FC2ブログ

マラッカ航海日誌補遺

スーリン Surin

5月21日。サラブリからスーリンへ。

昨夜も朝まで眠れなかった。

チュンポン・ホスピタルで10日分もらいデング熱が治ってからも律儀に毎日飲んでいた睡眠薬が切れた日から、さっぱり眠れなくなってしまった。朝はネット屋。

午前9時過ぎにホテル正面の長距離バスターミナルに行き、10時ちょうど発というスーリン行きのエアコンバス(エアバス)のチケットを買う。しかし、買ったと思ったチケットは単なる前払いの代金券だった。座席指定もない。

長距離バスは国鉄のように時間厳守ではなかった。

ほとんど言葉が通じない中で一時間以上待つ。いつか来るのかもう今日は来ないのかさえわからない気分になる。この辺も当然のように英語は一切通じない。タイ語を思い出していろいろ聞くしかない。それもあまり通じない。ガイドブックはもっていない。チュンポンで片言の日本語を話す女の子にもらった「指差し会話帳」はプラチュアップの宿に置いてきた。相手のタイ語も難しい。「マイマー」しかわからない。話してわかってもらうのはさらに難しい。「スーリン」の発音さえ確実にわからせるのは難しい。ちょっとわからない言葉を話す相手にはすぐに心を閉ざして、逃げるか居丈高になるか、というのがタイ人にありがちな特徴。このあたりインドネシアのような海洋国と異なる。

10時50分ごろになってようやくバンコク発スーリン行きの「エアバス」が来る。正午ごろ30分の食事休憩。がらんとした広くてきれいなバス休憩用レストラン。コンビニと一体となっている。サラブリは鶏肉料理が少なかった。カオマンガイしか見つけられなかった。この食堂には鶏肉のぶっ掛けご飯があった。

午後4時ちょうど終点スーリン着。サラブリから5時間。外に出ると非常に暑い。

スーリンでバスを降りる人もスーリンの人も笑顔が多いと感じる。

バスターミナルの食堂でようやくクイッティオ・ガイ(鶏)にありつけた。サラブリのクイッティオは当然のように豚クイで(クイッティオ・ガイはないかと聞いて歩いたがなかった)、スープが泥臭くてまずかった。ここのクイッティオ・ガイはスープも澄んで上品な味。

スーリンのバスターミナルにはモトサイ(バイタク)はおらず、サムロー(自転車リクシャー)のみ。サムローの運転手にも英語を話す者がいる。

サムローにお任せでホテルに連れて行ってもらう。以前はこういうことをせずガイドブックと首っ引きで自分の足で歩いて安そうな宿を探したが、近頃はそういうことに価値を見出せなくなってきた。今スーリンのネット屋で自分のブログを検索して、以前泊まった宿は「クルンスリ」だったことを思い出した。当時140バーツの部屋。

サムローに連れて行ってもらった大きな旅社のファンの部屋(250バーツ)に入る。エアコンの部屋(400バーツ)も見たが、ファンの部屋のほうが広々として開放感があった。

このホテルのスタッフはみんなそろいの赤いポロシャツを着て立派な英語を話す(と思ったが・・・)。

案内係のクメール人の女の子もニコニコして英語を話した。タイ人Thaiか?と聞くと、そうだと答える。それで、クメールか?と聞くとまた、そうだと答える。前回イサーンを回ったときにプラサートで会ったスーリン在住のクイ族の女子学生も「クイ族だけどThaiだ」とタイ人意識を強調していた。ただ、タイには一流大学(タマサート大学)の学者にも国名をシャムに戻すことを公然と主張している人もいる(過去記事あり。「タイ  国名  シャム」で検索してね)。

このクメール人の女の子は名前(ニックネーム)を「ソムジャイ」だといっていた。男の名前かと思っていた。チェンマイではソムジャイはダサい名前だと聞いていた。

こういうクソ暑いところでは下手なエアコンの部屋に入るより、ファンの部屋のほうが却って快適で健康的。

宿には英語のスーリン市街地図コピーも用意してある。このホテルの名前はSang Thong(ホテルの人はセイントーンと発音していた)。インターネット屋の場所も示されている。

これだけツーリストのための用意が整っていて毛唐がいないわけがない。サラブリでは一匹も見なかった毛唐だが(すでにタイ人になってしまっているようなロシア人のような雰囲気の若い白人女がタイ人の男と一緒にいて、ほかのタイ人たちとも流暢なタイ語で話しているのを見ただけ。毛唐の落胤かもしれない)、スーリンではさっそく女連れ毛唐オヤジを見かける。黄色を着た女とバイクに乗っている。

毛唐オヤジは連れのタイ女に黄色(現国王の色)を着せることが多くなっているのだろうか。そういうのをよく見かける。まさか本気で国王様マンセーになっているのではないだろう。あるいは、そうやってタイに媚びて見せないと白人といえども女連れ長期滞在は多少居心地が悪くなっているのかもしれない。そうだとすれば必ずしも悪いこととはいえない。

それでも、スーリンの町の人の表情は今も概して穏やかである。クメールやクイ族などの非タイ族系が多いからかもしれない。英語がよく通じてしかも感じの良い人が多いように感じる。

西洋式の喫茶店に入っても(コーヒーは常に機械淹れ)つんつんした感じはなく、(特別美しいというわけではないが)穏やかな笑顔の女の子がこちらの英語にちゃんと応対しながら、「カー、カー、Hot?、、カー、モーメンプリーズ、、、、Thirty bahtsナカ」という具合。。タイでは極めて珍しい柔軟な接客ではないだろうか。英語がまったくできない父親らしいオヤジに英語でネット屋の場所を聞いたときもいやな顔をまったくせずに娘を呼んできてくれた。

町に毛唐がけっこう来ているにもかかわらず悪擦れてしまわないというスーリンの秘密は、やっぱり多民族性、つまり、クメールとクイ族というタイ族より伝統があり、あるいは民族意識の強い異民族の基盤があるからだろうか。(といっても彼らがタイ族を常に憎悪してそれを支えに暮らしているというわけではないと思う。日本で見られる民族をめぐるある現象とは違う。そうならないのは、クメールやクイ族は自分たち固有の文化に対しタイ族がなんといおうと関係なく十分な自信を持っているからだろう。しかしタイ族の周辺異民族や在住アジア系外国人に対する同化〔タイ化〕要求感情は強烈である。生活習慣やものの考え方が仏教徒タイ人とははっきりと違う南部のムスリムはストレスを感じざるを得ないということになる)。

スーリンに来るのは3度目。2年ちょっと前にイサーン地方(タイ東北部)をしつこくまわってみたが、スーリン以外の町は(プラサトなどさらに奥地を除き)意外にタイ式シカメッツラが多いと思った。とくにシーサケットは感じが悪かった。

その喫茶店の近くのネット屋でパソコンをちょっと見たら日本語のドキュメントがいっぱい入っていた。

夜8時過ぎ、2年以上前に来たとき泊まった安ホテル「クルンスリ」がどんなところだったかなんとなく見に行ったとき、その近くのタイ的な屋台マーケットの薄暗いテーブルで、毛唐オヤジが16,7歳のかわいらしい土人系の女の子を抱え込んでいた。向かいには女の子の父親らしい人もいる。どうやら父親と直接交渉しているところのようだ。あるいはもう話がまとまったので嬉しそうにしているのかもしれない。写真を撮ってやろうと思って覗き込んだらその土人系のかわいい女の子がニコニコしてこちらを見るので断念した。土人系でしかもかわいくて何も知らない感じの女の子だったので、非常に腹が立った。毛唐の「処女買い」交渉の現場かもしれない。東南アジアでは児童買春が取り締まられるようになったといっても12歳前後以下の取り締まりが始まったという程度であり、16,7歳の少女を買って捕まる者はいないだろう。レンタルワイフ契約でもおなじ。それに「処女」とレンタルワイフ契約(1ヶ月とか1週間、金を払ってどこかに一緒に住む。数ヶ月ないし一年でもおなじこと)をしても、それだけでは罪にならない。そんなのを罪にしたら「非処女差別」といわれるだろう。女の子は嫁にでも行くつもりで、父親にもいいことばかり含まされて、周りの外人がみんないい人ばかりで自分には明るい将来が開けているように思い、私のほうをニコニコと見ていたのかもしれない。こういうことがあるからタイはイヤなのだ。

5月22日。

昨夜も良く眠れなかった。同じホテル(セイントーン)に連泊。

ホテルは日中電気が止まってしまう。

昨日、フロントスタッフはよく英語ができると思ったが、定型的なせりふを丸暗記してしゃべっているだけだった。それ以外の変則的なことはまったく理解できない。理解しようともしない。書いてもダメ(しかしここまで付き合うだけまだかなりまし。たいていのタイ人はすぐに逃げてしまって書いたものを見ようとなどしない)。マイカオチャイを繰り返す。

昼は停電になるのだろうと思って、電気が止まるのは何時から何時までかということを聞こうとしたのだが。powerは分かる。

実は一日中電気はあり、節約でとめていて、客が戻ってきたのを忘れて止めたままにしていただけなのかもしれない。

昨日は電気が来ていた4時ごろになってもファンが回らないので、フロントにいうと中央制御ですぐに入れてくれた。これはその後の話である。

やっぱりタイ人は他人の言うことを理解しようと努力したりはしない。自分が自然に理解できる範囲でしか理解しようとせず、後は相手(外国語)のせいにして、マイカオチャイを繰り返すならまだいいほうで、完全に無視あるいは腹が痛くなるようなシカメッツラで無視になる(今回の旅では、強烈なしかめっ面には出会わなかった。「シカメッツラ地域」を通らなかったからかもしれない)。時制の観念がないせいか、今日電気が止まったという事実と、毎日電気が止まるという事柄との区別ができないように見える。タイ人は今すぐ用のないことには関心がないのかもしれない。

今日到着したばかりのような30歳台と見えるファラン男が一人、街中をきょろきょろしながら歩いている。どこかの家の電気メーターの前に立ち止まりそれをジーッと覗き込んでいる。しばらくたってもう一度外出すると同じようにきょろきょろ覗き込みながら歩き回っていた。ずっとうろつきまわっているのかもしれない。

23日。

今回タイに来て(記憶にある限り)今日はじめて典型的なトゥクトゥクを見かける。

24日。

デング熱が治りきっていないのか(そんなことがあるのか)、体調がよくならない。特に昨日は気分が悪かった。ほとんど一日中部屋で横になっている。眠れないが、ときどき瞬間的に意識を失って妄想のような夢を見ることがある。

深夜になって少し深く眠れた。深く眠れたといっても夢だけ見ていたような感じだったが、ちょっと眠ったと思って気がついたら朝の11時になっていた。

ここ数日「死」に関係のある夢をよく見る。怖いというほどでもないが、とても感じが悪い。目が覚めたあと落ち込むような夢ばかり。

自分の死に関するある抽象的なイメージを夢に見ることがある。最後に「事柄」が「1」になって、もうそこから抜け出せなくなる。呼吸が止まり、やはり絶望的な滅びのイメージ。最後に「事柄が1」になってそこに閉じ込められるというイメージが共通している。1が消えるというところまではなかなか行かない。どう消えればいいのか、どこに抜けられるのかがわからないところが絶望につながっている感じ。

愛すべきかわいい女の子の死を医療関係者として見取る、という夢も見た。(現実の世界で医療に携わったことはまったくない)。自分はなぜか偉い先生の下で働いているパラメディカルのようだった。そして先生にほめられる。女の子との心の通い合いや甘美なイメージがあり(かなり若い少女、ただし顔はなし)、彼女を救えるような感じがする。しかし突然容態の急変する。気がつくと彼女の手の色が変わってしまっている。小指側のふちがどぎつい黄色になり手のひらが紫になっている。ぎょっとしたところで幕切れ。彼女が死んだことだけはわかった。夢ではっきりと色を見る。しかし女の子は若くないと・・・・悲劇が始まらないことは確かのようだ。

25日。

午前中の掃除の時間、どこかの部屋から、ノー、ノー、ノー、ノー・・・・・・という女の声。逃げ回るような気配。昨日この宿に入ったらしい、昨日からこの近所で見かけるようになった毛唐が掃除の若い女を押し倒そうとしているのかもしれない。

タイの田舎の宿ではフロントで働いている子がそのまま客の求めに応じて売春しているようなところもある。(私はそういう宿をラオス国境の町、シー・チェンマイで一軒見たことがあるだけだが、タイの宿では昔は下働きが売春するのはごく普通のことだったとか。物知り顔のタイヲタオヤジが言っていた)。そうでなくても、ここでは押し倒してあげないといけないのかも・・・という義務感にさいなまれかねないような変に隙だらけな場面に出くわすこともある(もちろんその後はビジネスだろう)。

昼、カンボジア国境へ行ってみることにした。ひょっとしたらビザが取れるかもしれない。

バスターミナルからミニバスで「チョンジョム」(Chong Chom)というところに向かう。そこがボーダーらしい。

立派な道路を30分ぐらい走ってプラサート(Prasat)に着く。ここも感じのいい田舎町。

2年前にはバスターミナルでよく売っていた竹に甘いもち米を詰めたローカルなお菓子はクーデタで禁止されたのだろうか。以前は黙っていても売りに来たが、今回はまったく見ない。あれが食べたかった。あれを食べたくてわざわざタイに来たようなところもある。

プラサートを過ぎると道も細くなる。舗装はそれほど悪くない。周囲はますます潅木がまばらに生えた荒地の趣に。しかしカンタララクの方に比べるとここはまだ豊かさを感じる。新しい家も建っていたりする。スーリンから1時間半ほどでチョンジョム(Chong Chom)に着く(道路標識のローマ字表記は同じ発音Chになっているが、タイ文字では微妙に違う。地元発音でははっきり「ジョム」)。

チョンジョムのバス停はイミグレの目の前。ローカル客がばらばらと国境を越えていく。外国人らしい姿は見かけない。イミグレーション事務所の他には何もない田舎だった。スーリンの町ではあまり見ない物乞いの子がつきまとう。それでもこざっぱりした服装。あまり汚いとカネがもらえないのかもしれない。

仁王立ちのイミグレ役人に聞いてみると、タイイミグレを出たところにあるカンボジアイミグレでアライバルビザが取れるということだった。

しかも、30日ビザの他に90日のマルチプルビザももらえるという。あくまでタイ役人の話。明日また来ることにする。今日の仕事はこれだけ。

日陰に座っていると涼しい風が吹いてくる。荒れ野だが今は緑が多い。

帰りの道はやはり検問をしているが、バスの中までは見に来なかった。スーリン‐チョンジョム往復、所要約3時間。

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://kuantan.blog74.fc2.com/tb.php/320-96c29d0a
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)