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マラッカ航海日誌補遺

チュンポンChumpornからプラチュアップ・キリ・カンPrachuap Khiri Khan、バンコクBangkokへ

5月16日。

朝、チュンポンの鉄道駅へ行き、プラチュアップ・キリ・カン行きのチケットを買う。エアコン車358バーツ。12時46分発。15時03分着予定。

正午、チュンポンのジャンソム・チュンポーン・ホテルJansom Chumporn Hotelをチェックアウト。このホテルはフロントに一人とルームメークに一人、とても愛想がよく親切な女性スタッフがいて他のスタッフの無愛想・無表情・無感覚と対照が著しかった。

フロントの親切な姉ちゃんは英語もできて、入院したときには缶詰のミルクをいっぱい持って見舞いに来てくれた(手で開けられる普通の缶詰に生のミルクが入っているらしいもの。結局ひとつも飲まずに全部病院においてきたが)。ルームメークの若い女の子はフロアで会うといつもにっこりして大きな声で挨拶してくれた。こういうことはタイ北部ではあまりないだろう。かわいい子だったが、シーツを変えに来るときはいつも浴室掃除のおばさんと二人。

午前中に、いつもなぜかただでインターネットをやらせてくれる旅行代理店に行く。ここは一度だけなぜか一時間30バーツをとったことがある。その後またタダになった。方針を決めかねていたのか?

この店で白人がネットをやっているのを見たのは一度だけ。同じ通りの"Western Thai"バービアのパソコンがファランでいっぱいのときも、こちらは誰も使っておらずあいていることがあった。Western Thaiは一時間60バーツ、そしてこちらはタダ。しかしこの町はプーケット系のファランが流れてくるくらいで、日本人などあまり来ないところ。

この代理店の南部系の顔をした姉ちゃんも愛想がよく、3時間もタダでネットをやらせてもらっているのに水を出してくれたりした。金を支払うことは何もしていないし、いくらそこでタダのネットをやらせてもらっていても代理店の商品を勧めてくるわけでもない。

この子はいろいろ聞いてくる。ネットで仕事をしているのか、これからどこへ行くのかなど。バンコクに行って、次にチェンマイにいくかもしれないと言うと、チェンマイにいくのか、といって嫌そうな顔をした。南部の人たちにはチェンマイはイカガワシイ町だと思われているのかもしれない。北部の人たち(および北部愛好家のツーリスト)は南部がイカガワシイと思っているかもしれないが、私の見るところ南部は一部のイカガワシイところ以外は北部よりはまともなところが多いように思う。北部は「全体的に」イカガワシイだろう。

土人売春婦連れ毛唐たちに対して北部の町々村々は非常に寛容だが、南部の普通の住民はかなり冷たい眼差しを向けているように思う。その結果かどうか、北部では土人性奴隷連れファランがいたるところにはびこり、あらゆる町や村を売春婦連れでうろつきまわるが、南部では限られた場所にだけいることが多いようである。

北部の物価の安さや、北部山岳少数民族の絶対的な貧困と法的地位の不安定からくる奴隷的労働、という背景もあるだろう。また、南部のビーチに連れて来られている奴隷女たちの多くは南部地元の人ではなく東北部出身(よそ者)が多い。バーにいる女やタイマッサージの女の子も北部から来ている者なども多く地元出身は案外少ない。そのような背景もあるのかもしれない。

この子やジャンソムの姉ちゃんも含めて、南部には、タイ語を使わなくても、英語のコミュニケーションで普通に親切な人がわりと多かった。タイ人は愛想が良すぎるか悪すぎるかのどちらかで「普通」が欠けている傾向があるように思うが、南部は比較的「普通」があるように感じた。

チェンマイに行こうかと思ったのはネット三昧できそうだったからだが(屑ファランも多いがネット屋も多い。深夜3時ごろまでやっているところもあった)、結局行かないことにした。

いまメーサイの入管がどうなっているかわからないからである。もし、メーサイでスタンプ更新できないとチェンマイに行ってすぐに飛行機でKLにもどるというようなことになりかねない。

日本人のスタンプ更新が厳しくなっているといううわさをいろいろ聞く。しかし、ラノンRanongではプーケットに何十年沈没しているかわからないような廃棄物毛唐が、毎日大量に行列し、毛唐に愛想笑いをふりまくタイ入管役人に無条件でスタンプを押してもらっている。タイはこれだけは変えられないだろう。その余勢を買って、日本人もラノンに行けば今でもほぼ無条件でスタンプを押してもらえるようである。白人の場合タイとボーダーだけで3年くらいビザなし滞在しているのは普通にいるようだ(3、4年前メーサイで、スタンプ更新だけで3年くらいタイに連続滞在しているというフランス人オヤジに会った。私は驚いたが、そのオヤジはごく普通のことのような口ぶりだった。当時でも日本人の場合は数ヶ月連続更新していると最後通告を受けるといわれていた)。

で、プラチュアップ・キリ・カンに泊まってみたいと思ったのは、単に、そのあたりがタイで一番「狭いところ」だからである。

マレー半島部でタイの領土が一番狭くなるところ。その緯度の大部分がミャンマー領。その雰囲気を味わってみようとおもっただけなのだが、行ってみるとただのタイの町だった。ミャンマーの匂いはまったくない。

列車は2両編成でほぼ定刻どおりに発車。(エアコン)セカンドクラスだが、弁当付だった。弁当がつくとは思わなかった。弁当のほかにカップの水も配られるが、カップはふたもない。手荷物を抱えているし、狭いシートでごたごたしているうちに弁当の汁をシートやらズボンやらにたらしてしまう。タイ料理の豚臭い匂いがしみついてたいへん不快なことになってしまった。こんな2等車で弁当などつかなくてもいいと思ったが・・・(同じセカンドエアコンでも弁当がつくのは南部線だけのようだ。後に東北線で弁当がつかなかったときは寂しいような気がした)。

このように、プラチュアップ・キリ・カンあたりのマレー半島は大部分ミャンマー領である。ミャンマーがこのあたりを攻めればタイのマレー半島部が分断されて面白いことになる。しかし、ミャンマー政府が直接それをやったらアメリカが黙っていないから、ミャンマー政府もコントロールできない少数民族の反政府武装勢力が勝手にやっているように見せかけて事実上の支配下におさめれば良い。

定刻通りにプラチュアップ・キリ・カンに着。定刻通りが意外な感じがした。プラチュアップはまったく鄙びた町だった。駅から少し正面にまっすぐに歩き左に曲がったところにあるInthira Hotelという2階建ての安宿に入る。ファン、水シャワーで250バーツ。

しかし、タイは、こんな鄙びた町にも必ず女を囲った毛唐がいる。タイの町はどこに行っても必ずタイ女を囲った毛唐が誰よりも偉そうにふんぞり返っているところがある。それを許しているのがタイ社会であり、タイ国家、タイという生き物である。プラチュアップでも高校生ぐらいに見える女を連れた毛唐オヤジがいた。

Inthira Hotelから5分くらい歩くと海に出る。浜は狭いがなかなか景色の良い、静かな海。もっとも、どんな結構な風景も毛唐が来てしまえばぶち壊しである。毛唐が売春婦連れでやってくれば静かな海もクソもなく、ただの便所と成り下がるのみ。

夕立があり、それが上がると宿の向かいの広場に屋台が並ぶ。クイッティオや粥などブタものが多い。ご飯ものはなぜか見かけない。コソンな粥を作っている屋台で鶏肉の粥を作ってもらって食べる。

タイ人の子供が肥満児ばかりなのに改めて驚く。タイのテレビCMに出てくるコロコロとした肥満児そのまま。近頃タイでは、コロコロとした肥満児がもてはやされているのだろうか。子供が出演する番組も肥満児ばかりだったり。今からあんなふうでは将来確実に成人病大国になるだろう。もっとも、マレーシアでも肥満や糖尿病は多いようだが、肥満児はタイほど多くないように思う。また、マレーシアの肥満はなぜかインド系に多いらしい。

タイのミネラルウォーター「シンハ」の水は渋い。昨日久しぶりに飲んだら腹が痛くなった。近頃腹を壊すことはめったにないのに今朝は下痢だった。イモディウムと抗生剤を飲んで列車に乗った。

タイの物価はマレーシアに比べて安いが、特に安いのが薬ではないかと思う。ニューキノロン系の抗生剤(シプロフロクサシンとかノルフロクサシンとかオフロクサシンとか)がマレーシアだと500グラム10錠で150リンギくらいもする。タイならほぼ10分の1くらいの値段である。それに、正しいことだが、マレーシアの薬局ではなかなか売ってくれない。タイではまだ処方箋なしでいくらでも売るようだ。それでも睡眠薬などは厳しい。

タイという民族が、白人に媚を売ること、とりわけセックスを売ることによって自己を確立してきた民族であることは間違いがない。

ラノンRanongのタイ入管役人は、白人には卑屈な笑顔で英語で話しかけるが、日本人に対しては、日本のパスポートを提示しているにかかわらずタイ語のみで居丈高に応対し、タイ語で答えることを強要するのである。有色人種外国人はタイ語を話すべきであるという態度を明示し、そのことを隠そうともしない。

いきなりタイ語で押し通そうとするラノン入管役人に対して、タイ語はわからないから英語で話せ、と英語で言っただけで怒り出した。彼らタイ役人は、アジア系外国人にタイ語を無理強いすることによって自己の権威を確認しているという自覚があり、また確認できると思い込んでいるということだろう。

しかし彼らは、白人に対しては身なり・国籍を問わず、必ず英語でへつらった接し方をし、決してタイ語を強要しない。日本人に対する居丈高な態度との対照のこっけいさなどは思いも浮かばないようだ。

このようなタイ人が白人の「飼犬民族」であることは明らかである。飼犬は人間の言葉を話さなくても主人のために吠えることはできる。そして人間たちの間のどちらが強そうなほうか、偉そうなほうかを敏感に察してそちらにつくのである。

彼らタイ人は白人の奴隷女であることにむしろ誇りすら感じていて、その点において日本人を含めた他のアジア人より「格上」だと信じているようである。彼らは「相対」の中の「上」であることに甘んじるゆえに、つまりあらゆる理念を棄却するゆえに、救いがたく卑しい者となる。

インドには「売春カースト」があるそうだが、「ジャティ」(「カースト」)とは「民族」とほぼ同義(時には、もっと小さな氏族・一族を意味したり、もっと大きな人種の区分を指したりするようだが)でもある。

これに当てはめるなら、タイ族は民族全体として一つの「売春カースト」に他ならないと言えるし、「白人用女奴隷カースト」とも言えるだろう。古代のある時期におけるユダヤ人のように民族全体として隷属民であり特定職業をあてがわれた職業団体でもあるというものが存在しうる。

5月17日。Inthira Hotelは夜、部屋の中が臭かった。生臭いような小便臭いような臭い。下水の臭いが上がってくるのかもしれない。タイの安宿ではよくあることだが、最近体験していなかったので気になったのかもしれない。

15時04分発バンコク行き(エアコン車)のチケットを買う。汽車の出発時刻に合わせてチェックアウトを3時にしてもらう。このホテルのタイ人女主人にはこれだけのことを英語で何度説明しても理解できない。といっても、「チェックアウト」という言葉は知っているし通じている。「3時」も通じている。それなのに全体の意味がまったくつかめないらしい。

これを本人は英語がわからないからだと主張する。娘夫婦は英語ができるので、娘が出てきてすぐに通じたが、このようなタイ人の「英語がわからいないから理解できない」というのはただの言い訳のように思える。この女には仮にタイ語で説明しても理解させられなかっただろうし、こちらのタイ語が変なせいにされただろう。

つまり、最初から、「相手のいいたいことを理解しようという気持ち、あるいはそのような姿勢、を持つ素質」がまったく欠けている、常識というものが存在していないので推測という頭の機能が働かない、あるいは決定的に頭が鈍く、身体を動かすことに怠惰であるように頭を働かすことがしんどくて仕方がない、などの原因が複合しているように思われる。これはタイ族一般の精神的特質に重なるものである。

このあたり、日中、外は非常に暑いので、汽車の発車時刻まで部屋で時間をつぶす。もっと南のほうよりも暑い。閑散とした町にもかかわらず昼から毛唐は目立つ。刺青した女連れ白人(女は高校生くらいに見える)もうろうろしている。

プラチュアップ・キリ・カンには、Inthiraのほかに、もっと駅に近いところにも似たような2階建てのホテルが看板を出している。1階がカフェのようになっていろいろなコーヒー豆の瓶がおいてある。最初はその家がホテルであることにも気づかなかったが、よく見るとしっかりクズ毛唐に占領されていた。1階に最悪な感じの毛唐が何をするともなくふんぞり返っている。今日見た若い女連れ毛唐もここに女と泊まっているのかもしれない。

プラチュアップからバンコクまでの汽車料金は425バーツ。予定時刻は15:04~19:45。

汽車は今日も定刻通りに来る。少し意外な感じがする。バンコクに着くのは一時間遅れでもおかしくないだろう。3両編成。

汽車に乗ると昨日同様一種の女性客室乗務員が3時のおやつのパイとオレンジジュースを持ってきてくれる。シートの窮屈さは相変わらず。

やっぱりというべきかHua Hinで土人女連れ毛唐オヤジが何人か乗ってきた。そして、席取りでトラぶっている。毛唐はこういうときにかならず大げさな騒ぎをする。自分の席に誰かが座っていたのだろう。

何が王室専用リゾートなものか。クズ毛唐と土人売春婦御用達、ついでに土人奴隷王プミポン御用達のセックスビーチだろう。

バンコクに近いペチャブリの駅では停車中に食いもの売りがたくさん乗り込んできた。といっても、焼き鳥や竹詰めの甘いもち米などはなく、パックした弁当中心。それ以外の駅では停車中も物売りは入ってこない。

18時ごろBang Pong。20分ごろナコーン・パトムに停車。この分だと到着も定刻通りになりそうである。これはタイ全体の変化なのか、南部線はもともと時間厳守だったのか。

バンコクに入ってからがのろのろと長い。

定刻前、19時半ごろにすでにホアランポーン駅のすぐ近くまで来る。それから先に車両があるのかぐずぐずしていたが、定刻前にホアランポーン着。

2年以上ぶりのホアランポーン駅。駅に降りてからの方向感覚がつかめない。夜でもある。しばらく駅の周りをうろうろしたあと、ようやく橋を渡る。そのあとは自信があったので記憶に頼って歩いてかえって道に迷ってしまう。結局、その辺に立っているお姉さんたちに道を聞きながら7月ロータリーの近くの宿にたどり着く。この辺に立っているお姉さんたちが親切なのは確かである。この地区のこの人たちは、道を教えてくれることに関してはタイで一番親切な人たちかもしれない。

このあたりは2年以上前と同じ顔を同じ場所でちらほら見かけるところ。チェンマイなど、2ヶ月もすると店がなくなり人の顔が入れ替わってしまうことがよくあるだろう。

安宿はどうも、落ち着けなくなってしまった。眠れない。高めのホテル(中級ホテル)に慣れすぎたのかもしれない。マレーシアなら100リンギ前後、タイなら500バーツ前後のホテルに泊まることが多くなった。

この地区はタイでも特に汚いところだが、以前は仮に数日滞在することを面白く感じたこともある。しかし、もうこういう場所にも耐えられなくなってきた。それにここはさらに寂れてきたように見える。

ホアランポーン駅も外国人ツーリストが少なくなっているように感じる。駅の警戒も厳しくなっている感がある。しかし役人が白人にへつらうのはまったく変わらない。とくにタイに媚びて黄色を着ている白人や、黄色を着たタイ女を連れた白人を見つけると、タイ猿役人は大喜びである。

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