どうでもいい話を。
昨日あたりオーストラリア関係でたくさんのアクセスをいただき、あまりお友達ネタでもないんですが、所詮は個人のブログということで。
昨日は韓国語のサイトからたくさんアクセスをいただきました。リンクが張られているんだけどまったく読めない。
言語設定レベルで昨日は、韓国語設定のパソコンが52個、英語設定のパソコンが53個でした。普段韓国語設定は一件あるかどうかなんですが。
韓国人の方も捕鯨とオーストラリア関係には何らかの関心があるようですね。もちろん日本が白人にたたかれるのが愉快でたまらんというのもあるんでしょうが。
私は日本と韓国との関係がどうとか、韓国人が日本のことをどう言っているかということには、失礼ながらあまり関心がありません。
私は、「白人は決してわれわれのオトモダチではありえない」、白人は最終的には雌雄を決するほかはない(日本が滅ぶにしても)人種集団だ、ということを日本人自身が自覚することが大切だと感じているので、その意味でネトウヨを批判しているだけです。
実際、白人は日本をタイのような国にしたいと思っているんでしょうが、日本がタイのような倫理も美意識も何もない国になってしまうとしたら日本の存在意味はほとんどないので、国を畳んだほうがましだと思うということです。
昨日は白昼KLの電車のホームで白人に襲いかかられて本当に怖かった。昨日のうちはそれほどでもなかったが、今日になってしみじみ怖くなってきた。
当たり前のことだが、アジア人の大男が同じ場所で白人に対して同じことをやっていたら、即刻誰かが携帯で通報して今頃KLの警察署の地下牢にいるに違いないだろう。
タイでもマレーシアでもどこでもこのシステムは不動である。もう何百年も不動なのだ。そういう制度のうえで白人という人種民族宗教的集団(人種と民族を峻別することの無意味さについてはこれまで述べてきたとおり→カテゴリー「「人種差別」に関する考え方」の過去記事参照)は人種として形成され自己を確立してきた。
今日になってしみじみ怖くなってきたというのは、「フラッシュバック」などという大げさなものではないが、リラックスしようとすると毛唐がこっちに向かってきたときのイメージが浮かんできて、同時に腕や足の筋肉が軽く痙攣して体が熱くなるような症状が出始めたこと。
今年はこの恥多いブログも3年目で、読者数も十分すぎるほど増えてくれたので、そろそろやめる形をつけようかと考えていた。やっぱり一番良いのは「管理人が死ぬ」という落ちではないか。
ネット外での読者とのコミュニケーションを一切意図していないこのようなブログの終わらせ方として相応しいのは、「ブログ閉鎖」「ブログ削除」以外の場合は、「失踪」、「死亡」などであろう。
「放棄」というのはまずいような気がする。「凍結」というのも考えられるが、管理人は存在していて表現し続けていながらまったく息がないという気持ち悪さがあるだろう。
そこで以前から暖めていたのは、管理人がパタヤかプーケットの白人密集区域で○○○○を敢行し、言行一致させて終わるというものであった。
日本のパスポートを提示して、われわれはまだ大東亜戦争を諦めたわけではないことを示すことには意義があるではないか?
社民党はテロ反対だそうである。優等生な政党である。
しかし、私は「テロルは絶対にいけない」とはどうしても思えない。
国家は戦争をして良い。私はこれを認める。しかし戦争とテロとのどこが違うのか。
アフガンやイラクに殴りこんだアメリカの行為は大多数の被害住民にとってテロ以外のなにものでもないだろう。
国家未満の者が戦争をすることは国法に反するという。それもいいだろう。
しかし国法に反するからといって「正義」に反するとは限らない。
これは左右に関係のない常識に属する。
ところで、こういうときに裁判官が書く判決の決まり文句は「独善的」である。
たしかに、多くの正義、ほとんどの私的な正義の主張は「独善的」であろう。経験的にはそうである。
しかしまた、「独善的でないことを保証された正義の形式」というものがどこかにあるわけでもない。
「正義」は経験でもなければ制度でもない。
正義をまったく求めないのなら独善に陥る危険もないかもしれない。しかしそのような生き方は、タイ人のように生きるということである。
結局、少しでも正義を求めるなら、そこには「賭け」の要素がなければならない。
そして独善に陥ることを避ける最大限の担保は、自分の生命を賭けるということだと私は思う。
この場合「賭ける」とは「賭け銭」は捨てて、それを超えた普遍的なものを求めるということである。そうすることで初めて最大限、独善への危険性を減らすことができるだろう。
ここに私は○○○○の倫理的な意味があるのではないかと思う。
そしてもうひとつ大切なことは、何かを変えたいならば「捧げ物」が必要だということ。「捧げ物」によらないで大きな変化をもたらすことはできない。
ところが私は怖くなってきた。ちょっと危ない目にあうと死ぬよりも怖くなるものである。
怖い目にあって鍛えられるかというとまったく反対で、怖い目にあってさらに「命が惜しく」なってくる。死ぬのが怖くなってきた。
○○○○はできそうにない。
以上が後遺症。
Author:Kuantan
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/
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