彼らは報道したのだろうか。

「(日本人は)銛があればもっと興味がわいたのだろうが」というデイリーテレグラフの報道は、明らかに人種主義であり、日本人に対する「野蛮認定」である。

彼らには常に「野蛮」の再定義をし続ける必要がある。

反捕鯨運動が人種主義運動にほかならないことはハッキリした。

もとより、白人によるあらゆる環境主義運動、人権運動等のきれいごとすべてが、本質的に人種主義に動機付けられているのである

先に自然を収奪し、環境を破壊し、奴隷狩り・奴隷売買・奴隷使役を含む搾取・収奪により蓄積した富によって確固たるファンドを築き上げ、その利息(英語代を含む)の上にいまの豊かさを享受している白人たちとしては、這い上がろうとする有色人種はぜひとも引きずりおろさなければならない。

すでに這い上がった日本人に対しては、彼らはどうしても「野蛮」認定しなければならない。それができなければ、イギリス白人のみならず、世界中で白人が白人であるがゆえに現在享受している不合理な諸特権を合理化できないからである

彼らは無限に「野蛮定義」をし続けなければならない理由がある。人種主義はすべて、この白人の「野蛮定義」から発している。

日本に落とした原爆、東京大空襲、ベトナムに落とした枯葉剤やナパーム弾や燐爆弾やマグネシウム爆弾は、「ホロコースト」でも「人権侵害」でもない。

彼らはそれらに心を動かされることはない。

なぜなら、それらは、彼らの野蛮の「定義」から外れているからである。倫理的な「定義」は感情をも制約するのである。

贅沢のために子牛をいくら殺していても、その場面を自分で見でもしない限りは、残虐に感じないのと同じである。

しかし、「日本人が鯨を食べるために捕獲する」ということは、彼らの「野蛮定義」に当てはまる。

すなわち、「日本人」「鯨」「殺す」「食べる」、これらの諸要素が彼らの「野蛮定義」のど真ん中に当てはまるのである。

したがって、その日本人の行為は、許しがたい残虐行為であり地球上から撲滅すべき野蛮であるということになる。

地球上から第一に撲滅すべき「野蛮な」悪習は、「日本人の捕鯨」か「アフリカの女子割礼」か、という勢いになる。

それもそのはず、最初に彼らがそのように定義したからにほかならない。

事実彼らは、「日本人は科学調査のためといいながら、その鯨肉を食べている」という非難のしかたをする。

本人がやる場合は、無駄に廃棄処分するよりも、捨てずに食べることのほうが非難されるのである。

いくら捕獲量が科学調査に必要最小限のものであり、肉を捨てるほうがもったいないと日本人が主張したとしても、「日本人が」鯨肉を「食べる」ことへの白人の非難は、募ることはあっても収まることはない。

白人が自分たちで勝手に用意した「野蛮定義」によって、最初から、感情の流れがそうなるように組み立ててあるからである。

 
関連記事:

日本捕鯨に批判広告 英紙、「テムズ川」絡め
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2006/01/post_8083.html

グリーンピース、クジラの死骸を在独日本大使館前で公開  日本非難のキャンペーン
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2006/01/__ae3a.html

【イギリス政府発表】捕鯨反対で17カ国が声明 日本政府に抗議 (白人の反捕鯨運動が反日人種主義運動にほかならないことの理由付)
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2006/01/post_6270.html


白人の「野蛮定義」の意味について:

「NYタイムズ日本たたき顕著」(産経新聞)
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2005/11/ny_da1a.html

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白人は『公共空間の白人による支配』を要求する

犬と中国人はなぜ公園に入ってはいけないのか。それは公園が「公共空間」だからである。

中国人の入れないところには日本人も入れないのが大原則である。この原則を無視して名誉白人の特権を行使する日本人を、白人は「卑怯である」と評価する。これが白人世界の「卑怯」の概念である。

オープンカフェ、船のデッキ、これらは白人の好む場所であるが、これらも「公共空間」である。彼らはこれらの公共空間が白人のみによって占められている状態を強く要求する。

   
差別撤廃訴え、初の会議 ロマ民族、42カ国から参

【パリ18日共同】欧州各国で少数民族として生きるロマ(ジプシー)の42カ国の代表が参加し、差別撤廃を訴える国際会議がこのほどフランスのストラスブールで開かれ「(他の欧州市民と)同等のパートナー」を目指すとの声明を発表した。主催者によると、各国のロマが一堂に会するのは初めて。
 会議は、ストラスブールに本部がある欧州会議の後押しを受け、ロマの5つの国際組織を統合する形で開催。13日から15日まで活動目標や憲章について協議した。
 欧州に1200万人いるとされるロマは、長く移動の民として生活してきたが、最近は各地での定住も進んでいる。ナチス時代のドイツでは、ユダヤ人らとともに強制収容所に送られるなど差別や迫害を受けてきた。
 声明は、今も続く差別を念頭に「住宅や福祉など基本的な権利」を、他の市民同様に享受できることを目指すと強調。「(社会からの)隔離と戦う」と誓った。

(共同通信) - 12月18日15時36分更新

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051218-00000048-kyodo-int

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ジプシーの語源はエジプシャンで、かつてエジプト出身だと誤認されていたことによる。
「ロマ」は「人間」を意味する民族語の「ロム」の複数形。
18世紀末、ロマ固有の言語ロマニー語が古代インドのサンスクリット語と近いことがわかり、今日ではロマは、インド北西部のパンジャブを原郷とするアーリア系民族であるというところまで定説となっている。

「アーリア人」純血主義を掲げるナチスは、ロマがアーリア系であることをむろん知っていた。それでいてロマの絶滅をはかったのは、ロマには非ヨーロッパ系の劣った血が混じっているに違いなく、ゲルマン民族とはまったく相容れないその生活習慣はアーリア人の面汚しで、放っておけばドイツ人の純潔が汚される、という勝手な理屈による。

以上、21世紀研究会編「民族の世界地図」(文春新書)より。
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ナチスの人種主義は、「アーリア主義」という「装い」を凝らした、たんなるたんなる「白人至上主義」だったんでしょうね。

白人は2人集まると人種的な「シマ」をつくりはじめる。日本人が日本人同士の間に線を引いて派閥を作りたがるのとは少し違う。

また白人は「空間の支配」に強いこだわりを見せる。日本人も日本人専門店などに集まるがそれはある種の避難所で、特殊なむしろ私的な場所である。日本人はどちらかというと閉鎖的な場所に仲間だけでいることを好む傾向がある。

これに対して白人は、「公共空間」の事実上の支配を要求する。その背景には、「公共」という概念は西洋のもの、という西洋人の信念があるのかもしれない。

しかし「公共」が西洋固有のものなら、「市民」と呼べるのも白人だけということになるだろう
   

人種に関しては、日本人が鼻の高さや目の形を気にするのに対して、白人はあくまで「肌の色」「目の色」「髪の色」にこだわるように見える。
(彼らに言わせると日本人も「ブラウンピープル」に一括される。「イエロー」は語感がよくないらしい。主観的に人種差別に反対しているつもりの自称リベラルな白人に「君たちはブラウンピープルだ」などといわれると日本人としてはちょっと変な感じがする。さらに「イエスもブラウンだった」などとへつらいを言われることがある。日本人としてはますますわけがわからなくなる。)

白人はインドや中東などで、顔立ちが白人に似ている有色人種を支配・搾取してきた長い歴史を持つ。そういう歴史の中で白人の優位性を根拠付け人種秩序を合理化するために彼らが作り上げてきたのが「肌の色による優劣」というイデオロギーである。それは彼らの文化に欠くことのできないものであり、感性にまで浸透しているのだろう。

人種主義は白人文明にとってその成立においてすでに不可欠の要素であった

「NYタイムズ日本たたき顕著」(産経新聞)

よく言われることではあるが、ドイツはただ侵略戦争をしただけでなく、ドイツ国民自らの意志で選んだ独裁者の下で、国籍を問わず特定人種民族の殲滅を目的とする政策を掲げ、それを組織的に実践した。戦後は、ホロコーストの罪はドイツ国民ではなくナチス党にあるという論理によりすがり、憲法忠誠を国民に課す(価値自由のない)民主制の下で早々に再軍備したが、いまなおその社会に白人至上主義あるいはアーリア人至上主義を正面から掲げるネオナチを平然と抱えている。(これは日本の街宣右翼(その構成員のかなりの部分は在日朝鮮人である)等とはまったく異質の「人種主義」運動である。)

にもかかわらずドイツは日本のように欧米リベラルによる非難を受けることはない。なぜか。日本の「民族主義」「排外主義」を批判する欧米リベラルの動機の根底にあるものは、彼ら自身の人種主義、白人至上主義にほかならないからである。まず第一に自らの人種主義を糊塗するために日本の「民族主義」をことさら強調するのだが、それだけではない

自由で民主主義の実績を持つ日本が「民主主義」に遠く及ばないことを彼らが強調するのは、まさに、日本は民主主義に「及び得ない」というレッテルを暗に貼るためなのである。すなわち、有色人種は専制や全体主義の被害者にはなりうるが、それを自ら克服し民主主義を自ら運営する主体にはなりえないことを、彼らは確認したいのである。それはつまり有色人種は「文明には及び得ない」ことを確認する行為にほかならない。

このように欧米リベラルの日本批判の動機の根本にあるものは、「文明」と「野蛮」との人種主義的定義の再確認であり、白人キリスト教徒の人種的文明的優位性の確認にほかならないのであるが、それを白人自身が直接手を下してやるのでなく、アジア系や日系人あるいは反日日本人を使ってやらせるところが白人の狡猾なところである。分割して統治する、部族対立・民族対立を引き入れて内紛を起こした上に白人支配を確立するというやり方は、彼らがアジア・アフリカで数世紀にわたって実践してきたことでもある。

人種的優位性の認識が白人にとっていかに死活的なものであるかを示すエピソードの一例を挙げると、19世紀末、イギリス人が「ローデシア」と名づけたジンバブエで、アクロポリス、神殿などからなる巨大な石造建造物群が発見されたが、白人はそれをどうしても黒人が作ったものと認めたがらなかった。それで彼らはそれを旧約聖書「列王記」にあるオフェール(オフルOphir)の遺跡だと発表した。しかし、ジンバブエ遺跡から発見された遺物の中にはそれが黒人文化の所産であることを示す像などがあり、アラブや中国との交易を示すものも見つかった。それでもイギリス人はそれを認めず、都合の悪い遺品を隠蔽して公にしないという暴挙に出た。それらの多くは現在なお公表されていないのである。(文春新書「民族の世界地図」より)

異人種・異民族との支配・被支配とは無関係に独自の文明を作り上げた日本人には理解しにくいことだがが、白人文明は、その揺籃においてすでに有色人種の「野蛮」世界に対する支配・搾取をその要件としていた

すなわち西洋文明は、有色人種の奴隷や植民地に対する搾取の「果実」の上に初めて成立しえたシステムなのである。いいかえれば搾取なくしては成り立たず、搾取しながらも非難し嘲笑すべき「野蛮」なくしては自己を確立し得ない文明が、まさに白人キリスト教文明である

アジア系の口を借りた彼らの日本に対する執拗な攻撃・非難も、このような文脈においてのみ初めて正当に理解せられるものであると思う。

以上は前置きでした。
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(記事)
産経新聞11月28日朝刊「NYタイムズ日本たたき顕著」
【ワシントン=古森義久】米国左派リベラルの大手紙ニューヨーク・タイムズの日本への否定的な論調がこのところ鮮明かつ露骨となってきた。靖国問題で中国側の主張を全面的に正当だとするだけでなく、米国との同盟関係に基づく日本の安全保障政策や国会議員の大多数が賛成する憲法改正までも「危険な軍国主義志向」として扱うという日本への不信や非難の姿勢が明らかなのだ。同紙の最近の反日論調を点検してみた。

 ニューヨークタイムズは日米同盟の強化に反対し、日本が米国とともに東アジアの安全保障に関与することにも留保をつける点では日米安保条約自体にも難色を示すといえる。同時に中国の動向には奇妙なほど理解をみせる。十九日付の「冷戦的な中国政策」と題する社説をまずみよう。
 同社説はブッシュ政権の対中政策を冷戦時の対ソ連「封じ込め」に等しいと批判し、「中国はいまは米国への明白な軍事的脅威ではない」と述べ、中台衝突の危険も緩和されたと断じる。そのうえでブッシュ政権が中国の周辺諸国との軍事的きずなを強めることはよくないとして日本をその「最も厄介な実例」と評し、次のように述べる。
 「ブッシュ政権はすでに心配な民族主義的な日本政府に軍事に対する戦後の制約を捨てて、もっと野心的な地域安保の目標を目指すことを積極的に促しだした」
 この「心配な民族主義的な日本政府」という基調は、日本国民を民族偏見と劣等感をもつ偏狭な民族として描くところまで暴走する。同日付の「アジアのライバルの醜いイメージが日本でベストセラーになる」という報道記事がその一例だといえる。
民族偏見 排外主義
 同紙東京支局長のノリミツ・オオニシ記者の同記事は、日本で人気を集めた「マンガ中国入門」(飛鳥新社)などの漫画本を、 日本人の「長年のアジアの他民族への偏狭な排外主義」や「複雑な優越感と劣等感」の表れとしての「中国人、韓国人への憎悪」と決めつけ、日本人が中国人らに民族偏見を抱いているように描く。同記事はこうした漫画本が出る原因となった中国側の激しい反日には一言も触れていない。
 この種の一方的な「報道」記事と「評論」である社説とは二人三脚で日本たたきを続ける。日本の政治を一党独裁の中国と同一視するオオニシ記者の「なぜ日本は一党に統治されることに満足なのか」と題する記事(九月七日)は日本には民主主義はないと断ずるに近い偏見に満ちていた。単に自民党の長期政権が続くという理由だけで、日本の政治を中国や北朝鮮の独裁にたとえ、韓国や台湾のほうが市民社会や自由なマスコミが健在で民主主義も進んでいる、というのだ。記事には次のような記述が続出する。
 「政治家と選挙民の関係はパトロンと顧客の関係であり、民主主義ではなく、その正反対なのだ」
 「日本の民主主義は一九五五年に作られた幻想であり、五十年の一党支配が民主主義の成長を止めてしまった」
 日本の国民が民主主義の下で自由に意志を表明した結果の自民党政権への信託という結果をまったく無視するわけだ
アジアは小泉警戒
 総選挙での自民党の大勝利を受けての九月十三日の同紙の社説も、日本の民主主義の基盤や対米同盟の根幹を無視し、侮辱さえする内容だった。
 「(選挙での自民党の勝利は)小泉首相の軍事的ナショナリズムという日本の伝統の愚かな擁護を容認することになった」
 「軍国主義者が祭られる神社への小泉首相の参拝と、より力強い軍事政策への小泉首相の支持はアジアの世論全体を警戒させることになった」
 この記述はいまの日本には軍事的ナショナリズムという伝統が残り、その伝統を守ることは「愚か」なのだとする。しかも小泉首相が安保面でとる政策はみな「軍事的ナショナリズム」であり、「アジアを警戒させる軍事政策」なのだ。
 だが首相の「より力強い軍事政策」というのはみな米国との同盟関係の維持や強化の範囲内である。日米共同のミサイル防衛や中国の軍拡への懸念の表明、その日米共同の抑止の効用を高めるための種々の措置など、みな米国から奨励されての動きなのだ。その日米同盟の本質といえる各措置を危険扱いするわけだ。
 共和党保守派を一貫してたたく同紙は、「敵」の「友」は自動的に「敵」とみなすような情緒的な態度を示す。その一例としては小泉改造内閣の顔ぶれを報じる十一月一日の東京発オオニシ電に以下のような記述があった。
 「官房長官となった安倍晋三氏は北朝鮮と中国へのタカ派的なスタンスで日本でも最も人気のある政治家となり、ブッシュ政権のお気に入りともなったが、アジアの近隣諸国の強い不信を招いた」
 つまりブッシュ政権に気に入られることは好ましくないというのだ。こうみてくると同紙が靖国問題でさらに反日親中の偏りを激しくするのも自然に思える。小泉首相の十月十七日の靖国参拝に対し同紙は十八日の社説で「東京での無意味な挑発」と題し、日本を攻撃した。
軍国主義 伝統擁護
「小泉首相は日本の軍国主義の最悪の伝統をあえて公式に擁護してみせた。靖国は日本の二百五十万の戦没者の単なる慰霊の場ではない。二十世紀前半の数十年の日本による虐殺にまみれた朝鮮、そして中国と東南アジアの大部分での凶暴行為への悔いない見解を促進している。神として追悼され、崇拝される霊には裁判で有罪とされたA級戦犯十四人も含まれているのだ」
 同社説は日本の首相をさらに激しく非難する。
「小泉首相の靖国参拝は日本の戦争犯罪の犠牲者の子孫たちに対する計算ずくの侮辱だ。首相は自分が何をしているかを明白に知っている。その参拝は自民党の右翼ナショナリストの礼賛を得たが、首相はこの勢力を抑えつける必要がある」
 この独善的な非難は小泉首相の靖国参拝への「国のために亡くなった人への弔意」とか「平和のため」「戦争を繰り返さないため」という説明をまったく無視して中国の主張をそのまま繰り返すに等しい。
 また同紙は日本では国会議員の大多数、国民の多数派が支持するにいたった憲法改正をも「危険な軍国主義志向」と断じており、日本にとっては民主主義同士の同盟国の大手メディアの論調とは思えない。

人種の棲み分け

私は、人種・民族は「棲み分け」ができたほうが良いと思っている。異なる人種・民族はそれぞれ別の場所に居られるようにして、それを普通のことにしたほうが良いと思う。

旅をして感じるのは、白人と日本人との旅先での楽しみ方はまったく違うということ。白人とアジア人という区分けでも違うと思う。
とくにバックパック旅行のような「生活する」長い旅では、それぞれのいちばん素の部分が出る。人間の縄張り意識や本来の人種意識も率直に出やすい。縄張り意識や異人種・異民族に対する違和感はどの人種・民族も持っている。

アジアの観光国やツーリスト地域のレストランやカフェやバーなどは、ほんらい「白人のための場所」であることが多い。
経営者も白人客をターゲットにして店を作っていて、本音では有色人種の客を歓迎しないし、そういうところの白人客もアジア人やローカルの客が同じ場所にいるのを好まない。

それなのにタテマエ上は人種を問わずに入っていいということになっているために、却ってそういう場所で日本人が不愉快な経験をすることも多いと思う。

ほんらい「白人のための場所」であるのにアジア人も入っていいことになっているのは、ひとえに「白人男がアジア女を連れて入ってもいい」という意味だと思っておいたほうが良い。

こういうことを変えるのは難しい。何百年も続いている世界の秩序を根本から変えようとするようなものである

   
欧米流のマナーについてあれこれと言い神経質になる人がいるが、かえって滑稽である。

マナーの基本は周りの人を不快にしないことだといわれる。そのとおりだろう。しかし、白人の半分くらいにとっては、ここは良い所だと思って入ったところに東洋客がいるだけで不快なのが現実である。これはアジアのリゾートでも同じであるか、むしろ顕著である。

日本人でも穴場的な雰囲気の良い落ち着いた店とか、とっておきの日のための高級な店に入ってみたら、隣のテーブルに中国人が2、3人陣取っていて中国語でしゃべっていたとしたら、それだけで多少はゲンナリするのが正直なところだろう。その中国人が特別行儀が悪くなかったとしても、中国流におしゃべりして中国流の表情やしぐさをしているだけで巡り合わせが悪かったと思うのではないだろうか。

何でもかんでも異文化としょっちゅう接触していることがいいことなのではないし、異文化を受け入れる努力をしなければならないわけでもない。

誰にとっても「異文化」は、基本的には不快なものである。だからこそ、文化は均質化せず、異なった文化が存続しているのである。このことをまず確認しなければならない。

均質化主義のグローバリズムは究極の全体主義であり、大変危険なものである。しかし、日本で「異文化交流」を掲げたり、白人と仲良くしましょうといっている連中はみな、自覚的にか無自覚にか、この危険な立場に立ってものを言っているのである。

   
したがって観光地でもリゾートでも、それぞれの人種・民族ごとに居心地の良い場所があるなら、それが理想だと思う。
清潔で景色がよく空気がよく静かであるというような、基本的な環境の良さというものは人種にかかわりなくおおよそ共通だと思う。
その上でどんな音楽をかけるのかかけないか、どんな大音響で音楽をかけるか、などの好みはそれぞれのエスニックグループによって変わってくるだろう。
しかし、基本的な良い条件というものはあると思う。そういう良い場所がそれぞれのグループに公平に分配されるなら、それが理想といえる。

しかし、現実には居心地の良い場所は「白人のための場所」になっている場合が多い。

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ツーリズムの場面でいえば、遊ぶところはともかく、宿とインターネットカフェは切実な問題である。

いわゆる日本人宿は、もっとも嫌われるタイプの日本人が主(ぬし)になって最悪の人的環境を作り出すという傾向があることが過去の実績からわかっているので、反省が必要である。

しかし、インターネットカフェについては日本人専用店を考える余地があると思う。

ツーリズム関係者はぜひ、日本人専用インターネットカフェが各地に設立されるよう働きかけてほしいと思う。

ビルの一室にインターネットを並べて日本語看板だけ出して英語看板を出さずにおけば、おおよそ日本人専用店にすることができると思う。

インターネット屋は旅先での図書館であり書斎である。図書館で大声を出して喋っていいと思っている人たちとの共存は難しい。

白人のいるアジアのネット屋はきわめて不快な空間である。

白人はネット屋の狭い空間内でも、外にいるのと同じようなとどろくような大声でしゃべりまくり(声の質が違う)、一つの機械を平気で二人で使い、その間絶え間なく喋りつづける。

室内をうろうろ歩き、歩きながらまた大声で喋る。このような感性の連中と普通の日本人が長時間同じ空間にいることはやはり難しいと思う。これはゲストハウスや白人の多いホテルでも同様である。白人の行動様式はどこに行っても変わらない。

結果として、このような白人連中と一緒にいられるような感性の持ち主だけがアジア旅行に居残ることになる(ビジネスマンや高級ホテル宿泊組の短期旅行者を除く)。

若くてまともな日本人はアジア旅行を2度と選ばず、アジアはますます白人ツーリストに占領されていくことになる。

本来的な意味の「人種差別」について

人種差別とは「人種主義」に基づいて人を差別することだと私は考える。人種主義に基づく差別でなければ言葉の本来の意味における人種差別とはいえない

人種主義とは、白色人種と自ら称する人種が、グローバルな植民地制度を打ち立て、彼らが有色人種と名づけた人々を奴隷にしたり隷民として搾取したりするために自ら作り出した世界戦略的なイデオロギーである

人類は知能や理性に関して、その属する人種により、生まれながらにして優劣があり、白人は有色人種に対しこれらの点で優越する、というのが人種主義の考え方である。

これは白人が考え出したイデオロギーであって、白人、黒人、黄色人種、コーカソイド、ネグロイド、モンゴロイドという人種の区別自体、白人が作りだしたものである黒色人種、黄色人種は、白人にそのように定義された人種であって、自らをそう呼んだのではない

人種主義および人種差別にはこのような固有の歴史がある。この点は注意を要する。

日本人が「無意識のうちに」人種差別を持つなどということは原理的にありえない。たんなる異質な他者に対する警戒や、村社会の排他性や、民族対立などは、この意味の「人種主義」とはまったく別物である。

有色人種が人種主義を持つことがまったくないわけではない。それは、白人のイデオロギーを内面化してしまった場合である。白人に精神的に従属した結果、白人の精神構造を進んで内面化して同化しようとする場合である。(これはタイ人に顕著な精神的傾向といえる)

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【当ブログ読者からいただいたメールから】

人種差別ーシドニーからの報告

はじめまして。私は現在オーストラリアで語学留学している者です。

今日のシドニーは晴れ。なのに突然頭上から大量の水が降ってきて、ずぶぬれになりました。見上げるとある家の窓で白人の男がこちらに向けてビデオカメラをまわしており、その横で見るからにバカそうな白人女が大声で笑っていました。

私はすぐに何が起きたのか、なぜ道を歩いていただけの私にこのようなことが起きたのかを理解しました。彼らは「下等なアジア人には何をしようが許される」と思っているのでしょう。きっと私のずぶぬれ映像はレイシストサイトか何かで配信されるんでしょうね。

日本にも「ガイジン差別」があるとよく聞かれますが、白人の差別はその比ではありません。露骨な悪意を感じます。日本人は決して、道を歩いているだけのガイジンさんに水をぶっかけビデオを撮るなんてことはしません。日本の「ガイジン差別」は実は差別ではなく、異質な他者に対する警戒の類いだというあなたの意見に激しく同意します。

このような民度の低いバーバリアンの植民地に私はいったい何を学びに来たのか、分からなくなってきました。。。

M

白人が増えることの脅威

日本に帰ったら街に白人が増えていた。どの異人種よりも白人が増えたように感じる。
白人が不愉快に増え始めた。

日本もタイのようになってしまうのだろうか。
私は脅威を感じる。
故国日本には外国人は少なくあってほしいというのが、私の正直な気持ちである。

中国人や韓国人が増えるよりは先進国の白人が増えたほうがいいだろうというのは、よく聞かれることである。
しかし、中国人韓国人の集団が手におえないのはいまさら言うまでもない。世界中の誰もが認めている自明のことである。だから却って、彼らに対してはわれわれに共通認識の防御壁ができているといえる。中国人韓国人が横着でやることは、横着であって権利でないことはみなわかっている。

ところが白人は、数が少ないときは猫のようにおとなしくしていることもあるが、数が増えるとがらりと態度が変わる。たんに横着で態度がでかくなるという単純なものではないから却ってタチが悪い。

白人は数が増えると、彼らの横着を「権利」として要求し始める

そうなると誰も彼らを止めることは出来ない。その社会では白人の横着を批判することさえ禁じられることになる。すでに日本はそうなりかけているが、その行き着く先にどんな社会があるか、その始末についてはタイに行けば全国いたるところで見ることが出来る(深南部三県を除く)。

関連記事:

本来的な意味の「人種差別」について

白人は『公共空間の白人による支配』を要求する

白人はなぜ白人か

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