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マラッカ航海日誌補遺

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白人を批判するとグーグルをはずされる?

「日付のある紙片」で検索してこのブログにアクセスしてくださる方がかなりいらっしゃいますが、検索ワード「日付のある紙片」でグーグル検索してもこのブログのメインページはまず見つかりません

ヤフーで検索すれば一番上にメインページが来ます。

私はたまにそういう検索をやってみて自分のブログが出てくることを確認して安心したりするわけですが、2,3ヶ月前に試したときはグーグルでもメインページが先頭に来ていました。

ところが今「日付のある紙片」でグーグル検索すると、なぜかある古い個別の記事(「西部邁の女系天皇容認論」という記事、アクセスほとんどなし)が先頭に来て、あとはトラックバック先のほかの人のブログばかりずらりと並ぶ。

メインページを開くと最初に「白人が増えることの脅威」という記事が来るようにしてあるからかもしれませんが、これは2,3ヶ月前もそうだったはず。

この2,3ヶ月で変わったことといえば、おそらく、タイトルバナーの写真が影響しているのだろうと私は思いますが。

とにかく、検索はヤフーで!

グーグルは政治的に汚い会社ではないでしょうか。中国では共産党の権力に従順で、タイでは少しだけ妥協し、つまりその権力の大きさに比例して従順であり、もちろん白人支配圏域では(つまり全世界で)白人の利益を害しかねないサイトはできる限りはずす・・・・ってことだろうと思います。

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タイ当局、南部3県で携帯遮断=イスラム教徒の抗議・暴動、激化で

6月2日19時0分配信 時事通信

 【バンコク2日時事】タイ治安当局は2日までに、同国南部で激しさを増すイスラム教徒による軍への抗議活動や暴動を沈静化するため、南部3県で住民が携帯電話を使用できないようにした。遮断期間は5日程度を予定しているという。
 南部パタニ県では5月31日、イスラム教徒らが軍に対する大規模な抗議集会をモスクで開催。「軍がイスラム教徒襲撃に関与している」と主張し、南部からの軍の撤退と隣接するヤラ県の一部に発令されている夜間外出禁止令の解除を求めた。
 治安当局は同日からパタニ、ヤラ両県で、今月1日からはナラティワート県で、それぞれ携帯電話を使えないようにした。 

北部に縁のあるタクシン前首相は、北部には手厚く(といってもタイ族のみだが)南部問題には冷淡といわれていた。クーデタ後は深南部問題も好転するのではないかという観測もあったと思うが、事態はまったく逆のほうに向かっているようである。

国王戴冠60年式典後のタイ族民族主義の高揚、翼賛運動の異常な高揚、仏教国教化運動、などがマレー系のイスラム教徒には疎外感を与えている面もあるのかもしれないが、政府側も居丈高になっているのだろう。北部山岳地域で少数民族に対して普通に行われているように、深南部農村でも政府レンジャー部隊による住民虐殺やレイプが絶えないようである。銃撃や爆弾もどの事件をどっち側が仕組んだのかよくわからない状態。

すでにXデー後が展望されているのかもしれない。

実際、この分だと国王崩御後の内乱は避けられないような感じがするので、深南部に旅行するなら今のうちかもしれません

パッタニ、ナラティワト、いいところです。

静かで、海があって、人間は穏やかで、毛唐がいなくて・・・・。

タイ深南部のマレー語は「ジャーウィー語」といわれるが、これは「ジャワ語」という意味なんだとか。

(もとより、この良さはリスクをとってのリターンであるということはお忘れなく。リスクがなくて安いところは世界中どこでも毛唐だらけになる、売春婦とシカメッツラと人種差別の修羅場になるのが必然です)。

そういえば今回のタイ旅行では、以前はしょっちゅう見た強烈なタイ式シカメッツラを見ていない。南部とサラブリとスーリン、プラサトしか回ってないからだろうか。

やっぱりあれは主に北部、チェンマイ、チェンライなど白人密集地域の流行だったのかもしれない。

豪ホテルで警察官、ジャカルタ知事の部屋に合鍵で侵入

6月1日20時23分配信 読売新聞


 【ジャカルタ=佐藤浅伸】オーストラリアのシドニーで、インドネシア・ジャカルタ特別州知事が宿泊していたホテルの部屋に警察官が合鍵を使って侵入、怒った知事が豪政府に謝罪を要求し、両国関係が悪化する事態となっている。

 スティヨソ同州知事によると、5月29日夕、部屋で休んでいたところ、警察官2人がノックもせずに入り、1975年の東ティモール侵攻作戦時に豪州人カメラマンら5人が死亡した事件に絡んで、出廷を要求された。豪州の地元州知事の招待で訪問していたスティヨソ知事は予定を切り上げて帰国、30日の記者会見で「こんな侮辱はない」と怒りをぶちまけた。

 インドネシアのユドヨノ大統領も不快感を表明、ハッサン外相も駐インドネシア豪大使を呼んで抗議した。

最終更新:6月1日20時23分

読売新聞

「どっちもこっち」論再点検@疲れ気味

ブログ閲覧者が増えるたびに(新参者が来るたびに)再三繰り返される「どっちもこっち」論について。

このブログでも何度も答えてきたような気がするが、メールにまでいちいち答えるのはたいへん疲れる作業。(ただでも病み上がりのうえ移動も多く疲れ気味)。

ブログ過去記事を検索してみると、「どっちもこっち」論を正面から扱っているのは次の記事だけだった。 

「日本人もやっている・・・」で黙らせる論法について
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2007/02/post_4d22.html

「どっちもこっち」論は、「白人の買春」や「タイ人の人種差別」や「白人の歴史的なアジア(アフリカアメリカ)植民地支配」に対する批判に対して、反批判として必ず出てくるものだが(「日本人も・・・」「日本も・・・」という形で)、テーマは変わっても共通の論理を持つと私は思う。

しかしここでは主に、「日本人に対する人種差別」の批判に対して行われる「どっちもこっち」論を念頭において述べたい。

結論から言えば、「私は『どっちもこっち』とは思わない」で終わりなのだが、関連して思いついた点を(ばらばらと)並べておく。

「買春」や「植民地支配」についての「どっちもこっち」論について一言で言えば、(白人とは)「量が圧倒的に違う」「年季とスケールが圧倒的に違う」、「『量から質への転化』を故意に見落とすな!」ということ。買春についてはある程度資料もあげてきた(カテゴリー「白人のいる風景」、「児童買春」など参照)。

Ⅰ「どっちもこっち」論者は、「批判」自体を好まない 否定的な意味でいわゆる「日本的な」人々。

彼らが見落としていること:

①「批判」とはそもそも「不公平」なものである。あらゆる批判は当座において不公平でなければならない。

②「公平な批判」は、拡散または中和を意味し、何も生み出さない。これは実は「批判」ではない。

③「批判」は一時的に「不公平」を生み出して、人々の関心を事態のある特定の側面に集中させることから始められなければならない。これに対する反批判がたとえば別の側面に光を当てるならわれわれは2つの側面を得るであろう。しかし、「批判をしないこと」あるいは「公平な批判」(それはすでに批判ではない)しかしないならば、物事はすべてあいまい無自覚のまま放置されるだろう。

④「どっちもこっち」論者は実は「落としどころ」を用意している。それは彼らが学校で習ってそのまま受け入れていることかもしれないし、朝日新聞が書いていることかもしれないが。「落としどころ」を用意しておくこと、これは「自由な批判の市場」における「見えざる手」による均衡とは正面から対立するもの。「見えざる手」は人間に見えないところに意味がある。しかし、「どっちもこっち」論者が用意しているのは、最初から当事者に見えている「落としどころ」であり、談合である。

Ⅱ「どっちもこっち」論者は、「何もしないこと」を提唱している

① 「どっちもこっち」論は「容認」を引き入れる。「どっちもこっち」は消極的にであれ事態を「肯定」する言葉である。

②痛烈な他者批判者は、防禦のためであれ自らの行いを正さなければならない(少なくとも批判している相手と同じことは出来ない)が、これに対して「どっちもこっち」論者は気楽である。彼らは互いに今までどおりのことをマイペンライで続けていくことが出来る。

Ⅲ「どっちもこっち」論の「どっち」と「こっち」

①「どっちもこっち」論の「どっち」と「こっち」は多くの場合実は「内」と「外」である。

②「ど・こ」論は、「内」にあって議論を起こそうとする者、「言上げする」者に対する、冷ややかな敵意と嫌悪感に支えられている。実に、「ど・こ」論は「言上げする者」の口を封じることを動機にもつ。

③「ど・こ」論は、日本人は「内」に目を向けてせいぜい自らの行いを正し自分たちのことを考えていればいいのであって「外」=外国を批判したりすべきではない、という鎖国的な事なかれ主義を背景にもつ。

④「ど・こ」論者は、「われわれ日本人」は互いのことは良くわかっている、原理的な議論などする必要はない、という(かーなり百姓的な)確信から出発している。彼らは日本人がたとえば「白人」を一括りにして論じることを厳しく非難したりもするだろうが、そういうときでも、彼ら自身が「こっち」において「われわれ日本人」を(すでに了解されたものとして)一括りに処理している事には気づいていない。

Ⅳ「どっちもこっち」論で得をするのは誰か

思想に関する議論で実はいちばん大事なところである。

「ど・こ論」の要点は批判も反批判もともに封じて現状を維持するところにあった。(現状が維持されていて初めて朝日新聞的な批判も職業として成り立つのだ)。

現状が維持されることによっていちばん得をするのは、すでに支配と権益を確保している者、すなわち、世界的に言えば「白人」である。

白人は日本人なんかよりずっと血縁・血統を重視することに注意。 ヨーロッパの上流階級が国境を越えて血縁で結ばれていることは良く知られているところ。アメリカも同じだろう。だから、白人は支配の座にある限り黒くなることはない。彼らの圧倒的な豊かさを支える配当の原資が(プロテスタンティズムの倫理と勤労などではなく)奴隷と植民地の収奪によるものであることはいうまでもない。

「白人」とは血縁で結ばれた世界支配層を中核とする実体的な勢力なのである。

 
     
なお、「日本人は」(タイ人なり何なりを)「差別」していると騒いでいる連中のほとんどは、たんに自分自身の「差別」意識を糾弾しているに過ぎないとみなしてよい。

しかし自分のことを他人のことのように言って糾弾するからタチが悪いのである。

彼らにとって自らの「差別」意識は荷が重いらしい。そこで、自分個人のその「意識」を「日本人一般の意識」にすりかえて糾弾することにより、自分の心理的な負担を減らそうとしているとみるのが合理的だと思う。

 
もうひとつ関連記事:

「白人崇拝はタイも日本も同じ」という論(タイヲタ左派の主張)について
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2006/10/post_8b81.html

  

チョンジョム(Chong Chom)=オスマッチ(Osmach)、カンボジア

5月26日。

スーリンのSang Thong(セントーン)ホテルをチェックアウト。昨日と同じチョンジョム(Chong Chom)行きのミニバスに。

バスターミナルで毛唐に出くわす。交通機関や役所やレジなど逃げられないところで毛唐とかち合うのは本当に嫌である。毛唐が多い場所ももちろん嫌だが、毛唐がいなさそうなところに入り込んでいるのを見るのはさらに不快。

とくにタイで(タイだけではないが)毛唐と同じ列に並ぶ以上は、さまざまな屈辱的な扱いを受けることを覚悟しておかなければならない。

しかもこの毛唐、同じくチョンジョム行きのバスチケットを買った。

ミニバスで毛唐と一緒は嫌だ。チベットツアーを思い出す。

スーリンの毛唐状態は、タイとしてはましなほうだった。

不幸中の幸いというべきか、チョンジョムに行く毛唐は一人だけなので、イミグレではこいつの姿が完全に消え去るまで待とう。

毛唐は意味もなくうろつきまわる。

しかも、バスの時間に遅れる。イミグレでも手間取るだろう。

毛唐はあらゆる手続きで必ずゴタゴタして手間取るが、その上最優先だからなおさら迷惑なのだ。

ミニバスは超満員で毛唐入り。最後列の座席に座ったのもまずかった。毛唐も最後列に来る。あとから乗り込んでくる人たちはみな最後列のシートに割り込む。

毛唐はバスに乗り込むやいきなり私にタイ語で何か聞いてきた。excuse meにあたる言葉の一言もない。私は客引を無視するように完璧に無視。

その態度はいかにも見下すように横柄で、毛唐特有の(タイ語をマスターしようとアジアに何年いようと白人である以上決して変わることのない)「貴族が民草にあわせて付き合ってやっている決まりの悪さ」あるいは「地元民たちが白人である自分に一目置き、あるいは憧れていることを互いにわかっていることの決まりの悪さ」を示唆するようなシニカルな「ニヤケ」があり、自分が常に周囲からさまざまな特別の配慮を受けることを当然と思っている様子が一見してよくわかる。

この毛唐は若いがバックパッカーのような格好ではなく、荷物はデイパックひとつ。しきりに携帯で誰かと連絡を取り合っていた。おそらくビザなし滞在で何か仕事をしているのだろう。タイに長く住んでいるようだが、イミグレで目に入った国籍はUSA。

毛唐入り超満員のバスに乗っていると気分が悪くなってきた。本当に気分が悪い。デング熱以来、快適だったことはほとんどない。

やがて外は嵐になる。

プラサートにつくまでに嵐は上がっていた。プラサートPrasatでは一人しか降りない。毛唐が降りてくれるかもしれないという淡い期待はやはり甘かった。

午後2時ちょうどチョンジョム着。スーリンから1時間半。

タイの出国地点名はKap Choeng。

カンボジア側の町の名前はOsmach(オスマックなのかオスマッチなのか、よく聞き取れなかった)。タイ側にいるうちからカンボジア式にガイドがつきっきりで世話をする。特に拒絶する必要もない。一人に一人完全にガイドがついてすべて指図するので(指図されなくても国境越えの経験のある人ならすぐにできるようなことばかりだが)、ラノンイミグレとちがい毛唐優先という感じにはならなかった(カンボジア人に白人崇拝がないわけではない。ビエンチャンのカンボジア大使館員など、白人ツーリストと有色人種ツーリストとで猿のように態度を変えていた。が、カンボジアはタイほどではない)。

毛唐もここは初めてのようで、やはりうろうろと手間取り、ガイドがつきっきりでものろのろしていた。

この毛唐はビザを取り国境を越えてすぐにタイに戻ったようだった。

カンボジアのイミグレ役人は仕事は遅いが丁寧で、礼儀正しかった。

ビザ代は1000バーツ。ドルでなくバーツで請求された。バーツが高くなっているからだろう。ビザを見るとFee欄は空欄になっている。普通はここに30ドルとか書いてあるのだが。

前日タイイミグレ役人が言っていたマルチプルビザが取れるというのはウソだった。シングルエントリー30日のみ。写真が一枚必要(なくてもいいかもしれない)。たまたまいつ撮ったかも忘れた古い写真をもっていたのでそれを出す。

何もないところにぽつんと立つ真新しいゲストハウスに、タイ側からずっと付きっ切りのガイドにバイクで案内されて入る。モトサイ代いくらかと聞いてもup to youというので、結局20バーツやる。毛唐(とくにネパールに来るやつなど)にはこういうときに完全に開き直ってほとんど払わないというのが結構いるようである。ネパールではガイドから直接そんな苦情を聞いた(オランダ人だったといっていた)。ちなみにタイでは買春代金を踏み倒す毛唐も多いとか聞いたことがあるが・・・・。「若いとき(禿げる前)はタイ女なんかほとんどタダでやれたものさ」なんて自慢話をする禿げ毛唐がいたが、あれもたんに踏み倒していただけなのかもしれない。

ゲストハウスにはたいへん美しくて笑顔の優しいクメールの少女が二人、下働きで働いていた。私が汗だくでゲストハウスに入っていくと、珍しいものを見に来る蝶々のように(そんなものがあるかどうか知らないが)、フワーっという感じで2人現れて、なんとなく近くに寄ってきた。適当な距離になんとなくいる。

浅黒い肌にリラックスした瞳。かすかにインド系の混じった顔立ちと姿勢、背筋のライン。柔らかい物腰。色白つんつんに憧れ「治療」さえするというタイ人には理解できない美しさだろう。

ゲストハウスの名前はChhay Na。国境近くのマーケットまで歩いて10分ぐらいかかる。ファン300バーツ、エアコン500バーツ。

オスマッチは整地はしてあるが舗装はない。砂嵐は今のポイペトよりひどいだろう。ただ、ポイペトのような変な臭いはない。

ところどころにカンボジアらしいマーケット・集落がある。

しかし、カンボジアの楽しみであるカフェー(タイやラオスのよりは透明なホットコーヒー)もフランスパンサンドもこの町にはない。「カフェー」を注文したら当然のようにアイスコーヒーが出てきた。

しかし、「ストローが立つ」フルーツシェークはあった。といってもポイペトのように濃くはない。ドゥリアンも入っていない。

27日。

オスマッチからシエムレアプへはタクシーしかない。一人だと2000バーツだという。朝は客が多いので乗り合いタクシーがあるそうだがそれも9時まで。

シエムレアプへの道はすべて未舗装でかなりキツイ道のりのようである。

結局、軟弱にもタイに舞い戻ることにする。

カンボジアイミグレは結構丁寧な照合をしていたが、タイイミグレは難なく通過。「帰りの航空券提示」なんてこともない。

カンボジアイミグレを過ぎたところでタイのセキュリティチェック(兵隊)になんとなく道を聞いたら荷物検査をされた(何で道など聞いたのか自分でもわからないが)。

タイのイミグレを通過して、別のタイ役人の詰め所の前でパスポートを荷物にしまっていたら、どこに行くのかと聞かれる。プラサートだと答えると、バンコクかだとか。はじめから結論が決まっていのなら聞かなければいいのに。

役人には極力近づかないのが無難である。ヤクザと同じ。

10時半ごろのバスでプラサートPrasatに向かう。

プラサート Prasat

5月27日。

チョンジョムのイミグレ前の広場から、10時半ごろ発のミニバスでプラサートPrasatに向かう。すいている。40分ほどでプラサート着。

プラサートはバスターミナルの辺りは町だが、それ以外はがらんとした田舎。バイタクの案内で、バスターミナルから3キロほど離れたところの国道沿いにある真新しいホテルに入る。一泊550バーツ。セブンイレブンもバス停の近く。かなり不便な立地。

バンガロー風のいいホテルだが、離れに立つレストランには感じの悪い毛唐がやっぱり陣取っていた。外を歩いていてもギロっと睨みつけてくる。タイではこんな田舎町も毛唐から自由ではない。毛唐フリーな空間はないと思ったほうがいい。北部の山村などに舞い込んだらかえって毛唐濃度が濃くなることを覚悟しなければならない。

毛唐はアジア系のツーリストの存在自体が気に入らない。リゾートはそこがアジアであれどこであれ、白人(と女奴隷)だけの空間であってほしいというのが彼らの願いである。

スーリンの街中で大きな毛唐がボウゼンを気取って歩道に突っ立ちタバコをふかしていた様子を思い出す。オヤジだがそこが自分だけの舞台であるかのように気取って立っている。歩道の幅の半分以上を占領しているが平気だ。ポーズをとって突き出したタバコの火先すれすれを地元の女子学生のグループが避けるようにして通っていくが、まったく意に介さない。

毛唐がいったん空間を作ったら、その範囲で他者ことに有色人種は完全に「物」またはケモノ(野蛮な敵)になる。毛唐にいったん空間を作らせてしまったら取り戻すことは不可能である。戦争しかない。しかし、戦争で一番強いのも毛唐(=白人国家アメリカ)なのだ。

タイの街中でタバコを吸う毛唐も多い。くわえタバコ、歩きタバコ、ポイ捨ても平気である。「よその国にお邪魔しているから遠慮して」などという概念は彼らにはもともとない。そういうことは聖書にも書いてないからである。こういう毛唐を野放しにしておきながらテレビに映るタバコにいくらぼかしを入れても喫煙防止の効果はあまりないだろう。

悪い生活習慣から子供たちを守るためには、タバコにぼかしを入れる前に毛唐にぼかしを入れることがぜひとも必要である。街中から毛唐を消さなければいけない。これは日本も同じことである。

タイに行くような人間の喫煙率は高い。タイヲタ日本人の喫煙率、アル中率も平均に比べて非常に高いのではないか。

町から隔離されたようなホテルは、いくら快適であってもやはり自由間がない。特に暑いところでは長い道を歩くのは大変である。このときは変な客も目に入らずよかったが、ひとつでもイヤなことがあるとそれから逃げられない感じになるかもしれない。

国道を10分ほど歩いたところにある108というコンビニに行きミネラルウォーターをたくさん買う。

28日。

午前10時前にプラサートのホテルをチェックアウト。床がタイル張りだったことを除いてはなかなか快適なホテルだった。タイル張りの床はよくない。ジャワのチパナスのゲストハウスでタイルに滑って怪我をして以来、タイル張りの床を歩くと股間のあたりがすくみ上がるような感覚を覚える。

バスターミナルに行く。スーリンに向かう。今度は大きなローカルバス。15バーツ。ミニバスも来たが満員。ミニバスには冷房があるが、満員ならすいたローカルバスのほうが快適だろう。

サロンをはいたよく日に焼けたクメールのおばさんがミニバスに乗り込む。おばさんといってもおそらく20台後半だろう。サロンをはいてバイクを運転している人。そんな姿もちらほら見られる。(ミャンマーではありふれたことだが)。

月曜日はここでも黄色を着ている人が目立つ。黄色のポロシャツを着た毛唐オヤジがいる。サロンをはいているような人はたいてい普通の格好。

大型ローカルバスは時間がかかる。40分ぐらいかけてゆっくりスーリンに入る。

前と同じSang Thongホテルの同じ部屋に入る。

スーリン・プラザ(ショッピングコンプレックス)の3階にもうひとつインターネット屋を見つけた。きれいですいている。機械もいい。前払い制、一時間20バーツ。中央制御になっていて勝手に日本語が入れられなかった。タイ語は入っているが「東アジア言語」が入っていない。しかし、スタッフがあれこれ苦労して私のWindowsXPホームエディションのCDを使って何とか日本語を入れてくれた。

29日。

スーリンに戻ってみたら30バーツのコーヒーショップの感じのいい女の子が消えていた。オヤジは変わっていない。代わりにちょっときれいな感じの子がいたが英語はまったく話さない。前の子の方がよかった。

31日。

木曜日だがタイは祝日。ネット屋は子供でいっぱい。スーリンプラザも子供だらけ。

コーヒーショップにいたとき、真っ黒いタイの子供の手を引いて歩いている白人オヤジを見かけた。

白人の「児童買春」と「養子」「孤児の保護」はそれぞれ紙一重の関係にあり、相互浸透しているといって良い。

白人国家においては「養子」「孤児保護」名目の児童性的虐待が深刻だろうが、彼ら白人は根拠もなく(彼らの主観的な根拠はある。「野蛮」。)「アジア」(日本を含む)では彼らの国々以上にそのようなことが蔓延しており、また「自由」であると思い込む。そしてつぎつぎと「アジア」にやってくるのである。白人の児童愛好家が「アジア」に来てそれを試みない理由はないだろう。

6月1日。

スーリンの町も乞食が多い。

スーリンプラザにはゲームのほかにカラオケボックスもある。ガラス張りで中が丸見えなので悪いコトはできない。休日は女の子でいっぱいになる。

「土人」に関するもう一つの解釈

私はこのブログで、「土人」という言葉および概念を、より科学的で「使える」用語・概念として規定しなおすことを試みてきた。

「土人」という言葉でしか的確に表現できない概念があり、その概念を用いることによってしか適切に処理することができない問題がある、という考えからである。

いったい「土人」のどこが悪いだろうか。

マレーシアには公的な、というより大威張りな役所用語としてBumiputraという言葉がある。

bumiは梵語のbhumiに由来し、英語で言えばlandとかearthということになるのだろう。要するに地球、大地、そして「土」soilという意味。putraは同じく子供、息子のこと。

マレーシアでbumiputraといえば、ムスリム、非ムスリムを問わず、もともと今のマレーシアの土地にいた先住民族、つまり、インド人と中国人を除いたマレーシア人を指す。「マレー人」というとムスリムに限られるが、ブミプトラの場合は非ムスリムの「オラン・アスリ」やサバ州、サラワク州の先住民が含まれる。

タイのBhumibol(プミポン)国王のBhumiも同じ言葉に由来すると思われる。カンボジアの地名によくあるPhumiというのも同語源だろうか。

で、このbumiputraを日本語に訳すとすれば、かっこよく言えば「大地の子」かもしれないが、もっと素直に言えば、「土人」という昔からある日本語を当てるのが大変適切であると思われる。

「土人」の第一の意味は「ブミプトラ」である、として良い。私がこれまで説明してきたのは「土人」の否定的な意味である。

しかし、もっと難しい別の解釈もあったようだ。

http://blog12.fc2.com/s/sheknow/file/P1000012@dj.jpg

  
  
日本で近年廃止された「旧土人保護法」について、ほとんどの白人バックパッカーが持ち歩いているLonely Planetの日本編Japanは、日本語に"Kyudojin"なる言葉があって、この"Kyudojin"が何か汚いものを意味しているかのような、ハクチな解説をしていた。(LPはまた、「日本にはBurakuminなる神秘的な被差別身分があり、日本のホームレスの大部分はBurakuminである」などというでたらめな解説もしていた。いまでもしているのだろうか。糾弾団体がこんなことを世界に撒き散らしているLPをなぜ糾弾しないのか不思議である)。

  

「初恋の味、カルピス」の伝統的な商標が「差別だ」と非難されて廃止に追い込まれている。

その商標がどんなものだったかというと、黒人の子供らしい人物が単純化されて描かれていて、色が黒い、目がまん丸で大きい、唇が厚い、という特徴を強調したものだった(と記憶する)。

しかしこれだけのことをもって、だから「差別」だと非難することはむしろ、その非難者側の「差別」意識の告白にほかならないのではないか、という疑念を拭うことが難しい。

「色が黒い」「目がまん丸」「唇が厚い」ことを、「当然に否定的な」容姿の特徴であるとする前提がなければ、このような非難はありえないからである。

そういう容姿は議論の余地なく「マイナス」であると思っているから、そういう特徴を強調した商標を「差別的」だと受け取るのであろう。

そして、このような場合に批判者は、本当にそれは「差別的」なのか、なぜ「差別的」といえるのか、という議論は抜きにして、直ちに糾弾の方に向かっていくことになる。

それがなぜ「差別的」かを一から議論するならば、まずもって自らの思い込みを告白するところからはじめなければならないことになるからである。

白人の子を単純化して描き、「色が白い」「髪が黄色」「目が青い」「そばかす」などを強調して描いていたとしても、「差別」として糾弾されることはなかっただろう。

なぜそうなのか、ということが問題になってしまうとまずいので、そのあたりは「互いにわかりきったこと」として省略し「差別意識」の糾弾のほうに進むのである。

親タクシン派の17サイト閉鎖=反政府運動の扇動阻止狙う-タイ

私がスーリンで泊まったホテルSang Thongは月曜日も断固として赤いユニフォームで統一していた。

チュンポーンのお勧め中級ホテルJansom Chumporn Hotelは、月曜日は従業員全員が黄色を着ていた。トーンブリ・チュンポン・ホスピタルも月曜日は看護婦まで黄色いポロシャツ。異常としか言いようがない。

そして、タイ人は黄色を着ると普段よりさらに仏頂面になり、サービスが悪くなるらしいと思った。

5月28日13時0分配信 時事通信

 【バンコク28日時事】タイ情報通信技術省は28日までに、昨年9月のクーデターで失脚したタクシン前首相を支持する17のウェブサイトを閉鎖した。タクシン派などは31日、同氏創設の旧与党、タイ愛国党などの解党の是非をめぐる裁判に合わせ、バンコクで大規模な集会を計画。集会は混乱も予想されるため、同省はサイト閉鎖で同派による反政府運動の扇動を防ぐことを狙ったとみられる。 

このイタリア人のいうことにも一理あると思う。しかし、こいつはどういうビザでタイに滞在しているのか。案外ビザなし連続滞在だったりするのではないか。とにかく、タイ役人は白人には至れり尽くせり。

サタヒップで変なイタリア人を保護(「タイの地元新聞を読む」)

 警察は23日、チョンブリー県サタヒップ郡内で、路上脇で寝起きしていた意地でもタイで製造された靴を履かないと言い張る40歳のイタリア人男性を保護しました。

 この保護は、男性が寝起きしていた道路脇の近くでグワイティヤオ屋を経営している男性から水浴びもせず靴を履くことを拒んでいる変な外国人が道路脇で寝起きしているとの通報を受けたもので、男性は4日位前に保護された場所付近に現れ、当初は道路の中央分離帯で寝起きしていたようですが、近隣住民が他の場所へ行くように促しても聞く耳を持たず、また不憫に思った住民が水を差しだしても、タイ人のサービス精神はなっていないと言って捨てるありさまで、いまや誰も男性の相手をしない状況だったようです。

 保護された男性は警察の事情聴取に対して、パッタヤーかた歩いてここに来た。靴を履かないのはタイで製造されたものの品質がわるいからで、これから徒歩でチァン・マイに向かい、そこからミャンマーに渡ってそこでミャンマー製の品質の良い靴を買いに行くつもりだったと言い張っていたようです。

 最終的に警察側は男性の言い分を受け入れ、バスターミナルのチァン・マイ行き長距離バスの待合い場所に連れて行ったようです。

ところで、タイのテレビを見ていても、チェンマイは「チャンマイ」よりはやっぱり「チェンマイ」と発音しているように思うが・・・・どうなんでしょうね。

ただ、先日ハジャイのタイマッサージ屋で会ったチェンマイから出てきたという女の子は「ツァンマイ」みたいに発音していた(チェンマイといっていたが近郊の田舎から出てきたらしい。「センタン」も「カッド・スアン・ケオ」も「メーピンホテル」も「ターペー」も通じなかった)。タイ南部、深南部は北部出身労働者が多いようだ。ハジャイの街中では風俗系の女たちが中国語でしゃべっているのもよく見た。

スーリン Surin

5月21日。サラブリからスーリンへ。

昨夜も朝まで眠れなかった。

チュンポン・ホスピタルで10日分もらいデング熱が治ってからも律儀に毎日飲んでいた睡眠薬が切れた日から、さっぱり眠れなくなってしまった。朝はネット屋。

午前9時過ぎにホテル正面の長距離バスターミナルに行き、10時ちょうど発というスーリン行きのエアコンバス(エアバス)のチケットを買う。しかし、買ったと思ったチケットは単なる前払いの代金券だった。座席指定もない。

長距離バスは国鉄のように時間厳守ではなかった。

ほとんど言葉が通じない中で一時間以上待つ。いつか来るのかもう今日は来ないのかさえわからない気分になる。この辺も当然のように英語は一切通じない。タイ語を思い出していろいろ聞くしかない。それもあまり通じない。ガイドブックはもっていない。チュンポンで片言の日本語を話す女の子にもらった「指差し会話帳」はプラチュアップの宿に置いてきた。相手のタイ語も難しい。「マイマー」しかわからない。話してわかってもらうのはさらに難しい。「スーリン」の発音さえ確実にわからせるのは難しい。ちょっとわからない言葉を話す相手にはすぐに心を閉ざして、逃げるか居丈高になるか、というのがタイ人にありがちな特徴。このあたりインドネシアのような海洋国と異なる。

10時50分ごろになってようやくバンコク発スーリン行きの「エアバス」が来る。正午ごろ30分の食事休憩。がらんとした広くてきれいなバス休憩用レストラン。コンビニと一体となっている。サラブリは鶏肉料理が少なかった。カオマンガイしか見つけられなかった。この食堂には鶏肉のぶっ掛けご飯があった。

午後4時ちょうど終点スーリン着。サラブリから5時間。外に出ると非常に暑い。

スーリンでバスを降りる人もスーリンの人も笑顔が多いと感じる。

バスターミナルの食堂でようやくクイッティオ・ガイ(鶏)にありつけた。サラブリのクイッティオは当然のように豚クイで(クイッティオ・ガイはないかと聞いて歩いたがなかった)、スープが泥臭くてまずかった。ここのクイッティオ・ガイはスープも澄んで上品な味。

スーリンのバスターミナルにはモトサイ(バイタク)はおらず、サムロー(自転車リクシャー)のみ。サムローの運転手にも英語を話す者がいる。

サムローにお任せでホテルに連れて行ってもらう。以前はこういうことをせずガイドブックと首っ引きで自分の足で歩いて安そうな宿を探したが、近頃はそういうことに価値を見出せなくなってきた。今スーリンのネット屋で自分のブログを検索して、以前泊まった宿は「クルンスリ」だったことを思い出した。当時140バーツの部屋。

サムローに連れて行ってもらった大きな旅社のファンの部屋(250バーツ)に入る。エアコンの部屋(400バーツ)も見たが、ファンの部屋のほうが広々として開放感があった。

このホテルのスタッフはみんなそろいの赤いポロシャツを着て立派な英語を話す(と思ったが・・・)。

案内係のクメール人の女の子もニコニコして英語を話した。タイ人Thaiか?と聞くと、そうだと答える。それで、クメールか?と聞くとまた、そうだと答える。前回イサーンを回ったときにプラサートで会ったスーリン在住のクイ族の女子学生も「クイ族だけどThaiだ」とタイ人意識を強調していた。ただ、タイには一流大学(タマサート大学)の学者にも国名をシャムに戻すことを公然と主張している人もいる(過去記事あり。「タイ  国名  シャム」で検索してね)。

このクメール人の女の子は名前(ニックネーム)を「ソムジャイ」だといっていた。男の名前かと思っていた。チェンマイではソムジャイはダサい名前だと聞いていた。

こういうクソ暑いところでは下手なエアコンの部屋に入るより、ファンの部屋のほうが却って快適で健康的。

宿には英語のスーリン市街地図コピーも用意してある。このホテルの名前はSang Thong(ホテルの人はセイントーンと発音していた)。インターネット屋の場所も示されている。

これだけツーリストのための用意が整っていて毛唐がいないわけがない。サラブリでは一匹も見なかった毛唐だが(すでにタイ人になってしまっているようなロシア人のような雰囲気の若い白人女がタイ人の男と一緒にいて、ほかのタイ人たちとも流暢なタイ語で話しているのを見ただけ。毛唐の落胤かもしれない)、スーリンではさっそく女連れ毛唐オヤジを見かける。黄色を着た女とバイクに乗っている。

毛唐オヤジは連れのタイ女に黄色(現国王の色)を着せることが多くなっているのだろうか。そういうのをよく見かける。まさか本気で国王様マンセーになっているのではないだろう。あるいは、そうやってタイに媚びて見せないと白人といえども女連れ長期滞在は多少居心地が悪くなっているのかもしれない。そうだとすれば必ずしも悪いこととはいえない。

それでも、スーリンの町の人の表情は今も概して穏やかである。クメールやクイ族などの非タイ族系が多いからかもしれない。英語がよく通じてしかも感じの良い人が多いように感じる。

西洋式の喫茶店に入っても(コーヒーは常に機械淹れ)つんつんした感じはなく、(特別美しいというわけではないが)穏やかな笑顔の女の子がこちらの英語にちゃんと応対しながら、「カー、カー、Hot?、、カー、モーメンプリーズ、、、、Thirty bahtsナカ」という具合。。タイでは極めて珍しい柔軟な接客ではないだろうか。英語がまったくできない父親らしいオヤジに英語でネット屋の場所を聞いたときもいやな顔をまったくせずに娘を呼んできてくれた。

町に毛唐がけっこう来ているにもかかわらず悪擦れてしまわないというスーリンの秘密は、やっぱり多民族性、つまり、クメールとクイ族というタイ族より伝統があり、あるいは民族意識の強い異民族の基盤があるからだろうか。(といっても彼らがタイ族を常に憎悪してそれを支えに暮らしているというわけではないと思う。日本で見られる民族をめぐるある現象とは違う。そうならないのは、クメールやクイ族は自分たち固有の文化に対しタイ族がなんといおうと関係なく十分な自信を持っているからだろう。しかしタイ族の周辺異民族や在住アジア系外国人に対する同化〔タイ化〕要求感情は強烈である。生活習慣やものの考え方が仏教徒タイ人とははっきりと違う南部のムスリムはストレスを感じざるを得ないということになる)。

スーリンに来るのは3度目。2年ちょっと前にイサーン地方(タイ東北部)をしつこくまわってみたが、スーリン以外の町は(プラサトなどさらに奥地を除き)意外にタイ式シカメッツラが多いと思った。とくにシーサケットは感じが悪かった。

その喫茶店の近くのネット屋でパソコンをちょっと見たら日本語のドキュメントがいっぱい入っていた。

夜8時過ぎ、2年以上前に来たとき泊まった安ホテル「クルンスリ」がどんなところだったかなんとなく見に行ったとき、その近くのタイ的な屋台マーケットの薄暗いテーブルで、毛唐オヤジが16,7歳のかわいらしい土人系の女の子を抱え込んでいた。向かいには女の子の父親らしい人もいる。どうやら父親と直接交渉しているところのようだ。あるいはもう話がまとまったので嬉しそうにしているのかもしれない。写真を撮ってやろうと思って覗き込んだらその土人系のかわいい女の子がニコニコしてこちらを見るので断念した。土人系でしかもかわいくて何も知らない感じの女の子だったので、非常に腹が立った。毛唐の「処女買い」交渉の現場かもしれない。東南アジアでは児童買春が取り締まられるようになったといっても12歳前後以下の取り締まりが始まったという程度であり、16,7歳の少女を買って捕まる者はいないだろう。レンタルワイフ契約でもおなじ。それに「処女」とレンタルワイフ契約(1ヶ月とか1週間、金を払ってどこかに一緒に住む。数ヶ月ないし一年でもおなじこと)をしても、それだけでは罪にならない。そんなのを罪にしたら「非処女差別」といわれるだろう。女の子は嫁にでも行くつもりで、父親にもいいことばかり含まされて、周りの外人がみんないい人ばかりで自分には明るい将来が開けているように思い、私のほうをニコニコと見ていたのかもしれない。こういうことがあるからタイはイヤなのだ。

5月22日。

昨夜も良く眠れなかった。同じホテル(セイントーン)に連泊。

ホテルは日中電気が止まってしまう。

昨日、フロントスタッフはよく英語ができると思ったが、定型的なせりふを丸暗記してしゃべっているだけだった。それ以外の変則的なことはまったく理解できない。理解しようともしない。書いてもダメ(しかしここまで付き合うだけまだかなりまし。たいていのタイ人はすぐに逃げてしまって書いたものを見ようとなどしない)。マイカオチャイを繰り返す。

昼は停電になるのだろうと思って、電気が止まるのは何時から何時までかということを聞こうとしたのだが。powerは分かる。

実は一日中電気はあり、節約でとめていて、客が戻ってきたのを忘れて止めたままにしていただけなのかもしれない。

昨日は電気が来ていた4時ごろになってもファンが回らないので、フロントにいうと中央制御ですぐに入れてくれた。これはその後の話である。

やっぱりタイ人は他人の言うことを理解しようと努力したりはしない。自分が自然に理解できる範囲でしか理解しようとせず、後は相手(外国語)のせいにして、マイカオチャイを繰り返すならまだいいほうで、完全に無視あるいは腹が痛くなるようなシカメッツラで無視になる(今回の旅では、強烈なしかめっ面には出会わなかった。「シカメッツラ地域」を通らなかったからかもしれない)。時制の観念がないせいか、今日電気が止まったという事実と、毎日電気が止まるという事柄との区別ができないように見える。タイ人は今すぐ用のないことには関心がないのかもしれない。

今日到着したばかりのような30歳台と見えるファラン男が一人、街中をきょろきょろしながら歩いている。どこかの家の電気メーターの前に立ち止まりそれをジーッと覗き込んでいる。しばらくたってもう一度外出すると同じようにきょろきょろ覗き込みながら歩き回っていた。ずっとうろつきまわっているのかもしれない。

23日。

今回タイに来て(記憶にある限り)今日はじめて典型的なトゥクトゥクを見かける。

24日。

デング熱が治りきっていないのか(そんなことがあるのか)、体調がよくならない。特に昨日は気分が悪かった。ほとんど一日中部屋で横になっている。眠れないが、ときどき瞬間的に意識を失って妄想のような夢を見ることがある。

深夜になって少し深く眠れた。深く眠れたといっても夢だけ見ていたような感じだったが、ちょっと眠ったと思って気がついたら朝の11時になっていた。

ここ数日「死」に関係のある夢をよく見る。怖いというほどでもないが、とても感じが悪い。目が覚めたあと落ち込むような夢ばかり。

自分の死に関するある抽象的なイメージを夢に見ることがある。最後に「事柄」が「1」になって、もうそこから抜け出せなくなる。呼吸が止まり、やはり絶望的な滅びのイメージ。最後に「事柄が1」になってそこに閉じ込められるというイメージが共通している。1が消えるというところまではなかなか行かない。どう消えればいいのか、どこに抜けられるのかがわからないところが絶望につながっている感じ。

愛すべきかわいい女の子の死を医療関係者として見取る、という夢も見た。(現実の世界で医療に携わったことはまったくない)。自分はなぜか偉い先生の下で働いているパラメディカルのようだった。そして先生にほめられる。女の子との心の通い合いや甘美なイメージがあり(かなり若い少女、ただし顔はなし)、彼女を救えるような感じがする。しかし突然容態の急変する。気がつくと彼女の手の色が変わってしまっている。小指側のふちがどぎつい黄色になり手のひらが紫になっている。ぎょっとしたところで幕切れ。彼女が死んだことだけはわかった。夢ではっきりと色を見る。しかし女の子は若くないと・・・・悲劇が始まらないことは確かのようだ。

25日。

午前中の掃除の時間、どこかの部屋から、ノー、ノー、ノー、ノー・・・・・・という女の声。逃げ回るような気配。昨日この宿に入ったらしい、昨日からこの近所で見かけるようになった毛唐が掃除の若い女を押し倒そうとしているのかもしれない。

タイの田舎の宿ではフロントで働いている子がそのまま客の求めに応じて売春しているようなところもある。(私はそういう宿をラオス国境の町、シー・チェンマイで一軒見たことがあるだけだが、タイの宿では昔は下働きが売春するのはごく普通のことだったとか。物知り顔のタイヲタオヤジが言っていた)。そうでなくても、ここでは押し倒してあげないといけないのかも・・・という義務感にさいなまれかねないような変に隙だらけな場面に出くわすこともある(もちろんその後はビジネスだろう)。

昼、カンボジア国境へ行ってみることにした。ひょっとしたらビザが取れるかもしれない。

バスターミナルからミニバスで「チョンジョム」(Chong Chom)というところに向かう。そこがボーダーらしい。

立派な道路を30分ぐらい走ってプラサート(Prasat)に着く。ここも感じのいい田舎町。

2年前にはバスターミナルでよく売っていた竹に甘いもち米を詰めたローカルなお菓子はクーデタで禁止されたのだろうか。以前は黙っていても売りに来たが、今回はまったく見ない。あれが食べたかった。あれを食べたくてわざわざタイに来たようなところもある。

プラサートを過ぎると道も細くなる。舗装はそれほど悪くない。周囲はますます潅木がまばらに生えた荒地の趣に。しかしカンタララクの方に比べるとここはまだ豊かさを感じる。新しい家も建っていたりする。スーリンから1時間半ほどでチョンジョム(Chong Chom)に着く(道路標識のローマ字表記は同じ発音Chになっているが、タイ文字では微妙に違う。地元発音でははっきり「ジョム」)。

チョンジョムのバス停はイミグレの目の前。ローカル客がばらばらと国境を越えていく。外国人らしい姿は見かけない。イミグレーション事務所の他には何もない田舎だった。スーリンの町ではあまり見ない物乞いの子がつきまとう。それでもこざっぱりした服装。あまり汚いとカネがもらえないのかもしれない。

仁王立ちのイミグレ役人に聞いてみると、タイイミグレを出たところにあるカンボジアイミグレでアライバルビザが取れるということだった。

しかも、30日ビザの他に90日のマルチプルビザももらえるという。あくまでタイ役人の話。明日また来ることにする。今日の仕事はこれだけ。

日陰に座っていると涼しい風が吹いてくる。荒れ野だが今は緑が多い。

帰りの道はやはり検問をしているが、バスの中までは見に来なかった。スーリン‐チョンジョム往復、所要約3時間。

サラブリ Saraburi

5月19日。

朝9時近くホアランポーン駅まで歩いていき、10時05分発の東北線エアコン車、サラブリSaraburiまでのチケットを買う。今日はサラブリまで。

駅のダンキンドーナツのコーヒーがまずい。豚肉の臭いがしみついているような変な味。どこかで豚料理の油が混じるのかもしれない。

駅構内は一応冷房が入っている。

ホアランポーン駅で久しぶりにトゥドゥンをつけた女の人を見る。正直言ってなんだかホッとしてしまう。

このあとカンボジアを経てまたマレーシアに戻るつもり。シエムリアプも毛唐だらけだろうし、またエゲツナイ光景を見なければいけないかもしれない。

ホアランポーン駅の構内のスクリーンでは、いろいろな番組やCMの間に、なかなかよくできた国王翼賛CMをやっていた。

オーケストラの指揮者の位置に本物のタイ人画家らしい人がいて、国王の肖像画を書いていく。その絵の完成に合わせるようにオーケストラが奏でる様子(音はない)。その合間合間にさまざまな国民の営みがちりばめられる。素朴でたくましいタイの農民が大地に鍬を入れ種を蒔き・・・・仏教の僧侶はもちろん、モスクでの礼拝らしい光景もでてくる(ただし立っているだけで跪かない。跪けば何に跪いたかが当然問題となるからだろう。モスクが映っているのだから国王は問題外、しかし、国王翼賛CMで国王の帰依する仏教でなく国王をはるかに超越した存在に・・・ということになるとこれまたまずいだろう)。出来上がっていく肖像画は国王そっくりの立派そうな油絵である。いかにも国民の心を国王の下にひとつにしていくという感じがよく出ていて、思わず引き込まれそうになる国家CM。しかし、現国王個人の顔をあんなに強調していてはかえって先が思いやられるというもの。

タイを旅して感じるのは、けっこう大きな国だということ。この民度で統一を保つのには大きすぎる国土である。現国王亡きあとは、分裂するか、または、ますますアメリカ丸抱え、米軍丸抱えの国家になるしかないだろう。アメリカの本丸は米軍かもしれない。結構なことではないか。

プミポン国王は賢明な君主である。中国のような場当たり的なハニートラップ外交などは指揮しない。

世界が白人支配の下にあることは揺るがないこと、最強国の米国の本質は白人国家であること、米国の本丸は米軍と諜報コミュニティおよび教会であること、などをよく見定めた上で、白人を自国に構造的に組み込んできた。米軍と、それ以上に米国諜報機関および白人キリスト教ミッショナリーに特権を与えて自国内での自由かつ積極的な情報活動・宣教活動を許してきた。しかし、それだけではない。

プーケットやパタヤにいる米帰休兵に幼女を抱かせているのも、深慮遠謀があってやっていることかもしれない。幼女買春は10年前ならありふれたことだったかもしれないが、今では国際的に一級のタブーである。だからこそ、米兵には特別にそれを勧め、役人たちにも笑顔で容認させて、クセにさせ、その事実をしっかり押さえておいてアメリカのキン○マをつかんでしまおう、という英明な国王の知恵なのかもしれない。軍事クーデターは、それで人が死のうが死ぬまいがそれ自体、アメリカの主張する「普遍的価値」である「民主主義」に真っ向から反するものであるが、米政府もほとんどタイのクーデタを批判しなかったし、これを批判する政治家もいない。

出発時間間際に汽車に乗りこむと、もうエアコンも入っていて客も大方乗っていた。

自分の席を見つけると、真後ろの席に毛唐オヤジが乗っていて大変臭い。ハズレだった。

加齢臭に加えて、バターというより古い油の臭いのような、ねっとりと甘ったるくその上少し酸味も利かせたような強烈かつ複雑な臭い。それに香水の臭いも混じる。

タイ東北線は、同じセカンドエアコン車でも南部線に比べると車両がかなりぼろくなる。合皮のシートですわり心地が悪い。南部線のような食事用テーブルもない。そしてディーゼル軌道車だった。時間が来ると鐘も鳴らさず黙って発車。

東北線のエアコンの効きはかなり悪い。少し暑い。南部線は効き過ぎもせずちょうどいいくらいだった。

車が走り出すと後ろの毛唐の体臭がさらに強く臭って来た。臭うなどという生易しいものではなく、強く張り出してくる感じ。列車が自分の席からみて後ろ向きに走っているので、臭いが風に流されてくるのかもしれない。しかし甘酸っぱく脂っこく香水の混じった、逃げようなく粘りつく臭気。サラブリまで2時間は我慢しなければならないだろう。前の席のタイ人客が椅子を倒してきたが、こちらは椅子を後ろに倒すこともできない。嗅覚というのは慣れやすいものだといわれているが、この毛唐のにおいはますます強くなっていき、しまいに頭が痛くなる感じである。

今日はサラブリまでにしておいて本当によかった。この毛唐がどこまで行くか知らないがSurinまで買っていたら一日中この臭気と付き合わなければならなくなるところだったかもしれない。

汽車は定刻通りに発車してほぼ定刻にドンムアンを経由。東北線も2等エアコンには食いもの売りは来ないようだ。物売りが来るのは3等車だけなのだろうか。それとも前から来なかったのか。記憶があやしくなってきた。以前は好んでノンエアコンの3等車に乗ったりした(しかしとくに北部線ノンエアコンは毛唐が多かった)。ノンエアコン車では窓からでもいろいろな食い物を買えた記憶がある。

客車に大きなパソコンを担ぎ込むタイ人客もいる。

東北線は弁当がつかない。南武線2等エアコンは昼の列車には昼食の弁当がついた。同じ2等エアコンでも東北線はつかない。そのかわりに係員が注文を取りに来てみんな金を払っている。私はサラブリまでだし後ろの毛唐の臭いがひどいこともあり何も注文しない。

定刻通りにアユタヤを経由。

バンコクからサラブリまでの汽車賃266バーツ。値段は結構高い。食い物が何も出ないのが今度はちょっとさびしいような気がした。定刻通り正午ごろサラブリ着。

サラブリについてみると、すごい田舎町という感じだった。泊まるところがあるのかどうかと思うくらい。サラブリという名前からしてモンMonの町だが、身なりもまるでカンボジアのようなおばさんが目立つ。

バイタクで町を移動してみるとそれなりに大きな町だった。しかし、街中で見るのはほとんどタイ文字だけ。ローマ字も漢字もほとんど見ない。かなり大きな構えのホテルでもタイ文字看板のみで、私には「ロングレーム」というタイ文字がようやく読めるという具合。ロングレームだけの看板も見かけた。

大変暑い。この日は雨もまったくふらなかった。まるで乾季のようである。こんなに暑いことは南部ではないと思う。

バイタクでホテルを2軒見る。ホテル代は高い。どちらも今までに見たタイのホテルとは雰囲気が違う。不思議な感じの宿。

最初に行ったのは駅の正面のほう。エアコン350バーツの部屋があるということだったが、係り員に連れられて部屋を見に行くときにエレベーターが故障。エレベターの中にしばらく閉じ込められ、扉をこじ開けてようやく出してもらった。怖くなって部屋も見ずに逃走。変に豪華そうで安っぽい、国籍不明な雰囲気のあるホテルだったが、看板はタイ語のみ。こんな雰囲気もベトナム戦争の名残なのかどうか。

エレベーターに閉じ込められたときは案内係と雑用のおばさんとが乗っていたが、どちらもまるで緊迫感がなく、案内係はのんきに携帯をいじっている。おばさんは暑い(ローン)とか言っているだけ。私が案内係にせかすとようやくフロントに電話したようだった。

最初はさほど怖くなかったが、エレベーターに閉じ込められて恐怖症になるという話を思い出し、恐怖症になったらどうしようと思ったらだんだん怖くなってきた。今もし火事が起きたら。いや、こういうときにかぎって火事は起きるもの。バンコクで泊まったホテルのエレベーターも調子が変だったし・・・・などといろいろ考えてしまった。

結局駅の裏手のマーケットを通り過ぎたところの大通りにあるホテルの400バーツの部屋にチェックイン。バスターミナルの正面の「旅社」の表示のあるホテル。

このあたり、町で見かける女の人たちは、みごとにぶっこわけた感じの顔立ちの女性が多い。個性というやつか。たいていの毛唐が連れている女たちの予備軍のような容貌の方が多い。バンコク7月ロータリー付近で親切に道を教えてくれるお姉さん方の予備軍のようでもある。

そういえば、トゥクトゥク(タイのオートリクシャ)は廃止されたのだろうか。今回はまだ典型的なトゥクトゥクは一度も見ていない。あれは確かに排気ガスと騒音の元。危険でもある。ホアランポーン駅の近くで手作り的なサイドカー付オートバイは見かけた。

ホテルのすぐ近くにゲームネット屋を見つける。地元の子供ばかり。

パタヤの売春

どうしてこういうのが逮捕されるのかわからない。

囮捜査によりウズベキスタン人の女4人を売春で逮捕(タイの地元新聞を読む)

今回の逮捕は南パッタヤー地区内のウォーキングストリート上でウズベキスタン人の女が主に外国人観光客をターゲットに売春を持ちかけているとの情報に基づき行われた囮捜査により実現したもので、警察の協力者が逮捕された女の内の1人と2,000バーツで売買春を行う約束をし、ホテルの室内で女が金銭を受け取った時点で逮捕と相成り、その女の繋がりから残りの3人が逮捕されたようです。

「タイ人の職を奪う」ということか。

児童買春・チャイルドセックスツーリズムが猖獗を極めるパタヤ
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2006/12/paedophil_parad_133a.html

参考サイト

http://pattayalongstay.seesaa.net/article/31978775.html#more

http://www.pattayaparadise.com/

http://tuktuk2.blog78.fc2.com/

その他多数

チュンポンChumpornからプラチュアップ・キリ・カンPrachuap Khiri Khan、バンコクBangkokへ

5月16日。

朝、チュンポンの鉄道駅へ行き、プラチュアップ・キリ・カン行きのチケットを買う。エアコン車358バーツ。12時46分発。15時03分着予定。

正午、チュンポンのジャンソム・チュンポーン・ホテルJansom Chumporn Hotelをチェックアウト。このホテルはフロントに一人とルームメークに一人、とても愛想がよく親切な女性スタッフがいて他のスタッフの無愛想・無表情・無感覚と対照が著しかった。

フロントの親切な姉ちゃんは英語もできて、入院したときには缶詰のミルクをいっぱい持って見舞いに来てくれた(手で開けられる普通の缶詰に生のミルクが入っているらしいもの。結局ひとつも飲まずに全部病院においてきたが)。ルームメークの若い女の子はフロアで会うといつもにっこりして大きな声で挨拶してくれた。こういうことはタイ北部ではあまりないだろう。かわいい子だったが、シーツを変えに来るときはいつも浴室掃除のおばさんと二人。

午前中に、いつもなぜかただでインターネットをやらせてくれる旅行代理店に行く。ここは一度だけなぜか一時間30バーツをとったことがある。その後またタダになった。方針を決めかねていたのか?

この店で白人がネットをやっているのを見たのは一度だけ。同じ通りの"Western Thai"バービアのパソコンがファランでいっぱいのときも、こちらは誰も使っておらずあいていることがあった。Western Thaiは一時間60バーツ、そしてこちらはタダ。しかしこの町はプーケット系のファランが流れてくるくらいで、日本人などあまり来ないところ。

この代理店の南部系の顔をした姉ちゃんも愛想がよく、3時間もタダでネットをやらせてもらっているのに水を出してくれたりした。金を支払うことは何もしていないし、いくらそこでタダのネットをやらせてもらっていても代理店の商品を勧めてくるわけでもない。

この子はいろいろ聞いてくる。ネットで仕事をしているのか、これからどこへ行くのかなど。バンコクに行って、次にチェンマイにいくかもしれないと言うと、チェンマイにいくのか、といって嫌そうな顔をした。南部の人たちにはチェンマイはイカガワシイ町だと思われているのかもしれない。北部の人たち(および北部愛好家のツーリスト)は南部がイカガワシイと思っているかもしれないが、私の見るところ南部は一部のイカガワシイところ以外は北部よりはまともなところが多いように思う。北部は「全体的に」イカガワシイだろう。

土人売春婦連れ毛唐たちに対して北部の町々村々は非常に寛容だが、南部の普通の住民はかなり冷たい眼差しを向けているように思う。その結果かどうか、北部では土人性奴隷連れファランがいたるところにはびこり、あらゆる町や村を売春婦連れでうろつきまわるが、南部では限られた場所にだけいることが多いようである。

北部の物価の安さや、北部山岳少数民族の絶対的な貧困と法的地位の不安定からくる奴隷的労働、という背景もあるだろう。また、南部のビーチに連れて来られている奴隷女たちの多くは南部地元の人ではなく東北部出身(よそ者)が多い。バーにいる女やタイマッサージの女の子も北部から来ている者なども多く地元出身は案外少ない。そのような背景もあるのかもしれない。

この子やジャンソムの姉ちゃんも含めて、南部には、タイ語を使わなくても、英語のコミュニケーションで普通に親切な人がわりと多かった。タイ人は愛想が良すぎるか悪すぎるかのどちらかで「普通」が欠けている傾向があるように思うが、南部は比較的「普通」があるように感じた。

チェンマイに行こうかと思ったのはネット三昧できそうだったからだが(屑ファランも多いがネット屋も多い。深夜3時ごろまでやっているところもあった)、結局行かないことにした。

いまメーサイの入管がどうなっているかわからないからである。もし、メーサイでスタンプ更新できないとチェンマイに行ってすぐに飛行機でKLにもどるというようなことになりかねない。

日本人のスタンプ更新が厳しくなっているといううわさをいろいろ聞く。しかし、ラノンRanongではプーケットに何十年沈没しているかわからないような廃棄物毛唐が、毎日大量に行列し、毛唐に愛想笑いをふりまくタイ入管役人に無条件でスタンプを押してもらっている。タイはこれだけは変えられないだろう。その余勢を買って、日本人もラノンに行けば今でもほぼ無条件でスタンプを押してもらえるようである。白人の場合タイとボーダーだけで3年くらいビザなし滞在しているのは普通にいるようだ(3、4年前メーサイで、スタンプ更新だけで3年くらいタイに連続滞在しているというフランス人オヤジに会った。私は驚いたが、そのオヤジはごく普通のことのような口ぶりだった。当時でも日本人の場合は数ヶ月連続更新していると最後通告を受けるといわれていた)。

で、プラチュアップ・キリ・カンに泊まってみたいと思ったのは、単に、そのあたりがタイで一番「狭いところ」だからである。

マレー半島部でタイの領土が一番狭くなるところ。その緯度の大部分がミャンマー領。その雰囲気を味わってみようとおもっただけなのだが、行ってみるとただのタイの町だった。ミャンマーの匂いはまったくない。

列車は2両編成でほぼ定刻どおりに発車。(エアコン)セカンドクラスだが、弁当付だった。弁当がつくとは思わなかった。弁当のほかにカップの水も配られるが、カップはふたもない。手荷物を抱えているし、狭いシートでごたごたしているうちに弁当の汁をシートやらズボンやらにたらしてしまう。タイ料理の豚臭い匂いがしみついてたいへん不快なことになってしまった。こんな2等車で弁当などつかなくてもいいと思ったが・・・(同じセカンドエアコンでも弁当がつくのは南部線だけのようだ。後に東北線で弁当がつかなかったときは寂しいような気がした)。

このように、プラチュアップ・キリ・カンあたりのマレー半島は大部分ミャンマー領である。ミャンマーがこのあたりを攻めればタイのマレー半島部が分断されて面白いことになる。しかし、ミャンマー政府が直接それをやったらアメリカが黙っていないから、ミャンマー政府もコントロールできない少数民族の反政府武装勢力が勝手にやっているように見せかけて事実上の支配下におさめれば良い。

定刻通りにプラチュアップ・キリ・カンに着。定刻通りが意外な感じがした。プラチュアップはまったく鄙びた町だった。駅から少し正面にまっすぐに歩き左に曲がったところにあるInthira Hotelという2階建ての安宿に入る。ファン、水シャワーで250バーツ。

しかし、タイは、こんな鄙びた町にも必ず女を囲った毛唐がいる。タイの町はどこに行っても必ずタイ女を囲った毛唐が誰よりも偉そうにふんぞり返っているところがある。それを許しているのがタイ社会であり、タイ国家、タイという生き物である。プラチュアップでも高校生ぐらいに見える女を連れた毛唐オヤジがいた。

Inthira Hotelから5分くらい歩くと海に出る。浜は狭いがなかなか景色の良い、静かな海。もっとも、どんな結構な風景も毛唐が来てしまえばぶち壊しである。毛唐が売春婦連れでやってくれば静かな海もクソもなく、ただの便所と成り下がるのみ。

夕立があり、それが上がると宿の向かいの広場に屋台が並ぶ。クイッティオや粥などブタものが多い。ご飯ものはなぜか見かけない。コソンな粥を作っている屋台で鶏肉の粥を作ってもらって食べる。

タイ人の子供が肥満児ばかりなのに改めて驚く。タイのテレビCMに出てくるコロコロとした肥満児そのまま。近頃タイでは、コロコロとした肥満児がもてはやされているのだろうか。子供が出演する番組も肥満児ばかりだったり。今からあんなふうでは将来確実に成人病大国になるだろう。もっとも、マレーシアでも肥満や糖尿病は多いようだが、肥満児はタイほど多くないように思う。また、マレーシアの肥満はなぜかインド系に多いらしい。

タイのミネラルウォーター「シンハ」の水は渋い。昨日久しぶりに飲んだら腹が痛くなった。近頃腹を壊すことはめったにないのに今朝は下痢だった。イモディウムと抗生剤を飲んで列車に乗った。

タイの物価はマレーシアに比べて安いが、特に安いのが薬ではないかと思う。ニューキノロン系の抗生剤(シプロフロクサシンとかノルフロクサシンとかオフロクサシンとか)がマレーシアだと500グラム10錠で150リンギくらいもする。タイならほぼ10分の1くらいの値段である。それに、正しいことだが、マレーシアの薬局ではなかなか売ってくれない。タイではまだ処方箋なしでいくらでも売るようだ。それでも睡眠薬などは厳しい。

タイという民族が、白人に媚を売ること、とりわけセックスを売ることによって自己を確立してきた民族であることは間違いがない。

ラノンRanongのタイ入管役人は、白人には卑屈な笑顔で英語で話しかけるが、日本人に対しては、日本のパスポートを提示しているにかかわらずタイ語のみで居丈高に応対し、タイ語で答えることを強要するのである。有色人種外国人はタイ語を話すべきであるという態度を明示し、そのことを隠そうともしない。

いきなりタイ語で押し通そうとするラノン入管役人に対して、タイ語はわからないから英語で話せ、と英語で言っただけで怒り出した。彼らタイ役人は、アジア系外国人にタイ語を無理強いすることによって自己の権威を確認しているという自覚があり、また確認できると思い込んでいるということだろう。

しかし彼らは、白人に対しては身なり・国籍を問わず、必ず英語でへつらった接し方をし、決してタイ語を強要しない。日本人に対する居丈高な態度との対照のこっけいさなどは思いも浮かばないようだ。

このようなタイ人が白人の「飼犬民族」であることは明らかである。飼犬は人間の言葉を話さなくても主人のために吠えることはできる。そして人間たちの間のどちらが強そうなほうか、偉そうなほうかを敏感に察してそちらにつくのである。

彼らタイ人は白人の奴隷女であることにむしろ誇りすら感じていて、その点において日本人を含めた他のアジア人より「格上」だと信じているようである。彼らは「相対」の中の「上」であることに甘んじるゆえに、つまりあらゆる理念を棄却するゆえに、救いがたく卑しい者となる。

インドには「売春カースト」があるそうだが、「ジャティ」(「カースト」)とは「民族」とほぼ同義(時には、もっと小さな氏族・一族を意味したり、もっと大きな人種の区分を指したりするようだが)でもある。

これに当てはめるなら、タイ族は民族全体として一つの「売春カースト」に他ならないと言えるし、「白人用女奴隷カースト」とも言えるだろう。古代のある時期におけるユダヤ人のように民族全体として隷属民であり特定職業をあてがわれた職業団体でもあるというものが存在しうる。

5月17日。Inthira Hotelは夜、部屋の中が臭かった。生臭いような小便臭いような臭い。下水の臭いが上がってくるのかもしれない。タイの安宿ではよくあることだが、最近体験していなかったので気になったのかもしれない。

15時04分発バンコク行き(エアコン車)のチケットを買う。汽車の出発時刻に合わせてチェックアウトを3時にしてもらう。このホテルのタイ人女主人にはこれだけのことを英語で何度説明しても理解できない。といっても、「チェックアウト」という言葉は知っているし通じている。「3時」も通じている。それなのに全体の意味がまったくつかめないらしい。

これを本人は英語がわからないからだと主張する。娘夫婦は英語ができるので、娘が出てきてすぐに通じたが、このようなタイ人の「英語がわからいないから理解できない」というのはただの言い訳のように思える。この女には仮にタイ語で説明しても理解させられなかっただろうし、こちらのタイ語が変なせいにされただろう。

つまり、最初から、「相手のいいたいことを理解しようという気持ち、あるいはそのような姿勢、を持つ素質」がまったく欠けている、常識というものが存在していないので推測という頭の機能が働かない、あるいは決定的に頭が鈍く、身体を動かすことに怠惰であるように頭を働かすことがしんどくて仕方がない、などの原因が複合しているように思われる。これはタイ族一般の精神的特質に重なるものである。

このあたり、日中、外は非常に暑いので、汽車の発車時刻まで部屋で時間をつぶす。もっと南のほうよりも暑い。閑散とした町にもかかわらず昼から毛唐は目立つ。刺青した女連れ白人(女は高校生くらいに見える)もうろうろしている。

プラチュアップ・キリ・カンには、Inthiraのほかに、もっと駅に近いところにも似たような2階建てのホテルが看板を出している。1階がカフェのようになっていろいろなコーヒー豆の瓶がおいてある。最初はその家がホテルであることにも気づかなかったが、よく見るとしっかりクズ毛唐に占領されていた。1階に最悪な感じの毛唐が何をするともなくふんぞり返っている。今日見た若い女連れ毛唐もここに女と泊まっているのかもしれない。

プラチュアップからバンコクまでの汽車料金は425バーツ。予定時刻は15:04~19:45。

汽車は今日も定刻通りに来る。少し意外な感じがする。バンコクに着くのは一時間遅れでもおかしくないだろう。3両編成。

汽車に乗ると昨日同様一種の女性客室乗務員が3時のおやつのパイとオレンジジュースを持ってきてくれる。シートの窮屈さは相変わらず。

やっぱりというべきかHua Hinで土人女連れ毛唐オヤジが何人か乗ってきた。そして、席取りでトラぶっている。毛唐はこういうときにかならず大げさな騒ぎをする。自分の席に誰かが座っていたのだろう。

何が王室専用リゾートなものか。クズ毛唐と土人売春婦御用達、ついでに土人奴隷王プミポン御用達のセックスビーチだろう。

バンコクに近いペチャブリの駅では停車中に食いもの売りがたくさん乗り込んできた。といっても、焼き鳥や竹詰めの甘いもち米などはなく、パックした弁当中心。それ以外の駅では停車中も物売りは入ってこない。

18時ごろBang Pong。20分ごろナコーン・パトムに停車。この分だと到着も定刻通りになりそうである。これはタイ全体の変化なのか、南部線はもともと時間厳守だったのか。

バンコクに入ってからがのろのろと長い。

定刻前、19時半ごろにすでにホアランポーン駅のすぐ近くまで来る。それから先に車両があるのかぐずぐずしていたが、定刻前にホアランポーン着。

2年以上ぶりのホアランポーン駅。駅に降りてからの方向感覚がつかめない。夜でもある。しばらく駅の周りをうろうろしたあと、ようやく橋を渡る。そのあとは自信があったので記憶に頼って歩いてかえって道に迷ってしまう。結局、その辺に立っているお姉さんたちに道を聞きながら7月ロータリーの近くの宿にたどり着く。この辺に立っているお姉さんたちが親切なのは確かである。この地区のこの人たちは、道を教えてくれることに関してはタイで一番親切な人たちかもしれない。

このあたりは2年以上前と同じ顔を同じ場所でちらほら見かけるところ。チェンマイなど、2ヶ月もすると店がなくなり人の顔が入れ替わってしまうことがよくあるだろう。

安宿はどうも、落ち着けなくなってしまった。眠れない。高めのホテル(中級ホテル)に慣れすぎたのかもしれない。マレーシアなら100リンギ前後、タイなら500バーツ前後のホテルに泊まることが多くなった。

この地区はタイでも特に汚いところだが、以前は仮に数日滞在することを面白く感じたこともある。しかし、もうこういう場所にも耐えられなくなってきた。それにここはさらに寂れてきたように見える。

ホアランポーン駅も外国人ツーリストが少なくなっているように感じる。駅の警戒も厳しくなっている感がある。しかし役人が白人にへつらうのはまったく変わらない。とくにタイに媚びて黄色を着ている白人や、黄色を着たタイ女を連れた白人を見つけると、タイ猿役人は大喜びである。

デング熱  チュンポンChumporn

デング熱にかかっていた一週間のことはいつにもまして記憶があいまいである。3つの病院を出入りした。朝の6時にホテルの車を運転させて薬を貰いに行ったこともあった。一日一錠寝る前に飲むように処方された睡眠薬がまったく効かないので、一度に20錠位飲んでしまい、それでも眠れないため、翌日同じ病院にいってもっと強い薬をくれないかと医者に訴えたため、その病院からはもう睡眠薬は出してもらえないことになってしまったこともあった。しかし本当に効かない薬だった。足元がふらつくだけで、頭はさえたまま。ATIVANとか言う名前だった。

5月1日。

体中の筋肉が痛くずっとホテルで休んでいる。インフルエンザのようでもあるが、熱はあまりないようだ。吐き気があるが下痢はない。

なんとかあのラノン・イミグレの人種差別タイ役人をメしてやることはできないものかと今考えているところである。メさないまでも、半メしにして一週間監禁して拷問し、発狂させて二度と役人の服を着てえらそうにできないようにさせてやるくらいでもいい。

これは、日本では現実的でない話だが、タイなら可能なはずである。タイにはタイ族の役人を殺してやりたいと思っている者はたくさんいるし、金で人を殺す不届き者もごく普通にその辺にいる国である。ところが私には適当なコネがない。

ホテルJansom Chumpornには、一人だけ英語がいくらかできる女性オペレーターがいてそれなりに親切であるが、あとはみなタイ猿丸出しのハクチばかり。

タイ猿が一般にどういうハクチな反応をするかというと、ホテルでも病院のナースコールでさえ、自分が理解できない言葉(英語であれタイ語であれ)の電話がかかってくると、危険なものにでも触れたかのように動転して一方的に電話を切って知らん振りをする。どんな簡単な英語で説明しても、相手が言いたいこと、相手の気持ちを察しようという態度がまったくない。タイ語の場合なおさらで、自分のタイ語に一致しないものは言語として認めない。なお、これらは有色人種外国人が相手の場合である。

Jansom Chumpornのいいところは比較的静かで、それほど高くなく、安くもないため毛唐客がすくないこと。

ホテルから歩いて5分ぐらいのところにあるその名もWestern-Thaiというバービアの客は白人ばかり。それ以外の場所では白人はあまり見かけない。Western-Thaiにはネットもあるので私はネットだけ使う。1時間60バーツという驚異的な料金。もちろんそういうところの女給は白人客と英語で会話をするのが仕事なので、有色人種客がが入ってきても無視するかにらみつけるだけである。

5月3日。昨日あたりから腕や胸に発疹が出てきた。体調も良くなる気配がない。これはひょっとするとかなり悪いモノかもしれない。

午後、Jansomホテルの車で近くのVirajsilpという病院に行く。ここもまったく英語が通じない。看護婦さえほとんど英語がわからず、書いてもますますだめ。観光と売春で食いつないでいる国でありながら病院や役所で英語が通じないというのはふざけた態度というほかない。タイがまずすべきことは、タイは昔も今も事実上の白人植民地であったし現にあることをもはっきり認めて謙虚になることである。このVirajsilpは大変な悪徳病院だった。タイはどこの病院もいい加減で、診断はまちまちだが、ここは特に金のふんだくり方がすごかった。ホテルの英語を話す女性も、後であそこは良くないと言っていた。医療スタッフ以外の女事務員が多くいてちょっとキレイだったり、変に色っぽい看護婦がいたり、女医が多かったりする。

ともあれVirajsilpの医者に面接。むっつりした中国系タイ人らしい中年女。その後、血液検査をする。ウィルスか細菌かを調べるという。中指の先に針を刺してガラス管で血を吸い取る。

その結果を見せてもらうと、白血球が3500まで低下している。普通は5000から10000だということ。だからウィルス性の病気だろうということ。あと2,3日は続くだろうという。それだけである。もらった薬を見てがっかり。主役はパラセタモール、こんなのならコンビニで買える。あとは制酸剤、筋肉を弛緩させる薬、そして睡眠薬だけ。これだけで、1100バーツ。待っていてくれた運転手にも100バーツやる。

当然だが、担当の医者は英語をよく話した。みなそうだったが、ウィルスのことを「ワイルス」という。ヴァイラスという者は一人もいない。ワイルスといわないと通じなかった。

もらった薬にはほとんど効き目がなかった。薬を飲んだ直後に嘔吐した。睡眠薬も効かない。多めに飲んでもまとまった睡眠は得られない。

5月5日。あまり良くならないのでもう一度同じ病院Virajsilpに行く。もう一度血液検査をすると、白血球は4500くらいに増えていたが、血小板が前回に比べ極端に減っていた。二桁の数字だった。ここで初めてデング熱という診断を受ける。前回の医者はデング熱の恐れなど一言も言っていなかった。原因が何かまったく関心がないかのような態度だった。今回の医者は若くて仕事よりおしゃれのほうで頭がいっぱいなような女医だった。近頃こういうのにぜんぜん萌えなくなった。ラノンはデング熱のある地域だからきっとそこで感染したのだろうという見立てだった。

点滴をつけられて入院しろといわれる。個室で一番安い部屋が一泊800バーツ、次が1000バーツ、VIPルームが2000バーツ。すべて見たがどれも良くなかった。寝台がただの処置台で、狭くて高く、寝返りを打ったら固い床に落ちそうである。点滴をつけているのに、トイレの扉はVip室でも狭くてまともに出入りできない。Vipルームは付き添いのベッドが比較的広かったのでこれにしようと思ったが、トイレに入っていてこんなところはだめだと思った。また、ナースコールの説明がまったくない。看護婦が英語をまったく話さないし、話す意思がない。ナースステーションに電話をしても、タイ式の「ハア?ハア?」の連発。言葉がわからないと思われると一方的に電話を切って知らん振りである。おまけに外国人と知りながらタイ語で話せといってくる。もちろんこちらが有色人種外国人だからである。まったく話になっていないが、実にタイ的なところだ。これでもスタッフはお色気いっぱいだから元気な患者なら看護婦の尻でも触って楽しく過ごせるのかもしれない。しかし点滴付でははしゃぐこともできない。

いったんは入院するといったが、このような条件なので、やっぱりこんなところにはいられないと思いなおして退院した。入院費用はしっかり取られる。点滴代、部屋代、診察台、検査代、薬代などで3500バーツほど。

なお、私は旅行傷害保険などには入っていない。病院に行くことは多いが(その場所での病院の条件を確認するために積極的に行ってみるようにしている)、病気は気力で治すという主義である。

そのあとJansomホテルに戻って横になっていると、変な日本語の電話がかかってくる。誰なのかもわからない。何を言いたいのかわからないし、どういう用件なのかを聞いても答えない、ただ「全国ネットです」という。もちろん日本人ではない。どうやら通訳サービスがあるということを言いたかったらしい。しかし詳細を聞こうとするとすぐに切ってしまう。これではなんの役にも立たない。

あとでホテルのフロントに確認しに行くと、バンコクからだという。どういう仕組みなのかはまったくわからなかった。

そのときちょうどフロントに日本語を話すお客(若い女の子)がいて、通訳を申し出てくれる。といっても、日本語はお粗末で英語のほうが通じる。ホテルの客なのかどうかわからないが、チュンポンに住んでいる人で、家族と一緒に来ていた。そのあとは、彼女に全面的に世話になる。彼女はそれなりにかわいかったが、家族はタイ人丸出しだった。その場にいるだけで暑苦しくなる。

彼女も入院を勧めてくれた。そして国立病院が安くていいといって、母親の車で連れて行ってくれた。しかし、国立病院の大部屋に連れて行かれてげんなり、こんな修羅場のようなところに泊まったら元気な人でも病気になってしまいそうだ。しかも、国立病院には個室がないようだった。すでに深夜1時過ぎだった。大部屋のベッドが一台空いている。彼女は平然とそこで寝ろという。すぐ隣には年寄りのローカル患者がうめき声を上げている。ここはとても私の眠れるところではない。

午前2時ごろになっていたが、個室のある別の病院に案内してもらう。チュンポンの町からはかなり離れた、トーンブリ・チュンポン・ホスピタルという病院に連れて行ってもらう。ここの一泊1000バーツくらいの部屋に結局、2泊することになる。

トーンブリ・チュンポン病院も看護婦の要領はまったく悪い。食欲はなく、3食お粥だけにしてもらったが、豚粥を出してくる。「私はムスリムなので豚は食べない」(これはウソでただブタが嫌いなだけだが)と何度言っても繰り返しブタ入り粥を出してくる。粥には生姜を入れてくれとかこっちもわがまま言い放題である。しかしジンジャーの一言さえ通じない。辞書もないらしい。

このトーンブリチュンポン病院の病室も、寝台は処置台で、狭くて高く、安心して寝返りも打てない。片方の鉄柵を上げてそれにしがみつくようにして寝た。ところが、看護婦が夜中にも入ってくる。2時間おきの検診(血圧と体温)を医者に指示されているのだという。夜中寝かせないつもりらしい。2度と来るなキチガイめ、と怒鳴りつけて追い返したらもう来なくなった。この日は血圧と体温を何度調べられたかわからない。血も2回は抜かれた。

タイはとにかく看護婦の仕事がトロイ。何をどうやっているのかと思うほどひとつの仕事が遅い。みんなで顔を見合わせてただただ困惑し、ぶつぶつあれこれしゃべっているだけ、という情景がしょっちゅうある。簡単なことを頼んでも、何度頼んでもするするというだけで一向に始まらない。マレーシアも雑だが、もう少してきぱきしている。

中国系と見えるエリートらしい医者がえらそうな早口の英語でつきかかってくる。医者が患者をモノ扱いするということは日本でよく言われていることだが、この点についてはタイのほうがひどい。タイの医者は朝ドタドタと部屋に入ってきて眠っている患者を起こし挨拶もせず、勝手に毛布をはがし、服をまくり触診などした後、服を戻しもせず毛布をかけなおしもせず、何も言わずにまたドタドタと出て行く。何事が起こったかと思う。診察が終わったのかどうかすらわからないほどである。看護婦もまったく同じ態度。医者が出て行くときに、「電気くらい消していけ!」と怒鳴ってやったら、舞い戻ってきて電気だけは消していった。私の個室は一泊1000バーツくらいでエアコン付。そんなに安い部屋ではない。

後進国のほうが「人間的」なのではないか、というのは、日本人が抱きがちな誤った妄想である。実際は、昔から言われているとおり衣食足りて礼節を知るというのが正しいが、タイのように衣食を足りていても、礼節からも文明からも遠く隔てられている国もある。衣食足りることは礼節を知ることの必要条件だが十分条件ではないようだ。ツーリズムや売春に豊かさを依存しているような国はどこまで行っても文明には手が届かないということだろう。そのような心から貧しい国でエリートに成り上がり、オレはほかの連中とは違うんだと思っているような人間にまともなのがいるわけがない。

タイはタクシン時代、外国人の長期滞在医療を重点産業としようとしていたように報じられていたが(マレーシアやフィリピンも同じようなことをもくろんでいるようである)、現実のタイは、医療や接客などのホスピタリィティの面では昔も今もそして今後とも最底辺国といっていいだろう。長い間外国人(とくに白人)のデタラメを許してきた国だから、いまなおデタラメをしたい外国人が多く集まってくるだけであって、人を良く扱うから外国人も多く集まるというのとはまったく違うのだということは注意すべきところである。

6日昼ごろ、部屋の目の前のナースステーションの前で睡眠薬をくれと交渉していると、昨日世話になった日本語を少し話す女の子が母親と一緒に入ってきた。昨日とは別人かと見違えるようなお化粧をしていた。日本の友人からもらったという「旅の指差し会話帳」を持ってきてくれた。彼女はもう日本語を勉強する気はないのかもしれない。奥付のところには○○春香さんという子からの彼女への贈呈の言葉がかかれてあった。「日本語がんばってね」と書いてあったが、本人はどんどん忘れているといっていた。「ツーリズム学科」を卒業して、いまは英語と初級の日本語の教師をしているそうである。

いったい、タイのツーリズム学科なんてものは何を教えているのだろう。どうやって白人を上げるかとか、売春に見えないようなレンタルワイフ斡旋業の手管とかだろうか。日本古文の謙譲語の説明のように、有色人種客を「下げる」ことによって相対的に白人客を「上げる」効果があります、などと教えるのだろうか。昨日なぜか彼女が自分の携帯番号とカタカナで名前を書いた紙切れを私にくれたが、けがらわしい物のような気がしてすぐに捨ててしまった。

彼女がくれた旅の指差し会話帳も無駄になるだろう。私はもうタイ語を話す意思がない。タイ語を使わずタイを通過し、ここで利用できるものを利用することだけを考えている。本を受け取って「ありがとう」といいすぐに自室に下がった。

夜8時ごろJansomホテルの英語を少し話す姉ちゃんが仲間たちと一緒に見舞いに来てくれた。姉ちゃんはなぜか身の上話めいたことを言った。実家はスラタニで、子供がいるのだとか。4日入院しろといわれているが、それは怪しいという。前の病院Virajslipは良くないとも。明日医者のチェックを受けたあと退院したほうがいいとも言う。車で迎えに来るからという。なんだか客の取り合いのようでもある。見舞いのつもりか缶詰のミルクをたくさん持ってきてくれたが使いようがない。そのまま病院においていく。

7日。月曜日になると看護婦までが制服を捨てて全員黄色のポロシャツを着ている。黄色は月曜の色で、国王が生まれた曜日の色だから国王の色だということである。(私は小学校で黄色はキチガイの色だと習った覚えがあるが)。ここはまるでナチス国家だ。

例の医者は急に開き直ったような態度になり、どこが悪いんだ、何で入院しているんだ、などと素っ頓狂な質問をしつこくしてくる。「デング熱だから4日入院しなければならないといわれている」とこっちが説明してやらなければならない。これがタイの医療である。結局もう退院していいことになり、ホテルの車を呼ぶ。

Jansomホテルに戻ると同じ部屋は空いていなかったので、別の部屋に入る。部屋が気に入っていたので自分はチェックアウトしたくなかったのだが、日本語をしゃべる女の子が来たときにそういう成り行きになってしまった。

痛感するのは、タイ人は看護婦には向いていないということ。同時に複数のことを考えることができない。複雑な状況にぶつかると切れる。簡単なことでも何度もせかさないと動こうとしない。まったく融通が利かず、機転が働かないので、介護などにも向いていない。

タイ人に向いている仕事はやっぱり売春か(売春に対する抵抗感が社会全体に欠けているため)、何も考えないでできる単純労働ということになる。したがって、いかなるタイ人労働者も日本に受け入れる合理的な理由はないと思われる。

5月14日。チュンポンの白人用"Western-Thaiバービア"と同じ大通りにあるできたばかりの旅行代理店では、なぜかわからいないが、インターネットをただでやらせてくれる。3時間も使ってもタダなのでかえってこっちのほうが気を使ってしまう。しかも、ほかの客が使っているのをあまり見ない。2台しかないパソコンがたいてい空いている。壁には料金表が貼ってあり、そこに書いてあるレートは1分1バーツ、60分60バーツで"Western-Thai"と同じ。

この旅行代理店はまだ航空券は扱っていないといっていた。ビーチへのツアー中心のようだが客が来ているのをあまり見ない。店主は顔立ちから見てインド系と思われるタイ人。

深夜、ジャンソムJansomホテルの裏手の通りでローカルネット屋を見つけた。1時間ほど使って15バーツ。PCも新しく、台数も多い。日本語もすぐにインストールできる。IEではココログにログインできなかったので、Mozilla Firefoxをダウンロードする。これはほとんどココログに入れる。

しかし、翌日昼にそのネット屋に行ってみると、子供たちにまじって、屑毛唐が土人売春婦丸出し女を連れてきていた。教育上悪いことこの上ない。しかし、マレーシアと違いタイではこのような光景にも鈍感になってしまう。

デング熱はこの3日ほどで急速に快方に向かった。今はほぼ快癒したといっていいと思うのだが、まだ時折、頭の後ろや筋肉にへばりつくような熱感を覚えることがある。特に夜中。

ラノンRanon=コートーン Kaw Thaung、タイツーリズムと児童買春の現実。および、タイ入管役人の私怨による「国王大権」濫用と有色人種外国人旅行者への嫌がらせの一例

4月26日。

午前10時半ごろJansom Chumporn Hotelをチェックアウト。フロントにラノンRanong行きのバス停まで行きたいからモトサイ(バイタク)を呼んでくれと頼むが、ホテルの裏だから歩いてすぐ、5分で行けるなどというので、荷物を担いでしばらくホテルの周りをうろうろする。バス停らしいものはまったく何もなかった。近所の人に聞くと待った区別の方角を教えてくれる。その方角にあるというバス停は地図にはのっているがホテルの人間はもう使われていないといっていたところのようだった。

もう一度ホテルに戻ってフロントに確認すると、そのフロント女は逆上して大声でボーイを呼びつけた。私はもうそこにはいないかのようである。ボーイがモトサイを拾ってくれた。ミニバスの発着所はまったく別の場所でほてるからはかなり離れたところだった。

私は最初からモトサイを呼んでくれと頼んでいたのだから、そうしてくれれば何も問題はなかったのだ。その手間が嫌だったのだろう。タクシー(モトサイ)さえ呼んでくれないというホテル。その上歩いてすぐそこだなどとでたらめを教え、それが間違いだとわかるとヒステリックに逆上する。若い女でもない。ここはタイでは安宿というわけではなく結構な構えのホテルである。こうやって客を炎天下歩かせて不便をかけても何の罪悪感も感じないようである。

タイ人には「職業倫理」などというものはカケラもない。いくら日本のポップカルチャーの真似事をしていても、日本的な倫理の対極にあるのがタイという生き物だと思う。この種の逆上はマレーシアのホテルではあまり見たことがない。

モトサイはそんなにぼろうとしない。15バーツぐらいである。ぼっていても5バーツくらいだろう。

午前11時半のミニバスでラノンRanongに向かう。ミニバスは山の中のよく舗装された道を通っていく。

2時間ほどでラノンRanongにつく。ミャンマー国境へはそこからソンテウでさらに数キロ。ラノンでもタナカをした女の人が目立つ。ソンテウに乗っていたはビルマ語を話していて、女の子の一人はタナカをしていた。男もほほにほんのちょっとだけつけるのがはやりのようである(流行なのか昔からやっているのかは定かでない)。タナカをしていた女の子は若いのに(ネパールなどで言う)「パン」(ビンロウ)を噛んでいて口の中が真っ赤だった。野菜などの入った大きな買い物袋を提げていた。服装は普通の洋装。金の装飾品をいくつもつけていた。ミャンマーからラノンに買い物に来たのだろうか。

女の子たちが降りたところでソンテウを降りた。彼らもミャンマーに行くという。そこの路地を入ると小さな桟橋があったが、イミグレーションオフィスはもっと離れたところで500メートルほど歩かなければならなかった。イミグレには当然のように毛唐がいっぱいたまっていた。土人連れもいる。役人はしきりに私のパスポートのスタンプ履歴を見ていた。

桟橋あたりをうろうろしている斡旋人が最初は300バーツと吹っかけてきたが、100バーツが外国人ツーリストの相場だった。

水しぶきのかかるような小船にのる。船は途中の桟橋で給油したり、海上にある別のタイのイミグレによったりしながら行く。海上の小屋のほうでパスポートにイミグレが添付した紙切れにもう一度出国スタンプを押す。小船に乗る人はみなかさをしている。妻たちなのか顔前面覆う黒いベールをした女性を3人連れたムスリムの男といっしょだった。彼もミャンマー人だった。

ミャンマーらしい暑さ。サンダルの足の甲が日射でちりちりと痛くなる。

ミャンマーのコートーンKaw Thaungイミグレーションにパスポートを預けパーミットを受け取り、10ドル払ってすぐに入国。ミャンマーのイミグレの役人は、ニコニコして日本語を少し話す人だった。タイとは大違い。ミャンマーのイミグレはどこも感じが良く、事はスムーズに進む。

いい気持ちでミャンマーに入国したが、コートーンに上陸してすぐ、早速ひどい光景を見る。

向こうから刺青をした獰猛な毛唐が2人幼い地元の女の子の手を引いて歩いてくる。女の子の一人はどう見ても小学生だ。12歳以下に見える。もう一人15くらいだろう。ジェティの方に向かっている。 海兵隊丸出しの男たちである。この女の子たちをいつどこで調達したのか、タイから連れ込んだのかコートーンで調達してこれからタイに持ち帰るのか、それはわからない。とにかく早速写真を撮る。にらみつけてくるが、白昼堂々とやっていることだ。

http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2007/04/crime.html

ここにくるツーリストはミャンマーへのツーリストではない。あくまでタイへのツーリストである。つまり、こういう児童買春はタイツーリズムの一環に他ならない。これはタチレクのツーリズムがタイツーリズムに他ならないのと同じである。

ヤンゴンやマンダレーからミャンマーに入ってコートーンやタチレクに行く人はめったにいないだろう。コートーンやタチレクからミャンマーを出国することはできないと思う。

海兵隊野郎も当然ながらプーケットあたりにたむろするファランであろう。彼らは手ぶらでイミグレのあるジェティのほうに歩いているところである。おそらくタイに戻るのだろう。コートーンへはデイリターンでちょっと上陸しただけなのだろう。連れている子供たちもミャンマー人には見えない。タイから連れてきたのだろう。特に男の子は明らかにタイの子ども。

そしてタイのイミグレもミャンマーのイミグレも、このような子供連れで難なく通過したようだ。「ただの友達だ」とでも言い、役人たちも「納得」したのだろう。ローカルが国境を越えること自体は簡単である。兄弟を連れてきたのもよかったかもしれない。

しかし、娘の兄または弟が一緒にいるからといってセックス目的でないとはまったく言えない。なんなら実の母親さえ一緒にいてもいいくらいである。

今東南アジアで子供を買っている白人は家族全体を買い取るようなやり方をする。小さな娘の「偽の母親」を雇って一緒に連れて歩く白人はさらに多い。

海(江)から見えていたBear Honey Hotelに入る。全室一泊800バーツ。ジェティにいた客引きはもっと安いところ(500バーツほど)に連れて行くといっていたが、下手に安いところに行って毛唐の巣のようなところに連れて行かれてはたまらないと思い、高いところにした。窓からすぐに海が見え、下は波止場と市場の賑わい。

後で聞いたことだが、この800バーツは外国人料金で、ミャンマー人は10000チャットだという。(現在100バーツ=3720チャットほど)。

ミャンマーイミグレがくれたエントリーパーミットを見ると、国籍がJapになっていた。

Bear Honey Hotelはミャンマーのホテルなのに朝食はつかない。

このあたりは茶髪の子供、金髪の幼児が目立つ。髪を染めている若者は別である。カンボジアもそうだがそういう人種のようだ。モン系だろうか。

Kaw Thaungは雰囲気もカンボジアみたいである。ああいうクズ毛唐が舞い込むせいか、ミャンマーにしては素朴な笑顔が少ない。

両替レート100B=3720Kyat。バーツがかなり高くなっている。2年ほど前は2000チャットくらいだった記憶がある。

ミャンマーの田舎にありがちなことだが、コートーンも停電が多い。Bear Honey Hotelは自家発電機で夜は電気をつけているが昼間は大体停電している。

インターネット屋が一軒だけあった。しかし自家発電のせいか、2台しかないパソコンのうち日本語が入れられたほうはほとんどいつも故障していた。もう一台はどうしても日本語を入れられなかった。パソコンに触れると電気がびりびりきたり、USBケーブルをつなぐとまたびりびりきたり、なかなか怖い代物だった。使えたのは一日だけだった。インターネット屋というより電話中心の店。

そのネット屋にはネパール風にやわらかく付きまとってきたムスリム(パキスタン系)の少年に案内してもらった。少し小遣いをやる。

ネパール式付きまといが妙に懐かしかったりする。友達風に近づいてきて案内を申し出る。最初はカネなど問題ではないようなことを言う。いくらほしいとはっきり聞いても、up to youなどといっている。結局はいくらかやることになる。この少年はバイクもない歩きのガイドである。それを考えるとたくさんやりすぎたかもしれない。最初から金額の交渉をしていたらバイクがない時点で終わりになっていたかもしれないから、これは彼の知恵ということになる。

ミャンマーは以前はwwwに合法的にアクセスすることはできなかったはずだが、少なくともいまコートーンから主なポータルサイトのメインのページにアクセスすることはできる。しかしWEBベースのEメールにはアクセスできないようである。ヤフーメールにサインインすることはできない。グーグルメールはサインイン画面にもアクセスできなかった。

コートーンに上陸した直後にかち合ったあの幼女連れ毛唐たちが今夜どこに泊まったのか気になってきた。ジェティの方に歩いていったからラノンに戻ったのだろうか。それとも明日もまたこの町で見ることになるのか。

あれが今夜も同じ町で幼女と泊まっているのかと思うと気持ちが悪くなる。ケガラワシイとしかいいようがない。

27日。

Bear Honey Hotelは午前中は電気が止まる。電気は午後2時から2時間ぐらい通って、また止まり、6時過ぎからもう一度通るようになる。発電機が東向きにあり、日向になるからかもしれない。ホテルで英語が通じるのは一人いるかいないか。

ミャンマーの楽しみはやはりティーショップである。これはKaw Thaungでも健在。マンダレーより盛んである。その辺ティーショップだらけ。イジャコイ(揚げローティ)が旨い。しかし閉まるのも早い。とくにジェティのある街区は夜は閑散としてしまう。

ジェティに近い海沿いの通りはまるでカンボジアというより、ポイペトのよう。どう見ても薬をやっているとしか思えない男が喧嘩していたり叫んでいたりする。

ホテルの裏手の通りの地味な茶店にいた中国系オヤジが親しげに筆談で話しかけてきた。日本人だとわかったらしい。ここではほとんど日本人と当ててもらえる。後でわかったことだが、この人は英語も話せるのだが、日本人はまったく英語を話せないと思ったのかどうか、ここらに来る日本人にはそんなのが多く、それがうれしくてたまらないのかもしれないが。この人は祖父が1890年に海南からミャンマーに移住したミャンマー3世だという。

夕方クズ毛唐オヤジ数人のグループがBear Honey Hotelに入ってきた。せっかく高いところに泊まっているのに最悪だ。日に焼けきってあれ切った肌をして首にタオルを巻いているのもいる。50過ぎの連中だろう。何十年このあたりをうろついているのか知らないが、まだ徒党を組んでガイドまで連れている。ミャンマーの制服役人もホテルの前まで付き添っていた。

夜、毛唐たちが帰ってくると1階のロビーをずっと2時間ぐらいは占領している。ほかのアジア系宿泊客も結構いるのだが、毛唐たちはロビー全体をずっと占めきって大声でしゃべり続けてお構いなしである。他者、有色人種の他者のことはまったく顧慮しない。あるいは、ひととおり顧慮した上で、彼らを無視できる他者、対等の者として相手の立場に立つ必要がない他者と断定して、きれいに切り捨てているということなのかもしれない。

このようなことからもわかるとおり、日本人専用の場所も必要だが、それとは別に、白人お断りの場所、白人を入れない場所を広範に作ることが、何よりもまず、人類の福祉のために必要なのである。

29日。正午ごろBear Honeyをチェックアウト。このホテル、男はろくに働かずチップをねだるばかりだったが、女の子はかわいかった。最初はよそよそしくしていてもだんだん打ち解けていく。

ミャンマーイミグレーションはすぐに通過。日本語でお愛想を言ってくれる。それからが問題である。

帰りのフェリーは大型で良い船だったが、スタンプを押しにくるだけのデイリターンの毛唐だらけ。ケガラワシイ。

午後1時ごろタイ側、ラノンRanongにつく。ラノンのイミグレはファラン(毛唐)だらけで嫌な予感はあった。

タイではまったく珍しくないことだが、ラノンイミグレの若い男の役人は、ファランには国籍を問わず丁寧な英語でへらへら話しかける。そして有色人種ツーリストには、外国のパスポートを見せていても頭からタイ語のみで話しかける。

一人、とても日本人とは思えない真っ黒でチビな男が私の前にいた。日本の5年パスポートを持っていたので始めて日本人だとわかった。タイ役人にタイ語で話しかけると卑屈にへらへらしてタイ語で答えていた。これ以上ないほどの卑屈な態度である。こういうのが2ch海外旅行板あたりではタイ通ぶって偉そうな説教しているのだろうと思った。

白人にはかなり丁寧な英語で接客、非白人には問答無用でタイ語を頭から押し付けるというのが、役人を筆頭としてタイ社会のスタンダードのようである。

私の番が回ってきた。日本のパスポートを見せているのに当然のようにタイ語で押しかぶさってくる。情けない日本人タイヲタツーリストの卑屈な態度を見た直後であったこともあり、ちょっといらついて、" I don't speak Thai. Speak English to foreigners."とはっきり言った。私が言いたかったのは、If you ever speak English to foreigners, you should speak it to every foreigner without racial discrimination,that is, not only to farangs but to asian tourists!ということである。

しかしこれがすべての始まりだった。

この一言がこのタイ役人の歪んだ「プライド」を傷つけたようである。彼らの「プライド」とはつまり、「俺たちはファランよりは当然のように下だが、アジアでは一番ファランに好かれていて偉いんだ」という、タイ猿またはタイ犬の犬猿的序列意識である。(この犬猿的序列の頂点にいるのがタイ国王プミポンに他ならない)。

この役人はふっと反り返るようにして、1時間待て、といい、次にすぐに、2時間待てと言い直し、パスポートを取り上げた。

もうスタンプを押しているのにパスポートを返そうとしない。入国許可をキャンセルするというのでもない。ただの「嫌がらせ」である。最低の肉便所国家=土人売春国家タイランドの卑屈で歪んだ情念が下司役人の行動に率直に噴出したというところ。

この若造をいっそそこで袋叩きにしてやろうかという衝動に駆られたが、それは抑えた。

ファランの列ができている。ファランが全部終わるまで待てということだろう。私の前でファランにはますますことさら卑屈な英語の応対である。sirとかpleaseとか卑屈なタイ猿役人口真似をしてからかってやったが、どうしてもパスポートを返そうとしない。

このまま待っていたら終業まで待たされるだろう。ファランツーリストはスタンプを押しにどんどんやってくる。

そして最後は別室に連れて行かれて何をされるかわからない。荷物をひっくり返し裸にされるのは当然として、顔は殴られないとしても腹に蹴りくらいは入れられるだろう。あるいは荷物調べ中に麻薬を組み込まれるかもしれない。今はファランの目があるから何もされていないだけである。

とにかくこのままここにいては危険である。この国は危ない。そう痛感したので、私はミャンマーに戻ることに決めた。

ニコニコと片言の日本語で話しかけてくれるミャンマー役人に事情を話して、なんとかヤンゴンまでいけるように取り計らってもらおうと思った。

つまり、正式にミャンマー政府に「人身保護」を求めることに決めたのである。seek refugeというやつである。

私は隣に出てきた女の役人に、自分はタイには入国しない、ミャンマーに戻ってミャンマーオフィシャルに話をするからパスポートを返してくれ、というと、その場の雰囲気ががらっと変わった。女の役人はまだ何かぶつぶつ言っていたが、もう30日(タイ滞在)のスタンプを押してあるからといってパスポートを返してきて、結局解放される。

女役人は「お前がpoliteじゃないからいけなんだ」とか言っていた。Politeじゃない毛唐ははいて捨てるほどいる。見るからに小学生の女の子を連れてイミグレを通過する海兵隊たちは、このタイの豚女には色が白くてPoliteな白人様に見えるのだろう。

しかしこのトラブルの要点は、あの若い猿役人の卑屈で歪んだ個人的プライド、俺はファランに媚びていても有色人種外国人よりは偉いんだという卑しい感情をちょっと傷つけたために、個人的な嫌がらせを受けていたというだけだった

いっそのこと、そのスタンプはキャンセルして入国拒否のスタンプでも押してくれといいたかったところである。

deportedなんて書いてもらうのも良いだろう。その理由は、「日本人ツーリストが『タイ語は知らんから英語で話せ』と言ったから」、ということになる。

タイ側の入国拒否の証明があれば、ミャンマー側で第三国に出るためにヤンゴンまで行かせてもらうことも頼みやすくなると思う。私にとってはこれもまた楽しい旅になるだろう。

あとでスタンプなどをよく確認したが普通のものだった。うわさで言われているような特別な印などはない。もっともコンピューター管理をしっかりしていれば何か書き込むかもしれない。しかしこれもタイはいい加減なもののようである。どちらにしても次回入国できるかどうかによってチェックされているかどうかもわかるだろうと思う。

タイなどはもう一度こっぴどくビルマに攻められて今度はバンコクまで占領されたほうが良いのだ。

ラノンのイミグレ近くからソンテウでミニバス停まで行き、120バーツでチケットを買ってチュンポンに向かう。午後2時ごろ発。

チュンポンからラノンに行ったときは検問所らしいところはあっても検問はなかったが、ラノンからチュンポンへ行く途中には検問所に目つきの悪い兵隊が何人もいた。ジロジロ乗客をにらんでいたがミニバスのドアをちょっと開けただけ。

午後4時ごろチュンポンにつく。ミニバスにはジャンソムJansomホテルの近くまで行ってもらう。660バーツの部屋にチェックイン。今日は本当に不快な一日だった。

タイという国は白人にとっては非常に居心地のいい国であることは言うまでもない。買春目的客や、今日ラノンのイミグレで見た黒い蛆虫のような卑屈に振舞える日本人にとっても楽しい国なのかもしれない。しかし、それ以外のまともな日本人にとっては非常に不愉快な国だと思う。

唯一良いことはホテルが安いことだが、これもタイ社会全土を覆う広範な奴隷的労働の上に初めて成立している価格なのであって、良識ある文明人が頓馬に喜ぶべきことではない。

問題はタイの国土が広すぎることである。インドシナで陸路の旅をしようと思うとタイを避けて通れない。分裂してもっと小さな国になってくれるといいと思う。

しかし、あのままイミグレで言われたとおりに待っていたらどうなっていただろうか。ファラン客が尽きるまでは待たされるから、もちろん2時間ではすまない。そして、その後別室に連れて行かれてファランの目のないところで拷問である。どんな目に合わされるか。タイ北部の山岳少数民族が日常さらされている脅威にさらされる。タイ人にとって日本人は「カネをもった山岳少数民族」に過ぎない。あくまで相対的に「下位」のものがタイ人に楯突いたことが許せないのである。

彼らは国を挙げて白人に媚びる代わりに有色人種外国人を見下し彼らに卑屈な振る舞いを強要することで精神のバランスを維持している国民である。国王プミポン自身がまずそうだろう。王女シリントーンなどはその代表選手である。だから、タイ人に対して偉そうにするという意味は「白人との対等の扱いを求める」ということである有色人種ほど許せない連中はタイ人にとってはいないということである。そういう日本人はよほど懲らしめてやってタイ猿としては失われた精神のバランスを回復しなければならない。だから、彼らが私にやりたかったことは、イタブルためにイタブルということ、懲らしめるために懲らしめる精神的な拷問が待っていただろう。彼らの足に額をすりつけて謝るまではパスポートを返さないなど。

数日前に来たチュンポンのネットカフェに来てみると雰囲気がまったく変わっていた。タイのバービアそのものである。スタッフも変わっている。売春婦まがいの赤いタンクトップを着た女が毛唐に媚びている。 白人爺が入ってくると満面の笑みでサワディカーといい、有色人種客はほとんど来ない。もちろん私がインターネットを使いに来てもことさら陰険な目で睨み付けるのみである。何か頼むたびに嫌悪感丸出しの表情。その上ネット代も一時間60バーツになっていた。前回は異常に安かった。常識的に見てネットは30バーツ前後が普通である。パッタニなら15バーツもある。KLでさえ高くて4リンギ。数日のうちにオーナーが変わったのか。

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マレーシアの役人が英語オンリーなのは言うまでもない。面倒な手続きでもわかるまで話してくれる。

インドネシア国内ではインドネシア語が必要になるが、インドネシアイミグレの役人がインドネシア語でたたみ掛けてくるといういことはない。インドネシア語は使用人口が数億に達するというだけでなくスマトラ、ジャワ、インドネシア諸島、マレー、ボルネオ・南部フィリピン、ポリネシア、パラウ島などを含む南洋諸島の国際共通語とさえいえる地位になるのだが、イミグレーションの手続きでその言葉を知らない外国人に自国語をおしつけるような蛮行はしない。外国人の人種を問わず、英語で応対している。

ネパールのイミグレも当然英語が基本である。私はネパールでスタディビザを取ったことがあるので、私に対してはわかりやすいネパール語で話しかけてきたことはあったが。

いずれにせよ、白人外国人と有色人種外国人とを截然と分け、白人客には国籍出身地を問わず英語で卑屈に話しかけ、アジア系有色人種にはイミグレ役人が頭から自分たちの民族語(相手に理解できない言葉)を浴びせかけてきて、それを理解できないほうが悪いというような態度を取る国は、世界広しといえどもタイ以外にはそういくつもないのではないか。白人諸国には国がたくさんあるしひどい国も多いようなので、少なくともアジアでこういういくにはタイくらいだろう。(中国も態度は変わるが、逆に日本語で話しかけてきたりする〔チベットの場合〕。韓国だけはまったく行ったことがないので比較のしようがない。)

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くどくなるがもう一度繰り返す。

プミポンの臣たるタイ猿役人は、

白人ツーリストには国籍を一切問わず、英語で話しかけ、へこへこと生まれつきの醜い猿面をさらに卑屈に引きつらせて立ち回り思いつくあらゆる便宜を提供し卑しい愛想を振りまく。

一方、アジア系ツーリストに対しては日本のパスポートを提示しているにもかかわらず、さまざまな細かいいやがあらせをやったあと、

(たとえばgender欄のチェックをし忘れている)とけちをつけ、その一秒の間に、すぐに私の後ろにいる毛唐を優先受付するのである。そしてそのプーケット系のクズ毛唐にはことさらな微笑みをふりまき卑屈な丁寧英語で話しかけ、その「差」を私の目の前で見せ付けて楽しむのである)

そしてようやく私の番が戻ってくると、この猿の微笑みも卑屈もどこにもない。

私が日本語のパスポートを見せているにもかかわらず、もちろん微笑みもせず、居丈高に、押しかぶさるようにして、私にタイ語のみではなしかける、わからないのがわかっているのにそれで押し通そうとする。

ここで私が、うろたえたり、ソーリーとでも言ったりしたらあの猿ボクサーは「勝った」という気持ちにでもなれたのだろうか。

これは彼らが、日ごろ少数民族や、異教徒たち、国内マイノリティや、近隣国からの労働者に対してやっている態度に他ならないのである。

彼が言いたかったことは、俺は日本人を北部山岳少数民族やビルマ人やクメール程度にしかレスペクトしていないぞ(いずれも尊敬に値する民族ばかりだが、タイ族にとっては賎民である)、という意思表示に他ならない。

このような彼らの侮日的態度を拒否し、やつらが毎回卑屈に白人に話しかけているのと同じ英語で話せといっただけでこの猿は逆上して怒り出し、パスポートを取り上げるという。

パスポートを取り上げる根拠などは一切示さない。すでにスタンプが押して手続きが済んでいるのを単に嫌がらせのために取り上げるというだけである。

それも最初は1時間待てといい、次には2時間待てという。何を待つかさえ明らかでない。ファランがいなくなるまでということだろうか。そしてファランがいなくなれば、タイ警察・軍が北部や南部で毎日ごくふつーに実践している、逆らう少数民族にたいする暴行凌虐の行為をファランの目のないところでのびのびとできるということであろう。殴るけるくらいは当たり前。日本人だから顔に傷が残らないように腹に徹底的にけりを入れられて半殺しにされた後メタアンフェタミンを仕込まれて開放され、数日後「密告」によりまた逮捕である。

いずれにせよ、これが「タイ」という国家なのである。このタイ猿役人の卑しさは、そのまま「タイ国家」の卑賤な体質を如実に表現するものである。

いったい、日本が「美しい国」を目指すというのなら、このタイのような卑しい国が「親日国」たりえようか。美しい国を目指す国にとって、敵の敵は味方とか、反日をかかげていなければOKなどという理由でタイのような国によくしてやる理由はまったくないのである。「仏教国」などもってのほか。日本は仏教国ではないし、イスラム教国との付き合いのほうが多い。

日タイ関係にはいろいろな面があるが、すべてチェックしなおす必要があるのではないか。とくに切り捨てるべきは外務省タイスクールと偽りの「皇室外交」である。日本の皇室が(タイ王室に対しプロトコルに照らして破格の敬意を表していることにより事実上)支援するタイ王室、タイ王妃の開拓プロジェクトによって、(日本法でいえば入会地のような)土地を追われて、タイ市民権さえ保証されないまま、チェンマイやチェンライの花売りに娘を売らざるを得ない少数民族があとをたたない。彼らはパタヤやプーケットまでも花を売りにいくのである。もちろんすべて白人セックスツーリストの餌食である(日本人ぺドは花売りに声をかける度胸がなかったり英語ができなかったり、その後連れて行く場所の手配などが組織的にできていないため、こういう犯罪はまったく苦手なようである。また白昼日本人が現地幼女の手を引いて歩いていたら、高邁なる白人人権NGOに直ちに誰何されて警察の御用になるだろう。そして日本人は白人と違いすぐゲロってしまう)。

このようなタイ王国と日本の皇室との皇室外交というものは、タイ王国の卑しい出自、由緒の浅さからだけ見ても日本の利益になることは何もないと思われる。

実に、日本の天皇に比肩しうるものは現世界にはどこにもない、というところが日本皇室の特殊性なのである。

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「黒人バックパッカーはなぜ少ないのか」という一般的な問いがある。タイに限らずということなのだろう。

タイに関して言えば、タイでの黒人差別がひどすぎるため、よほどなんか用でもないかぎり黒人がわざわざタイへ来ることはないように思われる。一方でマレーシアには本当にたくさんのアフリカ系の黒人がいるが、彼らはバックパッカーではなく普通の旅行者、出稼ぎに来ている人という感じの人が多い。英語とPCの達者なものは事務処理の請負のようなバイトをやっていていつも特定のネット屋を溜まり場にしている(私もそこの常連である。彼らアフリカ黒人は白人ほど大声を上げないし、うるさくなってるときでも「うるさいから黙れ」というと静かになることが結構ある。白人だったらシニカルににらみつけて完全に無視だけだろう。黒人は白人ほど臭くない。白人にとって重要なのは、「この場所が俺たちのための場所なのかどうか」ということであって、「他人の迷惑を考えましょう」という倫理は最初からどこにも存在しないのだ。そして、かれらにとって東南アジアは、本来白人のための空間である。タイはますますそのことを政府役人自身が表明している国であり、植民地以上の事実上白人植民地であることを持ってあらゆる悪事を帳消しにしてもらい国を維持していこうとしている賎民乞食国家である。

で、黒人バックパッカーがなぜ少ないかだが、世界中のバックパッカーに便宜を提供する場所がタイやネパールに集中しているということがそのひとつだろう。とくに東南アジアのハブとして位置的には利用したいタイは、日本を裏切るために親日家のラーマ8世を暗殺して現国王プミポンを即位させたたところまではよかったが(そうでなければ日本と並んで戦争責任を問われたことになる)、ナチスドイツにたいしてははっきりとした立場を表明しなかった。タイ猿の頭からすればホロコーストのようなことはタイ族がシナからインドシナ半島乱入してきたときにいくらでもやったことだし、今もやっていることである。しょせんはファラン同士の内輪もめに過ぎず態度をはっきりしておかないのが得であるとみたのだろう。そういうわけでタイ人は人種主義についてはいまもナチ教義のまま、色は黒いのが悪く白いのがよい、だけでなく、黒人だというだけであらゆる場面で犯罪人扱いを受ける国である(マレーシアでも黒人は弾圧されることも多いが(やんちゃしているからでもあるが)彼らに聞いても、いくら金をもらってもタイにだけは行かないという)。

ネパールでも、カースト的な発想から色の黒いものが差別されるということはあるが、ヒンドゥー教における差別は大真面目なものであり本気なものであって、相手を嫌がらせするなどは2の次3の次である。井戸に近づかせない。彼らの調理したものを食べないなど。タイ人が接客場面で、ひとつの接客文化として大げさに表現する白人崇拝や人種差別とはまた異質なものである。

ネパールのタメルにあった、あるバウン(ブラーマン)の経営するゲストハウスの客は黒人だらけだった。その経営者のバウンは、バウンに似ず非常に親切な人で誰に対しても分けへだけなく接していて、私も一晩泊った。さすがに黒人がうるさかったので一晩だけでやめたが、その後も私はトラブルを抱えていたりするとその主人は何の報酬も求めずずっと親切にしてくれていた。彼は、真のブラーマンだったのだろうか。こういうことはタイでは経験できないことである。

タイという国は、道義的にも美的にも、腐りきった最低の便所国家である。欧米がろくでなしを本国から追い出すために、アメリカが海兵隊のやみがたい幼女姦淫欲求をかなえてやるために、白人たちが維持している白人の便所にすぎない。

アメリカの海兵隊帰休兵がタイのビーチで幼女と寝てバカンスするというベトナム戦争にさかのぼる栄光ある伝統を捨て去ることがないかぎり、タイでの幼女売買がなくなることはない。彼女たちは必ずしもビーチの地元の子ではなく、ミャンマー国境の山岳少数民族の村などからもタイ国家・とくに王室の保護を受けて南部へ移送されてきているのである。

何度でもいうが、タイほど構造的にしつらえられた、腐りきった便所国家は少ない。最低の便所国家である。

チュンポン Chumporn/ Chumphon

4月25日。

正午ごろスラタニSurat ThaniのHotel Thail Thani(中華大旅社)をチェックアウト。

まずホテルホテルの裏にあるバス停に行く。並んでいるチケット屋のような代理店のようなところで、チュンポン(Chumphon/Chumporn)行きのバスはあるかと聞くと、その店の男が、チュンポン行きのバスは今日はない。壊れている(broken)、車しかない、タクシーがある、などと見え透いた大ウソをつく。すぐにそこは見切りをつけて、隣の代理店に移ろうとすると、あわてて待て待てなどというが、すでに遅し。隣で聞いたら、チュンポン行きが出るのはこのバス停ではなくホテルの向かいのマーケットのほうにあるローカルバス停だと教えてくれた。モトサイ(バイタク)で移動(10バーツ)。

このあたりは豊かなせいか、タイの他の地域で見るローカルバス内での食い物の行商は見ない。バス停の市場もあまり活気はない。竹に詰めた甘いもち米のお菓子などはない。青いマンゴも売りに来ない。焼き鳥もない。タイ南部が嫌いだといっている人は、ひとつは物価が高いせいだろうが、こういうところでこぎれいで先進国的過ぎるとか「アジア的な情緒がない」とか思うのかもしれない。たしかにもち米のお菓子はあってもよかったが。

かつてチェンマイで会った白人女は「静かな雰囲気が好きな人はタイ北部を好む、タイ南部はうるさいから嫌いだ」などと能書きを言っていたが、タイ南部でうるさいのはリゾート近辺だけであって、それ以外の町は北部のようなクズファランも売春婦連れ白人も少なく(もちろんいるが)、実際は北部より静かである。

4時半ごろようやくチュンポン(Chumphon/Chumporn)に着く。

チュンポンは今までの町に比べてやたらとタイ国旗や国王肖像画が目立つ。北のほうに来てしまったということだろうか。しかしまだマレー半島。

スラタニはまだムスリムも多かった。

そしてチュンポンはこれまでの町とはうって変わって、町にファランが目立つ。目立つといってもバンコク、チェンマイのようにうじゃうじゃいるわけではないが(チェンマイなどタペー通り近辺は白人のほうが有色人種より多いくらいだろう)、街路をのし歩くグループ、ホテルにゴテゴテ顔のイサーン丸出し売春婦を連れて泊まっている者など。当然ながら住民の感じもいよいよタイ的になってくる。思わずマレー語を使っても絶対に通じない。飯の注文でもマレー語が通じることがあるのはハジャイまでのようである。

スラタニでも目立ってはいたが、ここチュンポンはみんながみんな(といっても半分以下だろうが)そろって黄色いシャツを着ている。やたらに黄色が目立つ。Tシャツだったりポロシャツだったりするが、みな同じあの黄色である。中には黄色と薄紫の組み合わせなんて悪趣味なシャツのを着ているのもいた。

基地外タイ族の国王戴冠騒ぎがここではまだ続いているようだ。タイ族の国王戴冠狂騒は、来年かさ来年か、国王が死ぬまで続くのだろう。そのときに備えて続けているのかもしれない。

人は北部に比べれば親切である。町であのしかめっ面に出会うことも今のところはない。しかしやはりタイ人はタイ人、タイ族はタイ族であるとここまで来てしみじみ思ったりする。これまでの町では薄かったタイ的なものが濃厚にかぶさってくる感じがする。英語で何か聞いたときいかにもタイ的な基地外ババアが「日本人がファラン語をしゃべりやがって」というようなことを口汚く吐き捨てるように言っていた。日本人(イープン)と当てたところまではよかったともいえるが(しかしタイ人は「イープン」という言葉を「日本人」より広い意味で使うこともあるようだ、とくに北部で?)、タイ人は、こちらがタイ語をしゃべっていなくてもタイ人のしゃべることはだいたいわかるのだということを知っておいたほうがいいだろう。(タイ語は、しゃべるのはきわめて難しいが、聞き取るのはそれほどでもない言葉のように思う。タイ人のしゃべる内容の底が知れているからかもしれないが)。

チュンポンはいいところではない。タイで比較的良いのは南からスラタニあたりまで。南部で一番いいのはパッタニだが、もう少し実質的に安全になって(警察が尋問したりしなくなることだが)、しかもメディアでは危険だ危険だと宣伝してくれるとよいと思う。

荷物を担いだまま町を彷徨した後、Jansom Chumporn Hotelという、タイでは少し良いホテルの660バーツの部屋に入る。 このホテルに入る前に450バーツのホテルを見たが、クズ白人がグロタイ売春婦を連れて廊下を歩いていたのでやめた。

このあたりはまだ街中でも英語が通じることが結構ある。しかししばらく聞いていなかったのでタイ英語も忘れていた。タイ人がドリンクをディンク、ディンクというので何のことかわからないでいれば、確実に「イープンだから英語ができない」ということになる。白いイラン人やシリア人やセルビア人がでたらめな英語をしゃべったとしてもタイ人は熱心に拝聴するだろう。

こちらが英語で話しているのに「英語は話せるか」と聞き返してくるのもタイ人の得意技である。自分がごく基本的な英単語を知らないために理解できないくせに、わからないとなるとイープンだイープンだと大騒ぎし、こっちが日本語でも話しているかのように騒ぎ立てる。

ここから一番近いミャンマーボーダーはラノンRanongで今は開いているということ。これだけの事をフロントスタッフに聞くのに大変苦労した。以前は少しは話せると思っていたこともあるタイ語はまったく出てこない。ホテルの連中はまるでふざけた態度でイープンを連発していたが、居合わせた英語のできるタイ人客のほうが親切に携帯で人に問い合わせて確認してくれた。

夜になると、チュンポンの町は急に都会になったように感じる。これもタイらしい特徴といえる。多くの屋台が出てタイ料理が好きな人なら食べるものに不自由しない。しかし、タイ料理以外はない。

チュンポンにもインターネット屋はある。Jansomホテルの近くの、チェンマイのバービアのような構えのカフェにパソコンが4台ほど置いてある。そこは完全に毛唐のたまり場で客は毛唐だけである。近くには売春バーらしいカラオケやもっとトラディショナルな置屋のような場所もあり歩道に売春婦がたむろしている。そのインターネットのあるカフェは売春バーではなさそうだ。マレー人のような顔立ちの(少しアラブ系が混じったような色白の)なかなか感じのよい女の子が毛唐客の相手をしていたが、私が恐る恐る入っていっても愛想良く応対してくれた。もっともインターネットだけだったからかもしれない。この店のカウンターにへばりついて何か注文したりしたら白人客のほうが許さないだろう。ここにいる白人はマレーシアではなかなか見ないクズ丸出しのオヤジたちで、インターネットやりにきただけでもギロリとにらみつけてくる。マレーシアでははっきりとにらみつけてくる毛唐にはあまりあわなかったが、タイではよくあることである。白人のための空間に入り込めばもちろん、旅行者用の安い場所ではよく経験することである。たとえば夜行列車。エアコン車はまだ良いが、ノンエアコン寝台などに乗れば毛唐グループに敵意のこもった目でジットリとにらみつけられることがある。東京の6000円くらいのビジネスホテルで白人ツーリストにかち合っても同じような経験をする。 

北へ向かうとともにクソ暑くなる。そして蚊もひどくなってきた。ハジャイはドブネズミの天国だったが、蚊はいなかった。チュンポンは蚊がひどい。

 

スラタニ Surat Thani

ようやくハジャイを出る決心がついた。何という魅力があるわけでもないが、特に不快なことがなかったので長居してしまった。

4月24日。

10時半ごろハジャイのホテルNew Worldをチェックアウトし、バス停へ。モトサイで30バーツ(インドやネパールじゃないので値切らない)。

バス停窓口でナコン・シー・タマラートまでのチケットを買う。176バーツ。

バスは11時ごろ発。

3時間ちょっとでナコン・シー・タマラートに着。これがまた、バス停あたりから見渡す限り、がらんとして何もなさそうな町。バスターミナルの近くに宿が一軒も見当たらない。

ガイドブックもないのでここでうろうろするのは時間とカネの無駄になりそうだ、と思い、ローカルバスで次の町まで行ってしまうことにした。途中でまとまった町があればそこで降りてもいい。

ローカルバスの終点のスラタニまで70バーツ。 スラタニ行きのバスには、Suratとだけ書いてある。

バスは海外沿いを走り、潮の香りがずっと続いている。わりときれいな海が所々に見える。人影の少ない浜辺らしいものも見える。

非常に暑い。マレー半島は北に向かうごとに暑くなる。

シチョンという町を過ぎると海の気配はなくなり、低山が見えるようになる。今度は森の強い香りが窓から入ってくる。しかし暑い。爽やかというわけには行かない。

以前はタイでよくクイッティオを食べたが、今は食べる気がしない。味を思い出しただけで体に悪そうである。ナンプラと味の素の濃い味。ハジャイで一度バミーを食べたら豚を入れられた。やっぱり臭かった。近頃は豚は食わない。

下手に屋台のものを食べるより、セブンイレブンで5バーツの菓子パンを2つくらい買って食べたほうが安上がりで味もマシかもしれない。Red Bean Bunは日本のアンパンを真似したものだろうが、クリームパンのコピーよりはマトモにできている。

米もパンも、このあたりではインドネシアが一番おいしいと思う。

午後6時過ぎ、スラタニSurat Thaniの町に入る。比較的小さな町に見える。わりとまとまった街道がある。適当なところでバスを降り、近くにあったThai Thani Hotel(中華大旅社)という安旅社に入る。240バーツ。フロントの姉ちゃんはたいへん愛想が良い。スラタニにはやたらにThaniのつくホテルが目立つ。

毛唐は目立つほどはいないが、ネット屋には2,3人固まっていた。ここはプーケットから一本道のはずだが、外人ツーリストがいそうな雰囲気はあまりない。しかし宿でも飯屋でも英語は割とよく通じる。それに町の人の表情は穏やかなほうである。

そういえば今回タイに入ってからあまりタイ式のしかめっ面を見ていない。あれはおもに北部の文化なのかもしれない。

と思っていたらこの日、夜番のフロントであのしかめっ面をはじめて見た。しかしチェンマイあたりほどキレがよくない。チェンマイあたりはタイ式しかめっ面の本場だと思う。彼らはあれがカッコイイまたはクールだと思っているようである。

25日。白人ネット屋は早朝からあいている。入ってみると、ここは白人経営だった。例によって、気持ち悪いタイ女とくっついている白人だった。タイ女も例によって非常に感じが悪い。ここは白人濃度のきわめて高い完全な白人租界である。カフェも兼営しているが入ってくるのは白人ばかり。非白人はタイ女の友人らしい女がひとりいるだけ。

ネットの接続も悪い。グーグルドキュメントが開けない。3時間そこでつぶした後、隣のローカルのネット屋が開いたのでそちらに移る。こちらは店も清潔で冷房も入って接続も良い。グーグルドキュメントはすぐに開いた。客はローカル中心で何より雰囲気が静かなのだが、毛唐爺が一人入ってきた。

毛唐は自分たちの居場所があるのに、外にも進出しようとするのである。

白人専用リゾート計画が波紋 南ア、地元住民困惑[ ]

白人専用リゾート計画が波紋 南ア、地元住民困惑[ ] http://news.fresheye.com/mart/?aid=r-kyodfe-ILJ-1j

エラー

00日00時00分

申し訳ございません。記事は削除されました。

私はいいことだと思いますけどね。

彼らを隔離するのは。

その代わり、非白人の領域に出てきてほしくない。

日本は非白人の領域であってほしいと率直に思います。

Access Denied

ミャンマーKaw Thaung(タイ・ラノンRanong対岸の国境の町)のネット屋で。

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(2007/04/26 10:52 PM)

ハジャイ 鉄道駅 07年4月

4月21日、夕方6時過ぎにハジャイの駅に行ってみる。明日の夜行切符を買うつもりだった。応対した女職員は非常にタイ的で、感じが悪い。マレーシアのようなたんなる役人的無愛想ではない。タイの接客にはプラスアルファの嫌味がある。ネットリした膿を無理に飲まされているような感じがしてきわめて後味が悪くなる接し方。白人客だったら決してこういう接し方はしないだろうと思われる。有色人種旅行者を頭から見下すタイのスタンダードがひしひしと感じられる。

要するに窓口は6時に閉まったところだった。最初からそれだけ言えばいいのにハァ?ハァ?とタメが多い。 

Imgp3184_222日午前。あらためて鉄道駅に行く。翌日以降のチケットは、1階のチケット売り場ではなく2階のAdvance booking officeで買わなければならない。男の職員もネットリしている。

2階チケット売り場の姉ちゃんはさらっとして愛想もよく説明も親切だった。下の窓口にいるのは警察身分の役人で上にいる姉ちゃんはそうではないとか?

これまでバンコクのフアランポーン駅で地方都市に行くチケットを買う場合はたいてい翌日のチケットが買えた。ところが、今回は一週間近く先しかない。エアコン寝台の下のベッドはなかなか空いていない。結局28日夜のチケットを買う。夕方6時ごろ発で、翌朝10時半着という予定だが、もちろん1時間ぐらいずつ遅れるだろう。バンコクまで905バーツ。飛行機でいくのとあまり変わらないかもしれない。タイ滞在期限間近のバンコク到着となる。

昼のハジャイ駅構内は警戒が物々しい。あちこちに警官がいたが、尋問や手荷物調べはなかった。夜は汽車がないせいかほとんど警戒していないようだ。

チケットを買ってしまったあと思い直してみる。

この汽車に乗るとするとあと一週間近く無為にハジャイで過ごさなければならない。もっともその間にソンクラーでもパッタニでも行ってみてもいいが、短い期限付きの往復旅行をする気力が出ない。これは長旅の結果身についた怠惰な癖でもある。しかし実際むやみにうろつきたい気持ちにならない。

ハジャイは、とくによくもないが悪くもない。泊まっているホテルNew Worldもまずまず快適である。

2,3分考えて、やっぱりキャンセルすることにした。

汽車の日までハジャイ近辺で無為に過ごすよりは、ローカルバスで一週間かけてバンコクに向かったほうが良い。5月3日までにはどこか外国に出なければならない。同じ道をマレーシアに戻るのもつまらない。違う道(パッタニ経由)で戻るのは、この時期、テロが怖いより検問で不愉快な思いをさせられそうで嫌だ。そうすると、ミャンマーのマレー半島部か、カンボジアのポイペトが近い。南部のミャンマー国境には行ったことがない。ラノーンのところから出られるのだろうか。ミャンマー情勢はどうなっているかわからない。イミグレーションが第三国人に開いているかどうかも定かではない。

もう6時過ぎていたので翌日キャンセル。

23日。朝早く駅の2階オフィスに行き昨日と同じさっぱりした姉ちゃんにキャンセルしてもらう。キャンセル料は出発日の3日以前なので20パーセントだった。3日を過ぎると半額ぐらいになるようだ。720バーツほど戻ってくる。200バーツの損だが、この辺はへたくそなタイマッサージでも300バーツなので、まずまずである。移動中は安い宿に泊まる気になるかもしれない。

ナコーン・シー・タマラートへの行き方を聞く。汽車にはエアコンはなく、どうもバスのほうが早くて快適そうである。

どうしても「ナコーン・シー・タマラート」を「ナコーン・ラチャ・シーマ」(コラート)と言い間違えてしまう。コラートには何度か行ったことがある。

ホテルにはもう一泊して明日出ることにした。ホテルの若い感じの良い姉ちゃんにバスターミナルへの行き方を聞く。モトサイしかなく、30バーツだという。

ホテルの姉ちゃんもナコーン・シー・タマラートをナコーン・ラチャ・シーマと言い間違えていた。バンコク近辺出身なのかもしれない。

(07/4/22)

ハジャイのソンクラーン(仏教徒の水掛祭り) 07年4月

4月11日。

今年のハジャイのソンクラーンは4月12日に始まり14日に終わる。11日の時点で水掛などの気配は一切ない。

泊まっているホテルNew Worldは、明日と明日の2日間、宿泊料金を2倍近くに上げるという。現在450バーツだが、850にするといっていた。

しかしでたらめな水掛けが今のところおきていないのはいいことである。

タイに入ってからもカリーアヤムやローティ・チャナイなどをイスラム系の店で食べるだけ。タイ料理は食べていない。はっきりいって気持ちが悪い。豚は汚いと思い始めるとムスリムでなくても不浄と感じるようになる。ヒンドゥー教徒も食べない。(ネパールの最下位カーストあるいはカースト外の人は牛の死肉さえ食べるようだが)。

Imgp3149_2〔写真はローティチャナイ。マレーシアとほぼ同じもの。ただし、タイ人は砂糖やコンデンスミルクをかけたものやローティトゥロール(卵入り)を好む〕

飲むものはテー・タリク。

タイ人の好む冷たい甘い水のようなものはもともと好きではない。ただ、エス・チャンプル(Es Canpur、いろいろ入れた氷水)のようなものはわりと好きなのだが、タイのはインドネシアのに比べると「無内容」に等しい。新鮮な果物は一片も入らず、駄菓子と乾物をおざなりに入れて氷でごまかす。ココナッツミルクもコンデンスミルクも使わないことがある。味もただ甘いだけ。

食い物はやはりインドネシアが一番うまかった。

12日の夜になっても水掛けは気配もない。ただ、祭り用らしいテントはあちこちに張られている。

警察署の前に制服警官が集まって物々しい雰囲気だった。バンコク爆弾事件のことや、新暦正月の連続爆破事件のことがある。

いつも食事をするムスリムのレストラン(カリーアヤム、ナシ、テータリで75バーツ)に、制服警官が何か聞き込みに来ていたようだった。警官はしつこくあれこれ聞いているようでなかなか出て行かない。女主人が困惑した顔をしていた。

タイ族の店でもテータリクを出すところがあるが味はまったくなっていない。しかも20バーツ。 

ハジャイでもマレーシアの英字紙は買える(マレー語紙は見ない)。New Straits TimesもStarも売っている。しかしマレーシアの倍ぐらいの値段で、25バーツか22バーツ。(読売新聞は75バーツ)。

なぜかわからないが、Bankok Postは読みにくい。英語がピンと来ない。固有名詞の問題だろうか。New Straits Timesの文体(そんなものがあるのかどうか・・・日本人の名前はしょっちゅうスペルミス)に慣れてしまったのかもしれない。

昨日かおとつい読んだバンコクポストの評論は、掲示板閉鎖には批判的だったが、当然ながらユーチューブでグーグルを非難していた。ダブルスタンダードだという。ユーチューブはイスラム誹謗の動画などを削除しているのに、われわれが神のように崇敬する国王誹謗を削除しないのはおかしいということ。

しかし、タイ国王には政治的な実権がある。個人の自由を制約する権力そのものである。そして、タイも受け入れていると称する自由主義すなわち基本的人権の思想はこのような絶対主義権力との闘いの中で生まれたものであり、最初は財産権から始まったが、民主主義の基礎としては精神的な自由を中核としなければならないものである。

ミャンマーのように西洋式人権思想何するものぞと突っ張る度胸もないのなら、この辺で絶対的王権も潮時ということにすべきだろう。

あるタイヲタアメリカ人女性のブログはグーグルを批判して「第三次世界大戦につながる」なんて書いていた。タイですっかりおだてられて飼いならされ白人世界向けにタイ弁護する一種の白人業の女のように見えた。大国である中国の要求は呑むのにタイの要求は無視するのはダブルスタンダードだという主張はいちおうもっともにみえる。

しかしこの論理は、タイはやっぱり中国並みの人権レベル、自由レベルです、ということを受け入れることを意味する。(白人向けに)自由とセックスを売り物にしてここまで来たタイである。

そろそろどちらかを捨てなければならない時期に来たのだろう。「自由のブランド」か「絶対王権」か。どうでもいい国だったからどちらも認められていただけのことである。つまり、現在のようなタイ王制が世間から認められているのは、スワイパー村が黙認されていたのと同じようなものといえる。 あえて絶対王政を守ってミャンマーの道を行くか、あるいは、不敬罪と国王大権を放棄して、ブランドの自由でなく、国民の現実の人権や福祉のことをもう少しまじめに考えるか、どちらかを選ばなければならない。

そのうち「アジアの価値」などということを言い出しかねないが(多民族多宗教ながらイスラム教国のマレーシアでは、イスラム擁護のためにそんなことが言われることがある)、「タイの価値」を「アジアの価値」にされてはたまらない。人種差別、強いものにへつらい弱いものを叩くこと、外見だけで人を評価することなどをアジアの価値だといわれるのは非常に心外である。

13日。

ソンクラーンの2晩、ホテルNew Worldの宿泊料金は2倍に値上げされる。平常450バーツのところが、一晩880バーツ。他のホテルはどうかわからないが、探し歩くのが面倒だし、2晩だけなのでそのまま泊まることにする。

13日の昼に外に出てみたが、水掛はほとんどない。サクラホテルの近くに若者のグループがいて大きな水鉄砲を持っていたが車道に向かって水を撒いているだけで、人にはかけていなかった。本屋の新聞スタンドも歩道に出たまま。

レストランは人が増えていた。昨日あたりから町に毛唐が目立つ。どうみてもマレーシアから来たようには見えないから、水掛を避けて北のほうから逃げてきているのかもしれない。

13日の夜になってところどころで水掛をしている人を見るようになった。とはいえ、赤の他人にいきなりかけたりはしないようである。ムスリムのレストランは早々と店じまい。食べるものがない。

やむを得ずタイ飯(バミー)。

お祭り会場のような場所の近くには制服警官が立って物々しい。

14日になると、昨日までとは一転してキチガイ水掛祭りが始まっていた。大きな水鉄砲をかかえた集団がいたるところに陣取っている。

近くのムスリムレストランまで行く間にガキに水を掛けられる。いったん掛けられると終わりである。帰りはさらに水を流し込まれる。

顔に白い粉をつけた酔っ払い集団がうろつきまわって危険極まりない。こうやって日ごろ鬱積した悪意を放出するということなのだろうか。しかし、人間の悪意というものは放出すればするほどかえって増幅するもののように思われる。

Imgp3155_4 いずれにせよ、タイの水掛祭りは仏教とも宗教性とも全く無縁なただのキチガイ沙汰である。これだけは確かなことだ。

さすがにムスリムレストランの中までは水を掛けてはこない。ムスリムレストランの中にいる限りは安全ではある。ハジャイではムスリムと分かる人(女性)に水を掛けることはないようである。

Imgp3156 ムスリムレストランの女の子たちはいつにもまして厳格なマレー服で身を固めている。いつもはトゥドゥンだけでジーパンの子もきのう今日はきっちりしたマレー服。

午後になるとキチガイ水掛はますますひどくなる。

もう外には出られない。ホテルの部屋の窓から下の通りが見える。雨が降っていて暑くもない。大人も子供も見境なく通行人に水を掛けている。白痴タイ人ども。

Imgp3157 幸いホテルに泊まっているのでカネさえかければ食事に困ることはない。高くてまずくて量も少ないが(まずくて量が多くても仕方がないが)。

ソンテウに乗っている人が一番悲惨である。遊びでうろついているわけではない。用があってどこかにいくのに放水の集中砲火(?)を浴びている。

Imgp3158バイクで通る人にバケツの水をぶっ掛けているのは非常に危険な光景である。

夕方になって少し水掛の勢いが収まってきた。遠出ができないので、近くの毛唐の多いネット屋にいく。その辺の安宿のバックパッカーらしい連中がいつも来ているが、特に若い毛唐女は耐え難い。日本にいる人は毛唐女が珍しくてわ ざわざ英会話を習ったりするのかもしれないが、実態はただの豚、自分中心に世界が回っていると信じている糞袋雌豚ばかりである。そんな英語でこの辺のタイ人スタッフにまくしImgp3160立てても分かるわけないだろ、パソコンの使い方ぐらい覚えてからネット屋に来い!といいたくなる。

15日。午前中外に出てみると昨日のお祭り騒ぎは跡形もなく消えていた。もう水掛の気配もない。雨が降っているだけ。ハジャイのソンクラーンは実質14日だけだったようだ。

ハジャイはタイの中ではまともな町といえるだろう。パッタニはもっといい町だが、今は行くまでの検問がうるさそうでちょっと行く気にならない。

夕飯時ついに土人売春婦丸出し女連れ毛唐にでくわす。こともあろうに夕食時のムスリムレストランでかち合った。

禿げ頭の毛唐オヤジが、純正タイ土人売春婦を連れて入ってきた。売春婦のほうはいかにも汚らしく醜いが偉そうに振舞っている。大失敗である。メシが・・・・・。

ハジャイに来てから10日ほど、こういう典型的なのははじめて見る。タイの白人が際立って汚らしいゴロツキなのはあらためて感じていたが、こういうのはまだ見ていなかった。

もっとも、この先タイを北上するなら、こういうのにはしょっちゅう出くわさなければならなくなるだろう。

写真
http://picasaweb.google.com/ibn.iskandar/UnLmkD

やはり、本場タイの純正土人売春婦およびファランは、KLあたりまで来るレンタルワイフにはなかなか真似のできない汚らわしさがある。

ほんとうに、ケガラワシイ。

ネット屋のパソコンにより、ココログの管理画面にまったくログインできないことがある。しかし、そういうときでもMozilla Firefoxを使うとログインできる。これが入っていないところでは勝手にダウンロードした。時間はかからない。しかしこのブラウザーは使いにくい。

ハジャイはいまのところ、白人旅行者よりもマレーシアやシンガポールからの旅行者が多い。白人旅行者は安宿に固まって泊まっているが、マレーシアなどからの旅行者は400バーツ以上のホテルに泊まるのが普通。

しかしここでも、タイ族タイ人の醜い白人崇拝を見ることができる。ネット屋のタイ族丸出しオヤジは感じの悪い男でアジア系外国人には非常に陰険に接するが、びんぼっくさい白人が来ると面白いくらい猿的にへらへらし、ニコニコテーブルの上を拭いたり、白人様への土人的傅きに余念がない。

ネット屋内で、首を突き出したクズ毛唐ジジイが、何かを待っているのか、私の前を熊のように行ったり来たりしてうざいので、Don't walk around in front of me!と声をかけてやると、Why?というのでYou are dirty.と答えたがまったく効き目がなく、うろつきを繰り返していた。

ここまで言うとマレーシアでは効き目があるか怒ってくるかのどっちかなんだが・・・・タイの毛唐には何を言っても無理のようである。

(2007/04/12 03:12 AM)

ハジャイの風景 Haadyai 07年4月

2007年4月

「熱海?マッサージ」なる「マッサージ」店。

外を通っただけです。中には入っておりません。

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(下) 
娯楽コンプレックスでもあるホテル。
堂々たるものである。
しかし、テロに狙われやすいのもこういうところ。特に役人や政治家が遊びに来てるときなど要注意。

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夜、売春クラブの前にたむろする売春婦たち。

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東南アジアでは「カラオケ」は売春施設の代名詞のようである。おそらく外人たちは「カラオケ好きな日本人」=「買春好きな日本人」と解釈しているだろう。

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ハジャイの街中の娯楽施設(売春用施設)の壁。
売春姉ちゃんの見本写真と、畏れ多くも国王陛下の写真とが対称に並んでいる
これは公然たる現実。タイ人自身が白昼堂々とやっていることであって、コラボではない。念のため。

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こういうことを容認しているだけでなく、誰も違和感も感じていないように見える。国民が日頃からそういう感覚でいながら、時に思い出したように不敬不敬と騒ぎ立てても説得力はない。

(2007/04/08)

いまタイでグーグルYoutubeのページを開くと 07/4/8

 こういうポップアップが出て・・・

http://www.parliament.go.th/parcy/sapa_db/sapa_cons/popup.htm

こんな写真の画面が出る。

http://202.47.227.23/law.htm

ข่าวเด่นวันนี้

ศาสตราจารย์ ดร. สิทธิชัย โภไคยอุดม รัฐมนตรีว่าการกระทรวงเทคโนโลยีสารสนเทศและการสื่อสาร (ไอซีที) พร้อมด้วย นายซิคเว่ เบรคเก้ ประธานเจ้าหน้าที่บริหาร บริษัท โทเทิ่ล แอ็คเซ็ส คอมมูนิเคชั่น จำกัด (มหาชน) เข้าพบพล.อ. ...

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それにしてもこの毛唐はなんだ。

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(2007/04/08)

ハジャイHaadyai(ハートヤイHatyai) 07年4月

4月4日。アロースターAlor Starのバスターミナル前のモーテルを出て、食事をし、10時半ごろバスターミナルに出る。しかし国境の町、ブキ・カユ・ヒタムBukit Kayu Hitam行きのバスはない。Changlun(Changloon)までバスで行って後はタクシーだという。

チャングルン行きのバスは11時15分発だという。

1時間ぐらいでチャングルンに着。タイ式のクズ毛唐オヤジを一人見る。マレーシアのイミグレまでタクシーで10リンギ。結構な距離だった。

マレーシアのイミグレでもパスポートをわりと細かくチェックしていた。しかし、タイ人はほぼ自動的にスタンプをもらっていてノーチェックに近い。このあたりは2重国籍の者も多く、テロリストはそういう人間を使って国境をまたぐ作戦をするのではないかと思うが、なぜかタイ国民は自由に通していた。

タイ側(サダオ)のイミグレはさらにしつこく何度もパスポートをひっくり返して見ていた。イミグレの窓口に座っている役人が旅行者の過去の旅行履歴をあれこれ詮索すると何かわかることでもあるのだろうか。コンピューターも使っているのでタイへの過去の入国履歴やオーバーステイ経験の有無、タイ国内での犯罪・違法行為の有無などは一目でわかるはずである。ビデオも録画していて、自分の動画が派手に見えている。

入国カードの行き先にはハジャイとだけ書いておいた。案の定ホテル名を聞かれるが、わからない、決まっていないと答える。渋い顔をしていた。マレーシアならともかく、タイで、ある町の宿が満室になるようなことはないだろう。以前アランヤプラテートのイミグレでバンコクのホテル名を書いたら、女の役人にこれはどこのホテルだ、こんなホテルは知らないとか、かえっていちゃもんをつけられたことがある。

今度ハジャイに入るときは「サクラホテルと」か、ちょっと高くてしかも不健全そうなところの名前を書いておこうかと思う。タイ役人はそういうツーリストを歓迎するのだろう。

入国カードには、新しく「年収」をドル建てで書かせる欄ができていた。こういう恥ずかしいものはマレーシアでもインドネシアでも見ない。

そんなに貧乏ツーリストが嫌なら宿泊施設の最低料金でも設定すればいい。マレーシアでは事実上そうなっているのではないだろうか。マレーシアは食べるものや日用品などはさほど高くないが宿は高い。つまり労働力の再生産に必要な費用はタイとさほど変わらないくらい安いのに宿代だけは高い。しかも、宿が高いといっても底辺が高いのであって、中高級ホテルは割安である。タイよりサービスはよくて値段は安い。あくまで推測だが、マレーシアは、貧乏ツーリスト、レンタルワイフツーリスト連れ、放浪ツーリストなどを除けるために宿代の最低基準を取り決めているのではないかと思う。もしそうだとしたら賢いやり方である。

また、少数民族や貧困層のタダ働きに近い奴隷労働に依存する体質を改め、生活水準を底上げすれば、宿などの使用人の給料も今よりは上げなければならず、宿代も高くなり、必然的に旅行者の必要な出費は大きくなる。そうなれば貧乏人や自堕落型・逃避型・淫蕩型ツーリストは来なくなり、旅行先としてのタイのイメージもよくなり、結局はタイも得をするだろう。

ともあれ、何とか通過。

タイ領内に入ってもここではメーサイあたりで見るような派手な国旗や国王肖像画は見ない。まだムスリムの地域である。

ハジャイに近づくにつれて、国旗や国王肖像画が増えてくる。それでもメーサイほどではない。

タイ側は土地は痩せているのか手入れが悪いのか、マレーシアに比べて緑が薄く、荒れた風景が目立つようになる。同じやしの木でも葉っぱに力がない。

午後2時ごろタクシーが駅前に着く。運ちゃんはマレー系ムスリムだが、マレー語はあまり通じない。気さくな人だった。リンギでの支払いにも応じてくれた。

ハジャイの町の人は全体に親切な人が多い。夜たむろしている北のほうから来たらしい色白の売春婦はタイそのものだが。

ツーリストらしい者も少ない。

鉄道駅に近い「Montienホテルハジャイ」にチェックイン。400バーツ。あとで気づいたことだが、ここはエアコンが固定式。つけるか消すかしかできず、温度調節もできない。また、いったん電源を切るとスタッフを呼ばないともう一度つけられない仕組みになっている。Montienホテル自体は良くないがフロントはとても感じがよく親切に英語で町の案内をしてくれる。

インターネット屋の場所を教えてもらう。タイの場合たいてい日本語IMEはコントロールパネルの設定だけで入れることができる。それにもちょっとコツがあり、以前マレーシアで、すでに東アジア言語が入っている機械で、できないできないといっている人がいた。

ネット屋にも毛唐はほとんどこなかったが、一度だけどうしようもなく横着な毛唐オヤジが2人押し入ってきた。大声を上げて入ってきたがただ道を聞いただけのようだった。しかし、人にものを聞く態度ではなかった。ネット屋のタイ人スタッフを奴隷のように扱う。タイ人のほうが奴隷のように立ち回っていただけともいえるが、白人とタイ人との間にはそういう関係がもう出来上がってしまっているのだろう。

夜ホテルに戻ってからモンティエンのエアコンが固定式であることに気づき「ホテル新世界New World」に移る。450バーツ。結局2重払いになったが、そういうことはあまり気にならなくなってきた。

4月5日。

今ハジャイの町ではめったに毛唐を見ないが、安ゲストハウス(たとえばキャセイゲストハウスなど)を覗くと毛唐がうじゃうじゃ固まっている。

ハジャイでもムスリムの食堂にはテータリクやローティチャナイ(甘くないのも)がある。

ハジャイでもタイ人(タイ族)は、その固有の性格の悪さを十分表現している。といってもチェンマイ、チェンライほどではない。ムスリムの経営する食堂はマレー語も通じるし、いい感じだが、タイ族の屋台は非常に非常に感じの悪いところがある。テータリクの表示を出しているからムスリムかもしれないと思って油断すると、どうしようもなく生粋のタイ族だったりする。そういうところは不本意ながらカネのためにマレー系のメニューを出しているのでますます陰険になるようだ。

タイ人とくに仏教徒タイ族は、シンガポールはもちろん、近年発展著しくしかもなぜかタイ族よりは色白の人が多かったりするマレーシアにも強いコンプレックスを持っているだろうから、マレー系のメニューを注文するとマレーシア人またはシンガポール人ツーリストだと思われて、とくにタイ人の陰湿な嫉妬の情念を浴びることになるのかもしれない。マレーシアのマレー人には白い人も黒い人もいるが、黒い人でもタイ人の色黒さとはちょっと色合いが違う。色黒タイ人はモンMon系やクメール系の血が混じっているからだろう。バンコク周辺や「ブリ」のつく町出身の人には本当に黒い人が多く、しかもとってもアルカイックなインド人風容姿だったりする。しかしまた、タミル系インド人とも違う。あくまでアルカイックなクメール彫刻的な容姿。彼らは2000年位前にインド南東部の地域からミャンマー中南部、タイ中部、カンボジアにかけて移住し分布した人々の子孫だといわれる。もっとも、以前マレーシアの新聞で読んだことだが、タイは200年位前にも当時の「セックスツーリズム」のリゾートとして繁盛したことがあったそうで、そのときの主な客はインド人だったのだとか。そういうところからも混血があるのかもしれない。

とにかく、あらためてタイ人の陰険振りに接した。これはマレーシアのそっけなさ、無味乾燥さとはまったく違うものである。もっとねっとりと襞に入り込んでくるのだが、しかも陰険なのである。

ちょっと思い巡らせる頭があればすぐにわかるようなことを、軽く合図しても絶対に通じない。インドネシアならもちろんマレーシアでも人種を問わずすぐに察するようなことをちょっと合図したり一言で言ったりしても、タイ族には通じない。タイ族の場合は意地でも通じさせまいとしているようにも見える。

わからないふりをして(か、本当に共感能力が欠如している白痴なのか)「何ですか」と改まったようにつっけんどんに聞いてくる。チェンマイならここで最悪のシカメッツラと「ハアア?」がつくところである。

もちろん愛想の良いタイ族もいる。その場合は過度にニコニコして媚びてくることになる。ハジャイはチェンマイ、チェンライのような救いのない感じの悪さはないし、「ハアア?+シカメッツラ」のタイ式作法はまだ浸透していないようだ。ハジャイはまだ救われている。

英語もわりと通じるが、タイ語以外受け付けようとしないものもいる。チェンマイから出稼ぎに来ていたタイマッサージの女がそうだった。

ひさしぶりにタイマッサージを受けてみると筋肉が硬くなっていることを実感する。実は私は以前(健全)タイマッサージのマニアで、チェンマイではタイマッサージの教室に通ったりしたこともある。

よく考えてみれば、マッサージは受けるのが良いのであって、自分でするのは苦痛なだけなのだが、当時はそのシステムに何か「奥深いもの」でもあるような幻想に取り付かれていたのである。

最初タイに来たころは、私もタイ初心者の例に漏れず、「仏教国、微笑みの国」という誤った幻想を抱いていた。

と同時に、タイマッサージについても、ハタヨガや気功に並ぶようなまじめなものだと思い込んでいた。しばらく後になって「マッサージ師」に突然抱きつかれるまでは、タイマッサージが一種の風俗であると思っていなかったのである。しかし、そう思わせないでおいて実際はそういう状況にもっていくというのがタイ式の戦術なのだろう。

タイマッサージはヨガのチャクラやナディの教説と中国の経絡の教説を折衷したようなあいまいでいい加減なものだが、どんなマッサージもそうであるように、技術とセンスのあるマッサージ師にやってもらうと確かに気持ちも良いし身体も快適になる。

ヨガや仙道では、流派を折衷するとか、基本的な考え方の違うものを足して2で割る、というようなことは厳しく忌避するのが普通だと思う。だから、これらを本格的にやっている人から見たら、タイマッサージみたいなものは噴飯ものだろう。

また、上座仏教の僧侶が考案したという由来自体もいかがわしい。

上座仏教は、その本来の教えから言えば、僧がマッサージをしたりするようなことは絶対に受け入れないはずだし、されたりすることも受け入れないはずだと思う。

ヨガの「シャクティ」の考え方からすると、タイマッサージで内股や足の付け根を丹念にもまれて、ちょっとむふふないやらしい気分になることが「生命エネルギー」を刺激してプラーナの流れを良くすることになるというような理屈も、無理に考えれば考えられないことはないのかもしれない。しかしマッサージ師が突然抱きついてしまっては終わりだろう。

深夜になるとネット屋にクズ毛唐が来る。

6日。

ホテルNew World(新世界)の通りにあるネット屋に入ってみたら毛唐だらけだった。

ここでは2chの入り口2ch.netがまったく開けない。入り口のエロ広告のせいかもしれない。

マレーシアでは2chなど見なかったが、タイに入ったら見てみたくなったのはどうしたわけか。

それにしても、毛唐は懲りない。その横着ぶりはマレーシアの比ではない。ただし、マレーシアではまじめな雰囲気のところで横着をするので目立つことになる。

この辺ももうちょっとTロをしてくれたほうがいい。

(2007/04/06)

タイ政府、「ユーチューブ」への国内からのアクセスを禁止

どんな内容なのか、いまいるところ(タイ国内)からは見ようがない・・・・というより、私はユーチューブを使ったことがない。見たことも。動画自体にあまり興味がない。外人のブログなんかで、大して公人でもないのに実名さらした上、動画でしゃべって自分の顔までさらしているのがあるのに驚くとともに違和感を感じる。

権力に弱いグーグルも、タイの軍事政権には屈しなかったようである。

(その後、一部屈したようである。グーグルを押し込めるタイ権力は侮りがたい。米軍部のバックあり。ニフティなど狙われたらひとたまりもなく吹っ飛ぶだろう)。

とはいえ、「侮辱的な内容でない」という表現内容にたいする評価をした上での判断ということ。タイ「不敬」表現行為規制のような表現規制そのものを否定しているわけではない。

4月5日11時26分配信 ロイター

 [バンコク 4日 ロイター] 軍部主導のタイ政府は4日、米グーグル<GOOG.O>傘下の動画投稿サイト「ユーチューブ」への国内からのアクセスを禁止した。タイ王室を冷やかす内容の動画を削除するよう要求したのに対しグーグルが応じなかったことが背景。

 シティチャイ情報通信技術相はロイターの取材に対し「グーグルは度重なる動画削除の要求を拒否しており、タイ国内からの(ユーチューブ)サイト全体へのアクセスを禁止せざるを得ない」と述べた。動画が削除された段階で、今回のアクセス制限を解除するとしている。

 ユーチューブ上には、タイのプミポン国王を「愚弄(ぐろう)する内容」とされる44秒の動画が掲載されている。

 シティチャイ情報通信技術相によると、ユーチューブ側はタイ当局に対し、当該動画が「侮辱的」な内容には当たらないと回答し、削除要求を拒否しているという。

 ユーチューブおよびグーグル関係者からのコメントは今のところ得られていない。

最終更新:4月5日11時26分

タイ暫定政府、国王侮辱と動画投稿サイト接続を遮断

4月5日21時57分配信 読売新聞

【バンコク=田原徳容】タイ暫定政府は5日、プミポン国王を侮辱するビデオ映像を流したとして、米国のインターネット動画投稿サイト「YouTube(ユーチューブ)」へのアクセスを遮断した。

 映像は投稿者が除去したが、関連画像やコメントが残されており、政府は「すべてがなくなるまで遮断する」としている。

 ビデオは、国王の顔と女性の足を並べて描いた44秒のグラフィック映像。24時間以内に5万件のアクセスがあり、抗議は100件近くに上った。タイ情報通信省は、同サイトを運営するインターネット検索最大手グーグルにビデオの除去を要請したが、拒否されたという。

 タイでは、王室批判は刑事罰の対象。先月29日には、国王の肖像画に落書きしたスイス人男性(57)が禁固10年の判決を受けた。

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ところで、グーグルメールに「Googleアラート」という機能がある。キーワードを入れておくと最新ニュースだけでなく関連ウェブサイトのURLもグーグルが勝手にいくつか選んで送って来てくれるというもの。

これは検索ではないので、そんなにたくさん送ってくるわけではない。新しいものというわけでもなく、何年も前に更新された記事も送ってくるが、どういう基準で選んで送っているのかは少し疑問である。

このグーグルアラートにいろんなキーワードを登録して試してみた。

キーワードによってはこのブログのページがいっぱい送られてくることがある。しかし、なぜか「白人」「白人至上主義」というキーワードではこのブログのURLはさっぱり送ってこない。だからといってもっとちゃんとしたアカデミックなサイトが送られてくると限らず普通のブログでしかもどちらかというと「白人」に好意的なところが送られてきたり・・・・。また、「タイ 人種差別」というキーワードも試したがここでもこのブログは送られてこなかった。そのかわりになぜか「韓国 人種差別」という書き込みのある2ちゃんのスレが送られて来たり。

それと、child sex abuseとかabuse underage girlsというキーワードで送られて来る英文サイトの引用部分にはなぜかJapanやJapaneseという文字が目立つ。児童買春、児童性虐待の主役は日本人ではなく、白人であることは何度も指摘してきたとおり。

http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/cat5115539/index.html

http://ibrahim.blog49.fc2.com/blog-category-9.html

グーグル検索にも「グーグルはずし」などの問題があるといわれるが、グーグルアラートになるとさらに恣意的になるようである。

グーグルのノートパッドなどはヤフーなどより便利なところもあり、グーグルを移動できるオフィスのように使うのも便利かもしれないが、入り口をグーグル一本にしてしまうとかなり歪んだ情報空間に住むということになると思う。

ただし、グーグルのドキュメントパッド、書いているごとに保存されていくので大変安全なように感じるが、何かのはずみで現在書いている文章が全部消えてしまったことがあり、しかも消えて白紙になったその瞬間に自動的に保存されたため文書が全部跡形もなく消えてしまったという事故を一度経験している。

と思ったが、これは「変更内容」をたどる操作によって回復できるようではある。ただどれだけ安心できるか今ひとつ。

(ヤフーのノートパッドは字数制限がありそれを越える文書を保存しようとすると越える部分が消えてしまう。グーグルブログなどはしょちゅう文書が吹っ飛ぶし、ココログでもそういうことがあった。それに比べると確かに安全といえるが、安心しきって使うとかえって危険になるかもしれない)。

(2007/04/05)

タイのネット屋で2ちゃんねるを開けてみたら こんな表示が出た 

http://www2.2ch.net/2ch.html

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しかしこんなことも。目に注目。

http://ime.nu/www.asahi.com/business/update/0407/TKY200704070205.html

http://www.asahi.com/business/update/0407/TKY200704070205.html
•ส‚ฬƒTƒCƒg‚ษƒWƒƒƒ“ƒv‚ต‚ๆ‚ค‚ฦ‚ต‚ฤ‚ข‚‚ทB‹X‚ต‚ฏ‚๊‚ฮใ‹L‚ฬƒŠƒ“ƒN‚๐ƒNƒŠƒbƒN‚ต‚ฤ‚ญ‚พ‚ณ‚ข

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クアラルンプルからアロースター(Alor Star)へ 07年4月

午後8時にKLの宿に大きな荷物を預けてチェックアウト。

プドゥラヤバスターミナルまで歩いて行き、イポーIpohに行くというバスに乗る。

バス代14リンギ。8時半発。

バスの中で眠っているうちにイポーを通り過ぎてしまった。乗客が入れ替わってしまっている。入ってきたインド系の客に聞くとLumutという西海岸沿いの町に向かっているらしい。

バスはイポーからどんどん離れていくので、途中ちょっと店の集まっているところで降りる。食事をし、食堂の人にバス停の場所を聞く。

すぐ近くにバス停はあったが、ローカルバスはいつ来るかわからない。

15分くらい待つと赤いローカルバスが来た。イポーと書いてある。バス停の近くに技術大学がある。そこの学生らしい女の子がバスが来る少し前にやってきて一緒に乗る。携帯電話に1個だけ家の鍵らしい鍵をぶら下げている。携帯ストラップの代わりに家の鍵。

イポーまでバス代3リンギ。

2時ごろようやくイポーに着く。イポーは、地図にはコタバル並みの大都市のように記されている。しかし、見た限り本当に何にもないところだった(コタバルに何かあるというわけでもないが)。

まだ早い時間なので、アロースターAlor Starに向かうことにする。イポーのバスターミナルで聞くとアロースターへの直行バスはなく、メダンコピ(そう聞き取れた)というところまでローカルバスで行って乗り換えなければならないという。

メダンコピの場所はローカルバスの車掌のおばさんが教えてくれた。ここが長距離バスステーションらしく、大きなバスターミナルがある。

アロースター行きのバスがあるかと聞くと、次のバスは午後8時だという。バタワースButterworth行きのバスは午後3時半。

KLの宿のオヤジが言っていたように素直にハジャイまでの直行バスに乗ったほうが楽で安かった。

3時半のトランスナショナルのバスでバタワースButterworthに向かう。国籍不明の変な名前の町である。

5時20分ごろバタワース着。

バタワースは大きな町で、バスから海が見える。ペナンへ行くフェリーターミナルも。ここはペナン州のようだ。

バスターミナルでアロースターへ行く赤いバスがすぐに見つかった。

マレーシア時間は早いので(ボルネオも含めた平均で決めているらしい)7時頃まで明るい。

バタワースからアロースターまでは短い距離なのにバス代7.5リンギもする。

アロースターへ行く途中には製油所らしいプラントもあり、煙突から炎が吹き出るのが見える。

午後7時頃アロースターAlorStar着。

まだ明るい。ここもまた大きくてきれいな感じの町。

バスステーション前の「モーテル」のひとつに入る。30リンギ窓なし、エアコン、水シャワー・トイレ付。これでもちょっと負けてもらった。最初の言い値は40リンギ。

近くにインターネットが2件あるがどちらも日本語はだめ(一方は表示もまったくだめ)。

(2007/04/04)

【犯罪】 東南アジア某所にて 2007年4月26日撮影 [crime] White Sex Tourists in S.E.Asia

コメントのしようがない。

これでもまだ「東南アジアで児童買春しているのはほとんど日本人」などと言い続けるつもりだろうか。それは自虐というよりむしろ「うぬぼれ」といったほうがいいくらいである。Imgp3244

Imgp3245

いま東南アジアでこんなことをしている日本人はまずいないだろう。もちろん最近急に白人がこういうことをやり始めたのでないのは言うまでもない。

白昼堂々とこのざまである。この刺青したごろつきたちは「孤児と遊ぶボランティア」だとでもいうのだろうか。

東南アジアの児童買春は今なお非常に深刻である。かつて日本人などアジア系セックスツーリストが児童を買っていた「置屋」での児童買春の取り締りがすすみ、「子供を買っているのが白人ばかり」という状態になったことによって事態は却って深刻になっている、とさえいえるだろう。白人がやる悪事は有色人種の悪事と違い、マスメディアにさらされ強く批判されることが少ないからである。

被写体の「ココログ掲載」許可あり。

ウソだと思うなら本人たちに聞いてみればいい。

くだらない難癖つけてこないように。

づくづく思うのは、もしもこの海兵隊野郎がモンゴロイド系か黒人で、手を引かれて連れて行かれていく少女が白人だったとしたら、世の中どんな大騒ぎになっていたことだろうかということ。想像してみて。場所はヨーロッパの最貧国でもいい。

もしそのような現実があるとしたら世界中の白人メディアが殺到するだろうが、その前にただちに権力が動くだろうから(もしその国の権力が動かないときはアメリカのゲバルトが)、そのような現実がおびただしく展開するということはほとんど考えられない。

しかし、こういう(肌色逆の)写真一枚が流出したとしたらどんな大騒ぎになるか。そういう写真一枚で白人メディアは連日の狂騒を引き起こし、国際的な公的機関を動かすに十分だろう。

植民地主義時代以来の世界の枠組は今もなお健在である。

これらについて少し想像力を働かせてみれば、「人権」も、「女性の権利」も、フェミニズムも、「子供の人権」も、(子供の)「性的自由」も、なにもかも、これらのお題目は「白人の世界支配」という構造の中でのみ存在し機能しうる、白人イデオロギーに過ぎないということがわかるはずである。

(この記事はリンクフリーです)

http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2007/05/ranon_kaw_thaun_2b26.html 【“【犯罪】 東南アジア某所にて 2007年4月26日撮影 [crime] White Sex Tourists in S.E.Asia”の続きを読む】

「最も恐れていた事態が現実になった。胸が張り裂ける思い」 英遺族 『第三者関与否定できず』 東京地裁 織原被告は控訴 ルーシーブラックマン事件判決

私はこの事件がおきたときには、報道は聞いていたと思うがほとんど何の関心もなかった。

インド洋津波のときの「失踪白人女性症候群」的な騒ぎや、先日のNOVA事件でのイギリスの騒ぎを経て、こういう事件もあったっけと思い起こしたが、妙にタイミングがよかった。

被害者の「人種」とイギリスメディア・欧米英語メディアの報道が、日本の裁判官の心証には影響を及ぼさないだろうが、判決に影響を及ぼすことはあるだろう。

「野蛮人に襲われる」というイメージは白人の関心を強烈にひきつけることである。白人の歴史は「野蛮人退治」、野蛮人根絶・折伏の歴史だからである。

彼らが日本に押し付けた不平等条約の口実も、原住民の蛮行や野蛮な習慣から文明人(白人居留民)の生命財産を守るためというものだった。現地野蛮人の法律や裁判では話にならないから、文明世界の理性的な法と司法を適用しなければ文明人の人権は守れないという考えである。

何を「野蛮人」の目安とするかは、白人同士の争いを経て、やっぱり「白人か非白人か」にしておくしかないということになった。白人世界が今一番恐れるのは、白人のイスラムテロリストが組織的に育成されること。

こういう事件が報道されることで、日本に来る白人が減るならば、それは大変好ましいことなのである。このことをわかっていない日本人が多すぎるのが残念である。

野蛮人の国にいる白人はほとんど本能的に租界を作る。租界は白人が白人として保護された空間である。それならそんな野蛮なところに出ていかなければよさそうなものだが、そうならないのが白人のもうひとつの本能である。

白人は彼らの租界と野蛮人の世界との境界がどこにあるかについての本能的な洞察力を持ち、これを守ると同時に彼らの租界を拡大しようとする。このことは数百年にわたって今日まで続けられていることである。白人にとっての理想は、「野蛮人の世界」を博物館や自然公園の居留地に限定して封じ込めるまで、「白人空間」を全世界のすみずみまで及ぼすということである。

私が今いるネット屋は、東南アジアの田舎町の「白人疎開」のようなところである。「白人のための場所」はインターネットには都合が良いことが多いのが現状である。

この町に来たとき、ここは白人などほとんどいない町かと思ったが、このインターネット屋(早朝から深夜まで開いている)だけは数人の白人がいつも溜まっている。

いま、朝の時間にここにいると、この町にこんなに多くの白人が滞留していたのかと思うほど、次々に白人がやってくる。そうして非常に大きな声でしゃべり、大げさな振る舞いで湧き上がる、その渦中にいると、白人とわれわれとの間には、われわれが固有文化の根本にある感覚を一切捨てきらない限り、決して相容れない差異があるということをいやおうなく実感する。ここの人間が悪いというわけでもないのだ。

この町のように、ある場所にいる白人が比較的少数のときには、白人たちは国籍を問わず、こういう租界に集まり、租界内でのみ母国にいるときと同じように振舞おうとする(といっても、このあたりではアメリカ式が標準になるようである)。そして、外にはあまり出て行こうとしない。

ところが、ある場所に常時滞留する白人の数が一定数を超え、「ここは白人が来ていいい町」というイメージが生まれると、白人は外を出歩くようになり、意味もなくあたりをうろつきまわるようになる。住宅地であろうと繁華街であろうと宗教的な場所であろうとお構いなしである。

そのようになってくると、その町はもう、町全体が「白人租界」になり、「白人のための町」というレッテルが「国際的に」貼られる。そしてそこに来る白人はみな、その町にいる限りは母国にいる時と同じように地のままに振る舞って良いと思い込むようになる。さらに、「どうせ野蛮国だから」ということも生きていて、母国にいるとき以上の「リラックス」すなわち野放図な振る舞いを求めるようになる。

こういうふうになってしまった町がいくつもあるが、こうなった町が元に戻ることはほとんど不可能だと思う。白人が母国ではできないような横着、犯罪、傍若無人をするためのシステムが整えられてしまいそれが利権にもなってしまっているからである。

こういう成り行きに「国際感覚」や「異文化理解」など存在しえようはずがない。しかし、これが白人的な成り行きなのである。だから、白人との付き合いにそういうものを得ようとすることがそもそもまったくお門違いだということである。彼らから得られるものがあるとすれば、いろいろなレベルの「被占領」でしかない。

(東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2007042502011413.html

(関連ブログより)

「無罪は当然」=ルーシーさん事件判決で-織原被告弁護団

へぇ~。
こわーい。
私はがんばろうっと。

「胸が張り裂ける思い」=英メディアも高い関心-ルーシーさん母

ぎょえー。
こんなことできるんだ。
わたしも頑張ろうっと!

近くのローカルネット屋に移動。今のところはひどかった。接続も悪い。上の投稿は登録のときにいったん吹っ飛んで消えてしまい書き直したもの。勢いで書いた文章にぶっ飛ばれるといっぺんにテンションが落ちるというより消えてなくなり、書き直してもばらばらな残骸が残るのみ。

このローカルネット屋は冷房も入って接続もよく機械も新しい。何よりも雰囲気が静か。しかし、白人は白人御用達のほうのネット屋にまずは集まる。それですめばいいのだが、ローカルネット屋のほうにも白人が一人入ってきた。白人は自分たちの場所は十分確保しながらローカルな場所からも空間を搾取しようとする。自分たちの特権はしっかり確保した上で、他のすべてを自分たちの「オプション」にすることを志す。

ちょうどアメリカがイラク復興の工事の入札ではアメリカ土建企業の独占を要求していながら、日本の談合を批判して日本市場への機会の平等を要求しているるようなものである。

これが白人が主張する「(人種)平等」の本質である。白人世界は人種が絡む平等に関してはまだ40年くらいの歴史しか持たないことも要注意である。

「ご冥福をお祈りします」ということ

最近物騒な、というより凶暴な事件のニュースがいくつも報じられた。そういうことはいつでもあるのだが、ニュースが立て込んでいて、多くの人が亡くなっている。

ワイドショーの司会者や新聞の社説やコラムが被害者たちに対して「ご冥福をお祈りします」という言葉を捧げることは、悪いことではないだろう。昔はニュースのキャスターもやっていたのではないだろうか(いまもやっているのかな)。

しかし、ブログやネット上のコミュニティや掲示板でもそういう言葉書いたほうがいいのだろうか。

このような問いをすること自体、人によっては無礼に思われるのかもしれない。

ようするに、私はこの言葉が苦手である。

私が鬼畜のような人間で共感能力が足りないのかもしれないが、とにかく昔から好きではない。

ニュースで見聞きして知っただけのことである。自分に縁のある人が亡くなったわけではない。

人なら毎日、実に毎日、昨日も今日も、多くの人々が、ほとんど誰にも知られることなくひどい目にあって虐殺されているはずである。

「ご冥福・・・・」の言葉が捧げられるのは特別にニュースになった者たちの特権であるとさえ見えなくもない。

私のブログには、このブログが大嫌いなくせに、しつこく見てくれている方々がいることがわかっているので、こんなことを書くとそういう人たちにとってはますますこのブログの主が忌々しくなるか、あるいは鬼の首を取ったような気分になるかもしれない。しかし、正直に言ってそういう風に感じられるのである。

私はバージニア工科大事件の犯人Choの残したマニフェストを扱った。そこで私はChoの犯罪を憎むとか憎まないとか、あるいはChoの暴挙に巻き込まれて亡くなった人たちの冥福を祈るとか、そういうことは一切書かなかった。私はこの事件そのものを時事ニュースとして扱おうと思ったのではなく、Choのマニフェストについてだけ扱ってみたかったのである。

このような態度に悪い印象をもつ人がいるかもしれないし、あるいはその点をつかまえて邪推をめぐらす人もいるかもしれない。

しかし、そもそも縁もゆかりもないあかの他人で、ニュースになるまで顔も見たことがない人々の死を、心から悼むなどということがそうあるだろうか。

人の命を尊び死を悼むべし、というのなら、たまたまニュースで大きく取り上げられた犠牲者だから悼むというのでなく、人は毎日死んでいるというだけでなく今この瞬間にもレイプされ虐殺されている人々がいるにちがいないという事実に思いをいたすことのほうが誠実ではないか。

とはいえ、私とてもし実名ブログを開いていたり、和気藹々のコミュニティで発言しているのなら、そういう事件に触れるときはそれなりの哀悼の表現をするだろう。

そして哀悼の表現以上の批評や、その言葉に矛盾しかねないような発言は控えるに違いない。

バージニア事件に関していくつかのブログ等は、事件に関する韓国の報道が犠牲者に対する哀悼をまったく表現していないという点をとらえて情緒的な非難を展開していた。

一方、私も愛読しているある立派な保守系ブログには、このような凶悪犯罪が引き起こされたのは半島特有の病理によるものである、というようなかなり口汚いトラックバックが削除されずに載っていた。

私も十分口汚いので、他人の口汚さを批判するつもりはまったくない。

また、私はセンチメンタリズムがまっとうな理屈を捻じ曲げることを十分警戒するつもりである。

そのことを前提としてあえて言うなら、Choのような犯人、しかもすでに死んでいる者を、さらに追い込んで叩きのめすような言動が、日本的なもの、日本人らしいものだろうか、という疑問が残る。

われわれに必要なのはChoの暴挙に乗じて半島人をさらにたたくようなことではないと思う。

そうではなくて、われわれがせっかくのネットですべきことはたとえば、長崎市長殺害事件のようなたんなる「ヤクザの刑事犯罪」をあたかも「危険な反動右翼勢力が民主主義に挑戦する政治的テロル」であるかのように粉飾し、世界に発信しようとたくらむ左系マスコミの薄汚い下心を暴いていくようなことではないだろうか。

彼らは海外で誤解釈されて、さらに増幅して報道されることを期待して、誤解されやすいように作り上げたウソすれすれの記述を故意に発信するのである。

半島が絡む話に触れるのは疲れる。

「タイが嫌い」だといっただけで、本気で「在日認定」や「朝鮮人認定」してくるやつらが、タイヲタにはわんさといる。

その理由は「タイは親日国だから」だというからあきれる。事実認定の見当はずれから論理の飛躍まで、あきれることだらけである。しかし、タイ業界の民度はそんなところなのである。

寛大な私とて朝鮮人認定などされたくない。

それは当然だろう。たとえばタイ人でも隣接するどの国の人間のレッテルを貼られたとしても怒るに違いない。タイより豊かなマレーシア人やシンガポール人のレッテルでも同じだろう。日本以外の国で、外国人認定されて憤慨するのは人種差別だとでも言うかのごとき言論が流通しうる国はない。同時に外国人認定などということは大変な侮辱になることを自覚すべきである。

ともあれ、タイヲタや気違いネットウヨが、やっぱり気違いであることも否定のしようのない事実である。

最新パタヤ事情

毛唐のクズぶりはいろいろ書いてきたが、理屈に傾いた嫌いがある。

破廉恥罪で外国の警察に捕まってこれだけ開き直れる日本人はあまりいないだろう。

彼らが平然とこのように振舞える前提に「人種主義」以外の何があるだろうか。

(バンコク週報)

アイルランド人観光客女子大生に痴漢行為 04/10
http://www.bangkokshuho.com/news.aspx?articleid=1951

Thumb_100407030753031 ニットさんの供述によれば、仕事が終わり、帰宅するためソンテオ(乗り合いタクシー)を待っていると、ビール瓶を片手にしたジェームズが近づいてきて、いきなり抱きつかれたという。その後、性器を触られ、臀部を掴まれたことから、その手を振り解き、大声で助けを求めた。

 しかし、その様子を見たジェームズは、「タイの女は皆、売春婦だ。尻を触るくらい、何でもないだろう」などと、口汚く侮辱したとのことだ。

 これにニットさんは激怒。友人に頼み、警察に通報するとともに、「裁判では徹底的して戦う」と、警察署でも怒りを露にしていた。

 一方、ジェームズはニットさんに痴漢行為を働いたこと、侮辱したことを容認。「てっきりオープンバーの従業員かと思った。バーの従業員なら身体のどこを触っても問題ないからな」とろれつの回らない口で供述していた。

ベルギー人観光客を痴漢罪で逮捕、反省の色は皆無 04/19
http://www.bangkokshuho.com/news.aspx?articleid=1997

Thumb_190407041113000 事件が起きたのは東部最大の観光地パタヤ・ソイ7のハンバーガーショップ前。サシタさん(30)が友人とともにハンバーガーを注文して待っていたところ、ベルギー人観光客のグレース(38)が近づいてきて、臀部を掴まれたという。

 このため、サシタさんがグレースを罵倒したところ、泥酔している容疑者は逆に「タイの女は金で買えるくせになんだ」などと喰ってかかり、また、暴力を振るわれそうになった。そのため、サシタさんの友人は警察に通報することにした。

 警察署での取調べ中、グレースは「タイの女は皆、金が欲しいんだろう。身体を触るくらい何でもないだろう」と罵り続け、さらに、被害者のサシタさんに危害を加えようとする始末。このため、警察では酔いが醒めるまで留置所に入れることにした。

アイルランド人のように他では小さくなっているような連中も、タイに来れば「白人」として王様気分のようである。

タイ自身が独自に白人至上主義を再生産し、白人を「白人」に鍛え上げていることも否定できないだろう。

関連記事:

児童買春・チャイルドセックスツーリズムが猖獗を極めるパタヤ
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2006/12/paedophil_parad_133a.html

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