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マラッカ航海日誌補遺

信仰深い医者、貧しい人の面倒をよく見るとは限らず=米調査

「信仰」といっても、セクトによってその言葉の意味はまったく変わってくるだろうから、調査対象の宗派の分布を示さないと調査の意味がないような気がする。

プロテスタンティズムはそもそもカルト、なんていったらまずいか。しかし人類全体の平均値から見るとかなり特殊な「信仰」観、職業観をもっていることは確かで、その中でもかなり異端的な部分がアメリカに渡っていったのだろう。

常々思うのは、近代日本の「信仰」という概念は、基本的にプロテスタンティズムの「信仰」観に準拠しながら、多少通俗化した(他力門仏教系の「信心」観を流用してはめ込んだ)ものなのではないかということ。しかもそのことがあまり意識されていないのではないか。

「自由」の理念を前提として、個人の内心の自由から発するところにその心意の尊厳性や絶対性が依存する、というモデルを、われわれは実は無条件に受け入れているのではないか?「いわしの頭」にまで通俗化しても、なおそのモデル自体には沿っているのではないか?

しかしアジアの国々で見る限り、宗派を問わず、イスラム教徒でもヒンドゥ教徒でも、ある宗教に属するということは直ちに「ある共同体に属する」ことに他ならない。

たとえば、特定のイスラムコミュニティに属さないで「イスラム教徒になる」ということは、(可能だが)ほとんど意味がないことだろう。ヒンドゥ教徒(教徒という言葉が変に感じられるが)ならなおさらである。

彼らにとって「信仰」とは何かをあえて言えば、なによりもまず「あるコミュニティに生まれ育ったこと」であり、与えられた戒律を守りある流儀の生活をするということではないかと思う。


    

8月1日20時3分配信 ロイター

 [シカゴ 31日 ロイター] 米国で行われた調査で、自分自身を信仰深いと考えている医者が、貧しい患者を気にかける傾向が相対的には強くはないことが分かった。調査を指揮したシカゴ大学のファー・カーリン博士が31日、電話インタビューで語った。 
 自身も信心深いという同博士は、調査を行った理由として、多くの宗教が貧しい人への奉仕を求めていることに触れ「宗教的信仰心を持っている医者が、貧しい患者の面倒を見る傾向が強いのかどうかに興味があった」と述べた。
 同博士は、コネティカット州の病院のスタッフらと協力し、合計で1820人の医者にメールを送り、そのうちの63%から回答を得た。
 調査では、人生における宗教の位置付けや、宗教的な行事に参加する頻度、自分自身を霊的な存在と思うか、医療行為は使命だと思うか、などといった点が質問された。
 その結果、より信仰深いと位置付けられた医者が、貧しく十分な医療サービスを受けていない患者の面倒を見ると報告する傾向は強くなかったという。
 カーリン博士は、信仰心と職業として医療行為の間には、さほど関係はなさそうだとしている。

 

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